ねむたいむ

演劇・朗読 ゆるやかで懐かしい時間 

現実ではない場所

2010-01-21 | Weblog
大人の小説にもあるにはあるけれど、児童文学には「現実ではない場所に迷い込む」というのがよくあって、私は子供の頃、この分野の物語がとても好きだったし、大人になってからも、もちろん好き。
その別世界に通じるツールというか媒体となるのは、たとえば大時計の音だったり、使われなかったチケットだったり、洋服ダンスだったり、階段だったり、エレベーターだったり、絵だったり、窓だったり、鏡だったりするのだが、そういう道具立てにも、ワクワクする。
秘密の場所は、現実のすき間に、ひっそりと扉をあけて待っている。
3月の星みずく公演の「オルゴールの船」も、そんな秘密の場所にスリップするお話だ。
なんて考えていたら、今年劇団大樹さんで、以前私が書いた「マダムグラッセの家」というお芝居を上演してくださるということを聞かされて、あれも、秘密の場所にスリップする大人の童話だったなと思い出し、なぜかそんな物語を読みたくなった。
で、引っ張り出したのが、昔読んだ高楼方子の「時計坂の家」という本だ。久々に秘密の場所に迷い込む楽しさを味わった。児童文学だけど、これは大人が読んでもぜったいドキドキする。
封印された扉の向こう、幻の楽園の誘惑に負けて、どんどん深みにはまっていく主人公の少女。秘密の楽園は、背徳の園であり、欲望の深淵であり、切ない憧れだ。
チェルヌイシェフという時計技師、リサさんというお手伝いさん、行方不明になったおばあさん、秘密をかかえた無口なおじいさん。考えたらみんなすごく哀しくてセクシュアルだ。禁断の場所に堕ちていった人と、踏みとどまった人。その紙一重の差。児童文学だけど、なんだがいろいろ考えてしまった。
読みながら、いろんな想いが自分のなかを右往左往している。こういう本が私はやっぱり好き。本を読む楽しみは、心を自由に散歩させるということだ。
ついでに、久しぶりに埃をかぶった本棚を整理した。整理しながら、「現実ではない場所に迷い込む物語」を取り出して、床にちょっと並べて写してみた。これ以外にも、まだいっぱいある。

コメント
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