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蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

しとど枕を濡らす涙

2010-06-20 | 子育て
ただ一人、家に残っている次女が、一人暮らしをしたいと言い出した。

長女も長男も、仕事の都合で、遠方で暮らしている。
次女は、就職して1年半。
時々、遠方に出張はあるものの、通常は、通えない距離ではない。

賃貸物件をインターネットで物色している。
8畳は欲しいなあ、と、娘。
それをチラと見る私。複雑な思い。
また、人の気配のない、ガランとした部屋が増えるのか。

ほんの少し前までは、床も見えないほど散らかり放題の彼女の部屋。
仕事にも慣れたのか、徐々にいろんな掃除グッズを買ってきては、
部屋もピカピカ、その他の家の中もピカピカ、お菓子作りも熱心、スーツも自分で洗濯・・・
あれこれ家事に挑戦し、家の中が美しく充実するにつれて、私は、嬉しい悲鳴をあげていた。
一人暮らしができるかどうかトライ、挑戦したようだ。
家事をやってみて自分の成果が、自信につながった。

私は、嬉しかった悲鳴が、哀しい涙に変わった。

この子も出ていくのだ。
山に帰る、野生の動物とおなじ。
卒業おめでとう、の、涙で見送らなければ。

そう思っても、涙は止まらない。
一番下、最後に残っていた子ということもあって、特に辛い。

自分もそうやって、家を出たじゃないか。
それは、結婚という、社会に守られた枠内での、単なる横滑りだったのだけれど。
親は、喜んでいたし。私も、安心したし。
姉が結婚する時、母は寂しくて、辛くて、身を切られるような思いに、わんわん泣いていた。
私の時は、結構、縁談にも、わがまま言い放題だったので、ほっと肩の荷が下りたのではと想像する。
母は、結婚式でも、ゲストのユニークなスピーチや、可笑しいエピソードに、
涙を流してゲラゲラ笑っていたし。(笑いすぎやろ~って、思ったぐらい・・・)
両親には、ほんとうに感謝する。


子育てに必死で立ち向かい、暑い夏の盛りを過ぎ、やっと秋が来たと思うと
手をするりと抜けて、飛び立ってしまう。
楽しい、嬉しい時期、ああこの世の春だ、と思っていた時間は、こんなに早く終わってしまうのだ。
まだ喜びを充分、味わい尽くしていない、と欲を張る、
竜宮城の浦島太郎?

それが、時の流れというものか。
誰にも止められない。
永遠に心の中の思い出として、思いとどめておくしかないようだ。


寂しい思いをするぐらいのほうがいいのだろうか。
姻戚の、ある一家は、40才を超える未婚の娘さんと暮らしている。
とても楽しそうに、旅行などにも一緒に行かれている。
うちのお隣さんは、娘さんご一家と賑やかな毎日を送られている。
世の中には、引きこもり、会話なし、という悲惨な家庭もあるのだろうけれど。

いろんな家庭が、あるのだ。
子供が、それぞれに自分の道を決めて、進もうとするのを
寂しいからと言って、引きとめるのは、親のエゴだ。
子供の将来を考えると、成長の過程なのだから、応援してあげなければ。

しかし、自立のメドはついたものの、娘には、お付き合いしている人も、その先の結婚も、
一向に姿もカタチも気配も見えないのは、かなり不安でもある。
(私の目が曇っているだけ? お相手がいるなら、嬉しいことだが)

離れて暮らす子供たちに・・・・親の婚活かぁ・・・
そう言えば、長女への親の婚活は、今、小休止中だ。

親は、ツライ・・・

そうやって、自分も親の溢れる愛情、涙の数々を踏み台にして、
今日に至っているのだろうけれど。


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コトバの不思議

2010-06-19 | 趣味
ダンスのK先生。営業がお得意。

ある生徒、Aさんが、来月末に行われるパーティに、参加しないという。
「でも、パーティー券は買わせていただきます」、とのことだ。

その話のあとに、普通にレッスンが始まり、1曲踊ったあと、突然、唐突に、先生が
「スローさんの顔見てたら安らぐわ~」と、おっしゃる。
・・・?? ・・・???
「居てくれるだけで、和むわ~ほんまに」

周りの誰かさん
「ほんと、いつも口角、上ってるし」
・・・?? ・・・???

