友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

大人の考えていることはわからん

2008年11月30日 21時47分52秒 | Weblog
 昨日、今日と中学2年の孫娘が水泳大会に出場するため、私は朝5時30分に起きて彼女をプールへ送った。朝のこの時間はまだ真っ暗だ。こんな時間からウォーミングアップをさせるのだから、それぞれの家庭は当然子どもの安全を考えれば、送り迎えをしなくてはならない。毛糸の帽子にマフラーと怪しげな格好で、孫娘を送っていく自分の姿に自分でも笑えて来る。

 「早くプールに着ければ、早くから練習できるの?」と聞くと、「いや、コーチがいないとダメ」と言う。ウォーミングアップは20~30分で終り、今度は本大会の会場へと送らなくてはならない。これが午前7時までとか、7時30分までとかに決められていて、水泳教室からバスでの送迎の時もあれば、今回のようにそれぞれの家族で対応するケースもある。どうしてそうなるのか私にはわからないが、バスを利用すれば利用料を払わなくてはならないそうで、バスの利用者が少ないと教室ではできないということなのかもしれない。

 送っていく車の中で孫娘がボソッと言う。「大人の考えていることはわからん」。人の批判などしたことのない孫娘だが、最近は少し成長したのか、時々ポロリと漏らすことがある。「どうして?」と聞くと、「コーチはあんなに時間に厳しく言うのに、自分は遅れてきたり、早く連絡してくれればいいのに、ぎりぎりまで放っておいて、早くしろって言うんだから」と大人の気まぐれを批判する。

 「学校でもさ、この前すごく寒い時があったじゃない。それでコートを着ていったら、『まだ、コートを着る期間じゃーない』と怒る先生がいるんだわ。生徒手帳にもそんな期間なんて書いてないよ。手帳には適宜と書いてあるんだよ。それって自分で判断しなさいということでしょう。本当に大人の考えていることはわからん。寒いから着る、暑いから脱ぐ、それでいかんの?」。

 そういえば私も中学生の時、「生徒手帳はお前達のための憲法みたいなものだ」と先生に言われて、どうして自分たちが創ってもいないし、自分たちで改正することもできない生徒手帳に縛られなくてはならないのかと反発したことがあった。大人はいつも自分たちの都合で勝手にものごとを決めて押しつけると思った。先生のための生徒会なんか要らない、先生のために生徒に義務ばかりを押しつる生徒手帳なんか要らない、そう思った。高校で生徒会の役員になったが、結局は高校の生徒会にも何の力もなかった。

 そういう社会の仕組みやその矛盾に孫娘も何かを感じるようになって来たのだろう。あんなに絶対者であった母親に対しても「あの人」と呼ぶ時があるし、「あの人は何考えているかわからん」とボソッと言う時もある。子どもは大人を見ながら社会を考える。大人に反発しながら自分を創っていく。確かな指針が孫娘の中に生まれるようにと願う。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする