大阪鋼巴球迷的博客(だあばんがんばあちうみいだぼーくぉ)

熱烈なるガンバ大阪サポの筆者が、世界で最も多くサッカーファン人口を持つ中国にガンバの名前を広めんと日中二ヶ国語で発信する

誰に頼まれて暗い顔してんの?

2008-08-23 03:23:16 | ガンバ大阪
あれは、確か野球では管理野球で一斉を風靡した元名監督の著書の中で読んだエピソードだったか。そう、選手にバランスの取れた食生活を実践することが大事であることを証明する為に痛風にかかり、自らを反面教師とするように選手に対して説いたあの人なんですがね。その人がなんとあの、中村天風に師事していたらしいんだけども、その天風さんが病気を患って海外旅している時にヨガのカリアッパ師にこんなことを言われたらしい:

「お前は誰に頼まれて暗い顔してんだ?」

その後に、大監督は以下の天風の言葉を引用する

(引用開始)
今日一日、怒らず、怖れず、悲しまず、正直、親切、愉快に、力と勇気と信念とをもって、自己の人生に対する責務を果たし、常に平和と愛とを失わざる、立派な人間として生きることを自分自身の厳かな誓いとする。
(引用終わり)

ということでまあ、それから引用した著者は、「自分には甘く、他人に厳しい」大監督の王道をその人は歩んでいったということですw

別に宗教的・哲学的な話をしようと思ったわけでもなく、えーと、なんで大監督の話からしようかと思ったら・・・あ、そうか。この人が天風の話を持ち出してナンヤカンヤ言うからでしたね。それがサポの心境にも大いに関わりがあるということなんですがね。

結局ね、サポなんて悟りの境地に入ってないと、いちいち落ち込んだり、腹立てたりしていたりしたらやってられんということなんですよw

今は確かに、根拠もなく楽観的になれる状態ではない状態だということは自分でも判っている。しかし、だからといって、サポがネガっているだけで何かが改善されるだろうか?周りの雰囲気が良くなるだろうか?全てを改善するには、まず、我々の気持ちの持ちようから始まるのではないだろうか?私がよく言う例えで言えば、コップに半分の水が入っているのを見て、半分しかないと思うか、まだ半分残っていると思うか、である。

それでもそういう気になれない、というならば、もう一度天風サンの話に戻ろう。彼は結核を患ってカリアッパ師に会った時に言われた別の言葉を引用しよう:

「俺がお前に初めて会った時にお前は腹を立てたなあ、その時こう言ったろう、お前が頭が痛かったり、熱があったり、何時死ぬか判らないような苦しみを持って何が幸福ですと言ってお前が俺に突っかかった時俺はそう言ったね。”それでもお前は生きているじゃないか、生きている以上に楽しいことがあるか?”」

そうなんだよなあ。先週の今頃には友人の訃報に触れて悲しみに暮れたんだけども、その時に改めて思った。自分が今現世で苦しんだり悲しんだりした憤っていたりしていることなんて、彼が生死を彷徨い、生きようとしてもがき苦しんだことに比べれば実にちっぽけなことだ。まして、ガンバが勝てないことなんて・・・

だから、明日スタジアムへ行くことが出来て、自分の好きなチームを応援できることは、普通の人間にとって何でもないことではあるけども、それ自体は凄く幸せなことじゃないかと思うわけよ。美味G横町で美味い物食べるのもいいし、開門前にいつも会っている仲間とダベるのもいい。そうしたことは生きているが故に享受できるのであって、その喜びを噛締めて欲しい。それが、亡くなった彼に対する最高の供養であるのだから。


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