私は、いつも自分のダンスがデタラメなので、ゴマカシと照れ隠しに、
へらへら、にやにや、ニタニタしていることは、確かだ。
でも、そんな、人様に、わざわざ皆の前で言っていただくような、大福様のような顔ではない。

ちょっと誉められ過ぎかな・・・と、落ち着きをなくし
「私、小学校の時から、こんな顔です」
と、会話に続くフォローがしにくいようなことを、ぼそっと言った。

話は、そこで終わったのだが
なぜ、あんなに唐突に、あんなことを先生がおっしゃるのか・・・と考えた。


「いっしょに、出ましょうよ、ね!」
と、腕にからみついてきた、私とペアを組む美人女史。
・・・自分なりに、わかった・・・。
Aさんが参加しないということで、私には、ぜひ参加させたかったのだ。
周りの人もグルになって、私の逃げ道を防いだのか。

パーティ参加者・促進の営業・第一弾、
先々週は、「スローさん、福顔やね~!!」発言だった。

いくら私に特徴がないからって、
私が霞(かすみ)を食べて生きているからって、
褒めコトバを探そうとしても、思いつかないからって、
もっと実体のある、他の褒めコトバはないのだろうか?

たとえば、スタイルがいい、とか、美人だとか、素敵だとか、センスがいいだとか、
女性が喜びそうなコトバは、いくらでもある。
外見上は、無理、逆効果としても、
熱心だとか、覚えが早いとか、打たれ強いとか、なんでもいいから、あるんじゃないか?
しかし、それを言ってしまうと、明らかに「ウソ」とわかるから、避けているのはよくわかるが。
なんて、わかりやすい人たちなの・・・善良なイイ人たちだ・・・
「正直」って、時には、人をやさしく傷つける???


以前にも、とある会議で、やむをえず出席できなかったHさんがいた。
Hさんの都合で、出られないのだが、要の人なので、その人が出ないと、会議の意味がなくなる。
他の出席者との日程の調整も終わっているので、変更はできない。
そこで、Hさんに、強く、懇願された。

「私は出られないけれど、会議の出席、お願いね。
あなたは、居てくれるだけでいいから。
ほんとに、居てくれるだけで、それだけでいいから」

これって、時々、私はそういう風に言われることがある。
嬉しいかというと、そういうことはなく、いたって、複雑な心境。
「あなたが居ると、物事が、きっちり片付いて行くから」とか、
「皆の意見を調整してくれるキーマンだから」とか、
そんなことでは全くなく
「居てくれるだけでいいから。和むから」と。
争いの場では、役立つだろうが、会議の場では、「アホ」と言っているようなもの。

私が、いかに霞を食べている人種がということを証明しているかのような、おコトバだ。

コトバって不思議。
ちょっと言い方を変えると、角が立たない。
アタマに来ることはない。
でも、いくら楽天家、プラス思考、鈍感な私でも、
哀しいような、笑えるような、きっとホントなんだろうな、と、思えるような。
自分で気付いて、自分で対処・改善してね、って、言われているような。

人を動かすのがウマい策士の手にかかると、知らない間に、気持ちよく操られている。

主食を霞から、玄米にでも変えようかな?
いまさら、無理か・・・


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お金で幸福は買えないが、不幸を回避できる

2010-06-18 | 

昨夜は、ちょっと蒸し暑かった。

メタボ、暑がり夫。
暑い、暑い、暑い・・・暑い、暑い、暑い・・・と、
寝室で、七転八倒。
ベッドから、ズシンと、ころがり落ちたり、そのまま、ベッドの隙間で寝たり
動物園の熊のように、ベッドの周りをうろうろしたり、・・・。

暑い、暑い、暑い・・・・
何度も何度も口に出して言う。

そもそも私とは、体感温度が違う。
私は、そこまで暑いと思わない。
まだ6月なのに、先が思いやられる。
全く理解できない・・・と、心の叫び・・・

そう言えば、私も先月の訪れたカンボジアで、家族で私だけが、暑さにダウンした。
それは、アレルギー的な病気も発病したことだし、今回とはまた別枠。
(と、ここで、自分を甘やかす)

夫は、マイカーでも、快適な季節の時もエアコンをつける、もろ、アンチ・エコ派。
夏は、走る冷蔵庫のよう。クール宅急便のバイトが、できそうだ。
家に帰ると、エアコンをいつもガンガンきかせて、朝までつけっ放し。
冷え性で悩む女性の気持ちなど、皆目理解できそうもない。


まあ、なにしろ、夫は、太った体で、ドタンバタンとうるさく、
ただでさえ暑苦しい寝室を、さらに暑苦しくしている。

私は、睡眠妨害に耐えきれず、
「クーラーつけたら?」
と言って、むくっと立ちあがると、夫は、「ええんか?」と
目が輝いた(かどうかは、暗くて見えないが)。

「まだ6月やのに、今からそんなんだったら、どうするん?」
と、うんざりしながら、私は、エアコンのスイッチを入れて、夫のベッドに置き、
バタンとドアを閉めて、寝室を出ていき、別の部屋に移った。


これが、狭い窮屈な、身動きできない部屋なら?
エアコンが、なかったら?
逃げ込める、別の部屋がなかったら?

自分と体感温度が違う人間同志、夜通し、ひと夏中、いがみ合って
辛抱するしかないわけだ。
まして、隣に、両親や子供たちがひしめき合って、寝ていたら・・・??
全員で我慢するしかない。

そうやって、家族一丸となって辛抱して、美しい家族愛を育むのかも知れないが。
子供が育つ成長過程で、なにも我慢することを知らずに大きくなって、
耐久性や適応性が備わらずに、大人になると、大変なことになるのだろう。

ちなみに、私は小さい頃から、まあ、辛抱、忍耐は積んできているので、
まあ、これぐらいの年齢になったら、もうそろそろ、優先座席に座わせていただいてもよろしいかと。
(と、また、ここで自分を甘やかす)

別の部屋(と言っても、遠方地に赴任している長女の部屋)で
その部屋があることに感謝し、自然の風を取り入れ、のびのび体を横たえられ、ほっとした。
お金で幸福は買えないが、不幸を回避できる、ありがたみをつくづく感じ、感謝した。
お金の持つ力を、効果的に利用でき、本当に身につまされて、喜びを実感した。

世の中には、離婚したくても出来ない、悲惨な状況もある中で、
ちょっと離れて過ごせる、空間の余裕は、心の余裕に直結する。
(ただし、災害や事件、病気などの有事の時は、至近距離にいる「ありがたみ」を感じることだろう。)


ということで、別の部屋に移ったものの、
ドタン、バタン、暑い、暑い・・・の呪文が、夢の中で再現、繰り返されて
熟睡することは、できなかった。

知らない間に、うなされていたのか、朝、目が覚めると、汗、びっしょりになっていた。


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奥サマのカン違い

2010-06-17 | 仕事
過去のある日のこと。

仕事でのこと。
外部スタッフにサポートしてもらう時期もあった。
外部スタッフの一人、Nさんと、仕事をしてもらう日時を決めるにあたってのやりとり。

「○曜日は、幼稚園のお迎えがあるので、その時間は無理です」
「○曜日は、テニスの練習があるから、ダメです」
「○曜日は、お友だちと会う約束があるから、NGです」
「○日○曜日の○時~○時なら、大丈夫です」

