ねむたいむ

演劇・朗読 ゆるやかで懐かしい時間 

2011・3・11のあと

2011-03-21 | Weblog
普通の生活がある日突然途絶える。たった一日でなにもかも失くしてしまう。
テレビや新聞を見て、あまりの悲しさに涙が出てくる。
東北には行ったこともなく、知り合いもいない。
それでも同じ日本で、同じ血が流れている人たちが悲惨な目にあっていると思うと、他人亊ではいられない。あれは自分だったかもしれない。
テレビから流れてくる映像に感情移入しすぎてしまって、苦しくなってくる。だめだと思ってスイッチを切る。でもそのことが、現実から目を背けているようなうしろめたさに変わる。何かしなければと募金をする。でもまたそのことが、自分の気休めに過ぎないのではと落ち込む。遠く離れた関西に住む私ですら、今、平常心を保つことは難しい。

千葉の従姉妹に、そちらはちゃんと日常が送れてる?と聞いたら、大丈夫よ~と返事が返ってきたが、関東は、計画停電や買占めや、いろいろ大変のようだ。
振り返れば、阪神大震災のあと、大阪でも、買占めのようなことが起きていたような気がする。
いろいろ考えてしまって、不安感が増していくのかもしれない。
普段から「我欲」の人間が、助け合おう思いやろう、など言われても信じられないのかもしれない。自分のことは自分で守るしかないと思ってしまうのかもしれない。

でも、原発の事故を含め、今回の状況は、いままでとは比べ物にならないと思う。
今はそれぞれが本当に日本全体のことを考えて行動しないと、たいへんなことになってしまう。
「我欲」を捨て、と言った人の言葉は批判を浴びたけど、
ある意味、当たっているのかもしれない。

時が、そして人の力が、すべてをよい方向に導いてくれることを信じたい。