友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

麻生首相の放言

2008年11月20日 22時31分38秒 | Weblog
 麻生首相の「言葉の使い方」が話題になっている。麻生首相が国連総会で演説した時、アクシデントがあってもう一度やり直すことになった。この時は英語でユーモアたっぷりに間をつないだので感心した。それが、日本語になると、どうしてこんなにヘマを犯してしまうのだろう。中学・高校時代からの友だちが、麻生首相の原稿の読み間違いを取り上げていたのでこれを拝借すると、詳細(しょうさい)をヨウサイ、未曾有(みぞう)をミゾウユウ、頻繁(ひんぱん)をハンザツ、踏襲(とうしゅう)をフシュウと読んだというのである。

 実に漢字は難しく、私は首相(しゅしょう)を「シュソウだっていいじゃないか」と長いこと思っていた。だから細田幹事長が言うように心情的には「少々読み間違えたって愛嬌があって、いいじゃーないですか」に同調したくもあるが、やはり日本の首相であるからには、言葉に使い方にも厳格でなくてはならないだろう。英語よりも漢字が苦手であれば、事前に目を通してルビを振るか、振ってもらってもそれで価値が下がることはないだろう。見栄を張って、誤読するよりよいはずだ。

 先日、このブログに「上に立つ人には厳しいのですね」とコメントをいただいたが、人の上に立ってみたなら、誰もが感じることだと私は思っている。それだけ責任が問われるわけだから、その分の気配りは果たさなくてはうまくやっていけない。立場には当然ながら責任が伴うのに、批判を受けると個人攻撃をされているように受け止めてしまうから、全体としては少しも解決に向かえなくなってしまう。

 今朝の新聞では、麻生首相が「医者は常識に欠けている人が多い」とか「しつけるべきは子どもよりも母親だ」などと発言したことが報じられていた。マスコミがこうした首相の発言を取り上げると、「だからマスコミが一番悪い」と短絡的に問題にする人がいるから怖い。厚生省OBの殺傷事件について、自民党の島津雄二元厚相は「厚生省の仕事の成果をほとんど評価できないような論評ばかり行われている。その結果、不満を爆発させ、制度構築に携わってきた人に対する理不尽な行為につながったとすれば、本当に残念だ」と述べ、「『あれが悪い、これが悪い』という国会の議論や、そういう風潮を作る上でマスコミも責任がある」と野党やマスコミを批判していた。

 医者の中には患者を診るというよりもお金を稼ぐことに熱心だと思えるような医者もいる。そんな例外はどこの社会にもある。社会を支えているのは真面目に職責を果たしている多数の人たちだ。だからこそ麻生首相の発言はマズイのだ。国のリーダーとしての資質を問われても仕方がない。麻生さんが一人の国会議員であれば何を言ってもそんなに重大な問題にはならないだろう。しかし、今、日本の国を代表する立場にある。上に立つ者はその責任がいつも問われる。それがいやならやめる他ない。
コメント
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