どうやら、ご自分の子育てと趣味と、お楽しみの時間は確保した上で
余った時間を、仕事に使いたいという方針のようだ。

そこまでして、お手伝いをお願いするほど、こちらは深刻な人手不足でもないし、
仕事をしたい人は他にも大勢おられたし、
Nさんにしか出来ないことなど、なにもないので、
彼女に仕事をお願いすることは、なくなった。


それにしても、なんと明るい朗らかな、ご自分スケジュール。
仕事を何と心得ておられるのでしょう?
もともと仕事なんぞ、本気でする気がないようなので、選択を誤っただけと言えるが、
優雅な奥サマには、それに応じたライフスタイルをお送りになられるのがよろしいかと。
その、まったり生活には、間違っても、「仕事」が混在することは不可能だ。

奥サマの趣味が高じて、お料理や、フードコーディネーターなどの仕事も、
実際の仕事として行う場合は、かなり厳しい。
趣味で楽しむのと、仕事としてやるのとでは、雲泥の違い。

「少しだけ働く」というスタンスも、可能な職場と、不可能な職場がある。
「少しだけ」のさじ加減が、難しい。
自分の思いが反映できる働き方を見つけようと、皆さん頑張っておられるが
そんな都合のよい職場があるのなら、お教えいただきたい。

過酷な労働に耐えている、黙々と働いている人もおられるが、
私の知る範囲では、
自分の能力と努力、やる気、覚悟に応じた職場を探すべきだと感じる人も少なくない。
仕事に対するモチベーションと深く関係していると思う。


仕事も分野や、職種、形態が広範囲、マチマチなので、一般論を言うと、焦点がボケる。
自分の周りのことだけ見て、自分のことを棚に上げて、あれこれ、だらだらと・・・
切れ味悪く、〆ができないのが、心残りですが。


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切れ味スッパリ、ビターな一言

2010-06-16 | わたし
ずっと以前のこと。
私は、うんと若かった。

とある初対面の女性との会話。
なにげない世間話をしていた。

「夫は、○○をしています。」
「父は、○○です。」

別になにも意識せずに、会話の中で私は、そう言った。
すると、その女性。

「で、あなたは、いったい何をされてますの?」

鋭利な言葉が突き刺さり、うっっ、と、きた。
返す言葉が、なかった。

その、いかにも、「ここで一言、イッパツ言わないと!」みたいな彼女のクールな言い方。
私は自慢をしていると、受けとられたのだろうか。
そんな気は全くなかっただけに、とても意外な気がした。

当時、私は、結婚したばかりで、子供も次々と生まれ、何をしているかと言えば、
答えられるのは、「子守り」ぐらいだろうか。

「子守りです」と答えたかどうかは別として
こういう受け取り方をされること自体が、大きな発見だった。


何も知らない相手に個人情報を漏らすのは、不用心だ。
なんのメリットもない。
こんな切れ味スッパリ、刃物のような響きをもった、切り返しが来るとは予想していなかった。

親や夫の乳母日傘のもとに、のうのうと暮らしている、そんなみっともない実情を、
テレもせず、堂々と、笑顔で話しているような私そのものが、
彼女には、たまらなかったのだろうか。
その誇り(と彼女にはに見える)、ちょっと違うやろ、って、言いたかったんだろう。


あれから、年月は流れた。
私は働き始め、社会に出て、自分がいかに世間知らずかということを知った。
そして、自分の家庭や私生活などは、世間の人は全くなんの関心も無いことだとわかった。
共通言語は、何?
話題を、家庭や子供、地域限定ネタ以外のところから、見つけ出さなければならなかった。
それまでの私の世界は、とても小さかった。


自分自身の実力とは関係ない、
持ち物や背景、ひいては、自分の子供を自慢の対象にしている方々がおられるようだが、
あれは、実にみっともない。
自慢すればするほど、自分はアホだ、と言いふらしているようなものだ。

