定額給付金が話題になっているそうだ。中学2年生の孫娘のクラスでは、「(自分たちが)2万円もらえる。何に使う?」とみんなで話していると言う。そういえば、一家の給付金6万円を当てにして「先取りして金を使えば景気がよくなるはずだから」と、飲み屋へ行く回数を増やしたという人がいた。年度内にはなんとしても給付したいと、政府・自民党は進めている。
実際の窓口となる各自治体は「作業量が増える」と余り歓迎していない。どこかの市長は何を勘違いしたのか、「私は受け取りません」と発言していた。政府は国民全員に給付することを原則としており、各自治体が対象者に通知し、希望する人が申請して給付を受ける形になるようだ。受け取る受け取らないはそもそも自由だ。それよりも受け取るための手続きができない人が生まれる可能性もある。
どこかの新聞に「みんなに配れば買収じゃーない」といったコントが載っていたそうだが、税金を投入して選挙の票集めをしようというのだから、全く国民を馬鹿にした政策だ。それを承知で「金もらったら、何に使おう」と考えている人がいるのにもあきれてしまう。「金もらっても、自民党や公明党に投票しなきゃーいいじゃん」と、お気軽なことを言うけれど、もともとがあなたが払った税金だ。そんな使われ方が許されることが政治の貧困だと思う。
総額2兆円をばら撒き、それで景気が回復すると本気で考えている人がいるのだろうか。国民が一人当たり1万2千円、消費をすれば景気がよくなっていくなどとはとても考えられない。私の街にも大型のモールが誕生し、開店当時は3時間4時間待ちの長蛇の列ができた。今日も店内はたくさんの客でにぎわっている。景気が悪いといいながら、観光地は平日でも中高年の男女でにぎわっている。
テレビが「トヨタショック」を報じていた。中小企業では従業員の首切りも現実のものになってきている。明日の生活に不安を抱える人々が生まれているのに、買い物客や観光客はまだ多く存在している。政治が本当にやらなくてはならないのは、今日そして明日の生活ができない人々を救うことだろう。金をばら撒いて、景気をよくするのだとする欺瞞的な政策の政治家を政治の世界から駆逐しなくてはダメだ。
孫娘に「みんなは自分たちがもらえると思っているの?」と聞いてみた。「えっ、そうじゃないの?」と言うから「お父さんたちの銀行の通帳に入るから、あなたたちが自由には使えないだろうな」と話すと、「なんだそうか。でもまあ、お金が入るならいいじゃん」と言う。そこでまた、「そのお金はね‥」から始めなくてはならなかった。
実際の窓口となる各自治体は「作業量が増える」と余り歓迎していない。どこかの市長は何を勘違いしたのか、「私は受け取りません」と発言していた。政府は国民全員に給付することを原則としており、各自治体が対象者に通知し、希望する人が申請して給付を受ける形になるようだ。受け取る受け取らないはそもそも自由だ。それよりも受け取るための手続きができない人が生まれる可能性もある。
どこかの新聞に「みんなに配れば買収じゃーない」といったコントが載っていたそうだが、税金を投入して選挙の票集めをしようというのだから、全く国民を馬鹿にした政策だ。それを承知で「金もらったら、何に使おう」と考えている人がいるのにもあきれてしまう。「金もらっても、自民党や公明党に投票しなきゃーいいじゃん」と、お気軽なことを言うけれど、もともとがあなたが払った税金だ。そんな使われ方が許されることが政治の貧困だと思う。
総額2兆円をばら撒き、それで景気が回復すると本気で考えている人がいるのだろうか。国民が一人当たり1万2千円、消費をすれば景気がよくなっていくなどとはとても考えられない。私の街にも大型のモールが誕生し、開店当時は3時間4時間待ちの長蛇の列ができた。今日も店内はたくさんの客でにぎわっている。景気が悪いといいながら、観光地は平日でも中高年の男女でにぎわっている。
テレビが「トヨタショック」を報じていた。中小企業では従業員の首切りも現実のものになってきている。明日の生活に不安を抱える人々が生まれているのに、買い物客や観光客はまだ多く存在している。政治が本当にやらなくてはならないのは、今日そして明日の生活ができない人々を救うことだろう。金をばら撒いて、景気をよくするのだとする欺瞞的な政策の政治家を政治の世界から駆逐しなくてはダメだ。
孫娘に「みんなは自分たちがもらえると思っているの?」と聞いてみた。「えっ、そうじゃないの?」と言うから「お父さんたちの銀行の通帳に入るから、あなたたちが自由には使えないだろうな」と話すと、「なんだそうか。でもまあ、お金が入るならいいじゃん」と言う。そこでまた、「そのお金はね‥」から始めなくてはならなかった。