大阪鋼巴球迷的博客(だあばんがんばあちうみいだぼーくぉ)

熱烈なるガンバ大阪サポの筆者が、世界で最も多くサッカーファン人口を持つ中国にガンバの名前を広めんと日中二ヶ国語で発信する

ヨルダン戦を見て-監督と選手との間でのサッカー観の衝突が気になる

2011-01-10 10:49:51 | サッカー全般
ヨルダン戦を見ていると、いろんなところでの欧州とアジアでのサッカー観やスタイルの違いというのがこれから浮き彫りに出てくるだろうな、と思えてきた。

例えば失点場面にしても、シュートを打たれる前にヤットがスライディングをかわされて切り替えされているんだけども、こういうプレーって例のイタリア人監督本が指摘するように、スライディングって余程ボールを狩れることが分かっている状況でない限りはするべきではない、という風にイタリア人なら考えるだろう。この試合でヤットは上がりを自重して後ろからの供給役に徹し、敵陣で奪われると相手の攻撃を潰すという役割に徹していたけども(それはガンバでやっているポジションとは違う。おまけにCKがサガン鳥栖、じゃなかった飛ばないヤツだったんで最後はショートコーナーに切り替えていた)、一番悔やまれるのはあのスライディングなんだけども、だからといってそれだけでヤットを責める気にもなれない。彼はそうしたプレーをよしとする環境の中で今までプレーして来たわけで、その延長上にガンバではルーカスがスライディングをして2度に渡る怪我をしたわけだから。そこら辺がイタリア人監督と日本人選手たちのサッカー観の相違なんだけども、これはある意味サッカー版「文明の衝突」といっていいかもしれない。これは、1年ほど前に例のイタリア人監督本が世に出た時にも書いたことではあるんだけどもね。

そうした「文明の衝突」というのは攻撃においても現れていて、一度前田が左サイドで開いて中のスペースを開けた場面なんかでザックがなぜだと言わんばかりに手を広げていた。これは前田がサイドを開いたことを差しているのか、あるいはなぜゴールの方にボールを運ばなかったのかが不明なんだけども、後半前田に替えてチュンソン投入というのはそこら辺が微妙に関係しているのかもしれない。日本人選手らが考えていたのは、前線の選手が流動的にポジションを変えるやり方で、これはガンバ、鹿島、セレッソなどでやっている南米流とも言えるものだが、欧州ではポジションを固定してやるのが主流になっているから、前田がサイドに開いたのが気に食わなかった、と十分に考えられる。チュンソンは確かにゴールに向かっていく意欲は買うけども、試合終了直前の場面なんかは、前田だったら何とかしていたんじゃないか、とレバたらを口にしてしまうんだわ。

そう考えると、監督と選手との間でのサッカー観の相違っていうのは今のところ仕方ないが、そこら辺は試合を重ねるごとに摺りあわせていけるものなのか、それともその違い故にチームとしては成熟しなくなって行くのかは見守っていくしかないな。

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