アメリカ大統領選挙で、民主党のオバマ候補が圧倒的な勝利を得た。初めての黒人大統領だ。正式には来年1月20日の就任となる。今日の勝利宣言をテレビで聞いて、なぜか涙が流れた。正確にはあるいは詳しくは、明日の新聞に演説の内容が載るのだろうが、彼は新しいアメリカを創るのにふさわしい品格と思想の持ち主のように思う。47歳というおそらくクリントン前大統領に負けない若さでありながら、クリントン前大統領よりも落ち着いた風格が漂っている。
彼は、アメリカという国家は年寄りも若い人も白人も黒人も障害のある人もみんなの合衆国だと言う。共和党と民主党の寄せ集めではないとも言う。新しいアメリカを創る決意をハッキリと力強く宣言する。アメリカの大統領は、単にアメリカの指導者に留まらない、世界のトップ指導者である。しかし、彼は少しも緊張することなくあるいは驕ることもなく、堂々と自信に満ちた態度を示していた。オバマ氏の大統領就任演説が待ち遠しいような気さえする。
今は勝利の喜びに酔いしれていたが、就任の時には現実を突きつけられて、夢のない演説とならないように祈りたい。ただ、私はオバマ氏をテレビでしか知らないが、見た限りでは私の思いは杞憂に過ぎないほど、強固な意志の持ち主の印象が強い。彼ならば最後まで自分の意思を曲げることはないだろう。そのためにも、積極的に自分の夢を国民に常に語りかけることで、つまらない圧力から自分自身と国民を守って欲しいと思う。
昨夜のNHKテレビで、身体を伸ばせるかどうかの空間しかないネットカフェで暮らす若者や、ネットカフェよりも少し広いだけの支援住宅に囲い込まれ、私語を禁じられ、生活保護費を巻き上げられて生きている人たちの様子が報じられていた。礼金、敷金ゼロのアパートを安く貸し出すが、1日でも滞納すれば罰金を科したり、生活できているか勝手に見に来て生存確認料を取るような、考えられない貧困ビジネスが横行しているそうだ。
かつて昔、人は人として扱われないような時代があった。私たちの先祖は人が人らしく生きて行ける社会を求め、そのために人は殺されたりもした。今、人は全て平等の社会を実現したはずだった。貧困を無くし、みんなが互いを認め合う、物の面でも心の面でも豊かな社会となったはずだった。けれども、どこにそんな社会があるのだろう。ハッキリと憲法に定めても人々にその心がなければ絵に描いたモチに過ぎないことも事実だ。
オバマ氏がどんなに一人で頑張ってみても、社会が彼を後押しするのでなければ、CHANGEは実現できない。肝心なのは私たち一人ひとりがどう考えるかだが、心のCHANGEには長い時間が必要なのだろうか。
彼は、アメリカという国家は年寄りも若い人も白人も黒人も障害のある人もみんなの合衆国だと言う。共和党と民主党の寄せ集めではないとも言う。新しいアメリカを創る決意をハッキリと力強く宣言する。アメリカの大統領は、単にアメリカの指導者に留まらない、世界のトップ指導者である。しかし、彼は少しも緊張することなくあるいは驕ることもなく、堂々と自信に満ちた態度を示していた。オバマ氏の大統領就任演説が待ち遠しいような気さえする。
今は勝利の喜びに酔いしれていたが、就任の時には現実を突きつけられて、夢のない演説とならないように祈りたい。ただ、私はオバマ氏をテレビでしか知らないが、見た限りでは私の思いは杞憂に過ぎないほど、強固な意志の持ち主の印象が強い。彼ならば最後まで自分の意思を曲げることはないだろう。そのためにも、積極的に自分の夢を国民に常に語りかけることで、つまらない圧力から自分自身と国民を守って欲しいと思う。
昨夜のNHKテレビで、身体を伸ばせるかどうかの空間しかないネットカフェで暮らす若者や、ネットカフェよりも少し広いだけの支援住宅に囲い込まれ、私語を禁じられ、生活保護費を巻き上げられて生きている人たちの様子が報じられていた。礼金、敷金ゼロのアパートを安く貸し出すが、1日でも滞納すれば罰金を科したり、生活できているか勝手に見に来て生存確認料を取るような、考えられない貧困ビジネスが横行しているそうだ。
かつて昔、人は人として扱われないような時代があった。私たちの先祖は人が人らしく生きて行ける社会を求め、そのために人は殺されたりもした。今、人は全て平等の社会を実現したはずだった。貧困を無くし、みんなが互いを認め合う、物の面でも心の面でも豊かな社会となったはずだった。けれども、どこにそんな社会があるのだろう。ハッキリと憲法に定めても人々にその心がなければ絵に描いたモチに過ぎないことも事実だ。
オバマ氏がどんなに一人で頑張ってみても、社会が彼を後押しするのでなければ、CHANGEは実現できない。肝心なのは私たち一人ひとりがどう考えるかだが、心のCHANGEには長い時間が必要なのだろうか。