大阪鋼巴球迷的博客(だあばんがんばあちうみいだぼーくぉ)

熱烈なるガンバ大阪サポの筆者が、世界で最も多くサッカーファン人口を持つ中国にガンバの名前を広めんと日中二ヶ国語で発信する

アタッキングサードのイマジネーション、という言い方に解く鍵がある

2015-04-06 00:20:10 | ガンバ大阪
今のガンバはカウンター一辺倒というわけではなく、ポゼッションも交えた上でカウンターが強力だというのが名古屋の西野監督のガンバ評なんだけども、あの人が今のガンバを見ればやはりパトリックを裏に走らせるカウンターの印象がやっぱり強いのかな・・・まあ、パトに対しては闘莉王がついていたわけだけども、最後まで闘莉王を前に上げなかったのは、パトに対するケアだったのか(パワープレーがカウンターのリスクを起こしやすいのは確かだが)、前線が交通渋滞引き起こす(確かに川又や永井に言わせれば闘莉王大作戦なんていい迷惑ではあるけどもね)のかは解らないけども。何となく今回は闘莉王が我慢していたように思える。

まあ、アタッキングサードでのイマジネーションの差が出たようですw 実はこの言い回しに西野サッカーの謎を解くヒントが隠されているわけです。名古屋サポの間でもアキラに対する評価が下がっていて、その理由の一つがどうも決め事が少ないということらしい(実際永嶋のようにグループ戦術不在をはっきり指摘する専門家もいるし)。

西野時代のガンバを振り返ると確かにそんなにガチガチに決め事を決めるという感じではなかった(故に守備におけるポジショニングの調整がままならず、智のラインコントロールに頼り、ハーフタイムではハッシーが修正の指示を出していた。その間ヤットが何をしてたかは知らんけどw)んだけども、裏返せば約束事で選手らを縛るとそこから先自由な発想でもって崩せなくなる、と考えてる節が西野氏にはある。それがピクシー時代の初期の頃は約束事がまだそれなりにあったんだけども(一年目のピクシーのサッカーは個人的には好きだった)それが西野政権になってから決め事の少なさ故に名古屋の選手らにはまだ戸惑いがあるのかもしれない。

まあ、組織で言えばトップダウンではなくボトムアップ型だと言えばしっくりくるかもしれない。トップダウンで言われたままにしか出来ないよりは自分たちで判断して行動を起こすという意識をアキラは選手に持たせようとしているんだろうという気はする。その中で山口智にしても橋本にしてもそこで攻撃陣と守備陣との間で意見が異なる(それぞれ利害が反することが多い分だけ)調整役としての役割を果たしていたわけで。だからまあ、名古屋の選手たちも自分たちでやり方を構築するっていうところは考えてやっていいということにはなる。それは決してガンバと同じやり方ではなく、ピクシー政権下でやっていたことを思い出すっていうのでもいいとは思うし。その場合誰が調整役になるのか、っていう話なわけですが。でも、選手間の間で闘莉王大作戦をやった方がいいという風に選手らが考えるんなら多分それを監督は咎めたりはしないでしょうね。

翻ってガンバなんだけども、健太監督になってから守備の約束事が増えたことにより、西野時代におけるような裏を取られての失点、というのはめっきり減った。それが一部では機械的になった為に自由な発想が失われたという批判はあるんだけども、これも守備の安定の為には仕方がない選択であり、その中でもかつてのガンバの残像は残っていると考えたりもしているんで、決して今の路線は否定しているわけではないですけどもね。