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友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

それぞれの人生

2008年11月22日 22時35分14秒 | Weblog
 昨夜は時間が無かったから、なんだかよくわからない文章になってしまった。名演の『詩人の恋』はとてもよかったとまず言いたかった。2時間15分の上演だが、これを2人だけで行なうのだから至難の業だ。ところが、2人はピアノもうまいし、歌もうまい。録音とか吹き替えかと思ったが、実際に2人が演じているというのでビックリした。声もオペラ歌手並みによくとおり、それは素晴らしかった。

 夜、宗次ホールで聞いたのはオペラのプロ歌手で並外れた歌唱力の持ち主だから、比較することが間違っているかもしれないが、彼女の次に位置してもよいと思うくらいだった。同じ日に、歌とピアノを聴くという偶然を、しかもそれが極めて感動的な物語であることを、綴りたかったのに、時間に迫られて焦ってしまった。

 それぞれの人生を考えさせられたと書いたけれど、いったいそれぞれと言うのは何かがわからないと読み返してみて思った。『詩人の恋』の方は、ピアノが弾けなくなったかつて天才と賞賛された青年が、不思議な落ちこぼれの教授に出会い、授業を通して次第に自分を取り戻していく物語だ。青年はアメリカ人でプロテスタントだと言うが本当はユダヤ人だ。そして「ユダヤ人収容所はただたくさんの死体がころがっていただけだ」と投げ捨てるように言う教授も実はユダヤ人だったのだ。

 ユダヤ人という、歴史の中で迫害され続けてきた人々のその重さを、私が本当に理解しているかは疑問だけれど、どういうわけか同じ人間でありながら、私たち人間は差別を創ってきた。差別を設けることで何を守ってきたのだろう。日本にもがあり、アイヌがあり、朝鮮人がある。人々は同じ人間に異質なもののレッテルを貼ることで、結束とかさらに下の人々を意識して自らを慰めるとか、してきたのだろう。

 『詩人の恋』には、第2次世界大戦下のオーストラリアでユダヤ人として少年時代を送った者と、大戦の勝利国アメリカで生まれた若い青年のそれぞれの人生が、全く違う世代でありながら結びついていく不思議さを描き、さらに現代の危うさに警鐘を鳴らすようにも見えた。また、宗次ホールでのデュオリサイタルはオペラの古典作品を歌い上げるものであったが、彼女は私の下の娘と同じ歳で同じ小学校へ通っていた。彼女の両親が経営する音楽教室のバイオリンの生徒が娘たちで、付き添っていた私は音楽教室の子どもたちとも顔馴染みだった。

 晴れの舞台で堂々と歌う彼女を見ていて、歳月の流れを感じさせられた。子どもたちが大きくなったということはそれだけ自分が歳を取ったということでもある。彼女や子どもたちの人生が、これからさらに充実していくことを予感できるのに、これから自分自身はどうなっていくのか、「それぞれの人生」を考えさせられたというわけである。
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