友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

『60歳からのラブレター』

2008年11月08日 10時23分08秒 | Weblog
 NHKテレビで、『60歳からのラブレター』を見た。その最初のものは奥さんからご主人に宛てたものだった。正確ではないかもしれないが、ご主人はどんな物でも大切にする人なのに、どうして私を大切にしてくれないのかと非難すると、そのご主人は貴女は物じゃない、私の一部だよと答えた。そこで奥さんは「まあーいいか、許してあげる」と結んでいた。

 あるいは、今日は早く帰るからと言って出勤したけれど、結局は午前様になってしまった。いつもなら起きて待っているのに奥さんはもう床に着いていた。奥さんの横顔には涙の後が残っていた。後で最終電車までじっと駅にいて、帰りを急ぐ人ごみの中から自分を探し出そうと立ち尽くしていたことを知るが、なかなか謝れなかった。貴女はもう忘れてしまったかもしれないが、ごめんねというご主人からのラブレターもあった。

 いくつもの夫婦にはその数だけの物語がある。心は通っているようでも通っていなかったり、通っていないようで通っていたりするもののようだ。人生の先輩のアドバイスは「奥さんには逆らわないこと。何でもウンウン、ハイハイと聞くこと。決して言い訳や反論はしないこと」というものだった。もう一人の先輩は「私なんか女房の言うことは聞きませんね」と言う。すると「そりゃーダメですよ。耳は傾け、相槌は打つ。どうせたいしたことを言ってるわけではないのですから、聞いていてくれないとヒステリーを起こされてはかなわんでしょう」と言う。

 奥さんを馬鹿にしているように思うかもしれないが、決してそうではない。先輩はどこへ行くにも奥さんと一緒で、買い物だってちゃんと付き合っている。奥さんが何を大事に思い、何をしたいのか、見極めるためにはウンウン・ハイハイのほうが都合がいいと言うのだ。夫婦でありながら理解し合えないままで暮らすよりも、一歩でも近づいて暮らした方が気持ちがよいのではないかと考えるからだ。自分から歩み寄らなければ夫婦はなかなか近づけないものなのかもしれない。

 孫娘がカミさんに「ママちゃんはどうしてパパちゃんと結婚したの?」と聞いたことがあった。それは私も聞きたかったが、聞くことがちょっと怖い気もした。カミさんは「どうしてかなあ。周りを見たら、パパちゃんしかいなかったからかなあ」などとおっしゃる。あれ?外交官夫人になるようなお見合いの話だってあったと言っていたのに。初めてデートした時のことを聞かれて、「どうして今日はネクタイなんかしてるのだろうと思った」と話していた。「デートじゃなかったの?」と孫娘に言われて、「だって男の子は周りにたくさんいたし、お茶飲むのも食事するのも特別なこととは思わなかったもの」と答えていた。

 私としてはガッカリである。結局、いつまでもカミさんにまつわりついていたので、仕方なく結婚したと言うことか。多分それは事実だろうけれど、嘘でもいいから「好きだったからよ」と言って欲しかったな。今となればそんなことはどうでもいいようなことかもしれない。それだけ、男と女は複雑なようで単純、あるいはその逆でもあるということなのだろう。
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