自分自身がやっていることを自慢すべきだ。
無いのなら、ひとつでもそういうことを見つけるべきだ。
誰も耳を貸してくれないこともありえることを、もちろん承知の上で。

逆に、人の家庭や、家計簿、暮らし向き、
あげくの果てには、ゴタゴタ、ドロドロに興味津々の人がおられるようだが、
比較して、どうする気だ?
反省材料にでもして、家計を引き締めたりする気があるのか?
そんな気がないなら、比較などせずに、自分自身でもっと精進の道を歩めば?と言いたい。
それとも、「うちはまだマシ、他人事でよかったわ」と、人の不幸をネタに、安堵したいのか?

出ました!
「パンがないなら、ケーキを食べれば?」発言。
上から目線、確信犯。

幸か不幸か、私はそういう類いの人々を直接知らない(おそらく直観的に避けている)ので、
体験談を聞いたり、事件簿や人間ドラマ、人様のブログを読んで、
へえ~、こんな人もいるのか・・・と、絶句するばかりだ。


もちろん、悩んでいる人の話を聞いてあげるぐらいのことなら、アホな私にもできるが、
悲しいかな、力にはなってあげられない。
「聞いてくれるだけでいい」と、いつも私は甘やかされ、ますますアホになっている。


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カップリングは、ムツカしい

2010-06-15 | 人生
カワイイ(あるいは美人)、親がお金持ち、性格がいい、アタマがいい、自分でも立派に稼ぐ能力がある、

こういう女性は、学生時代の同級生を夫にするのが、一番いいだろう。
東大卒の女性によく見る例である。
社会に出ると、男性は、なぜか自分よりデキのいい女性を敬遠する傾向にある。

そんなこと、全然気にしない男性がいたとしても、男性はよくても
女性と同じぐらいのレベルでないと、今度は女性が気にする。

デキのいい女性は、結婚相手の絶対数が少ないということになる。
せっかく苦労して手に入れたキャリアなのに、結婚相手を見つけるのは、いたって困難。
あーあ、うまくいかない。

あ、これは、私のことではありません。
逆さにひっくり返っても、ありえません。
幸か不幸か、私はアホでしたので、逆に、自分と同じレベルの男性を見つけるのは困難。
同じようなレベルの人に会ったときは、なんてアホなんだろうと、心底、驚いたものだ。
私が出会った、ほとんどの男性は、私より優秀だった。


男性は下方婚を望む傾向にあるので、それはそれでよろしいが、
あぶれるのは、一番ランクの高い女性と、一番ランクの低い男性。
これらのアブレ・グループ同士は、決してマッチングしないと思われる。

しかしながら、男性のピチピチ若さと引き換えに、アラフォー女性とマッチングする手が残っている。
そうすると、年かさのいった男性が、最後に残る。
困った・・・・どうすればいい・・・・
社会問題にもなっているし、おちゃらけのネタとして扱うことはできない。

女性は、自分より結構年上、または同じぐらいの男性との、中古市場でのリサイクル婚が残っている。
うんと年のいった男性&女性は、
同世代同士、結婚にとらわれない穏やかな睦まじいシニア・ワールドを育む。


・・・・
最近の男女は、そこそこの年齢になっても、結婚しない。(できない)
私は、そのことに心を痛めている一人だ。
頭デッカチもさることながら、結婚による、プラスとマイナス、メリットとデメリット、
天秤にかけると、うーーーん・・・・結婚、しんどいな・・・・ということだろうか。
そんなリスクを冒してもよい、というようなおメガネに叶った、お相手が見当たらないのか。

こんなアホの私でさえ、もし、もっと経済力があれば、結婚は不可欠のものではなかったかも。
アホだからこそ結婚に頼ったとすると、
優秀な皆様は、ますます結婚から遠ざかるのかも知れない。


なんだか、なんの目新しくもない、わかりきったことをくだくだ挙げてしまった。
自分が考えをまとめるときに、こういうことをよく行う。
むりやり、おつきあいしていただき、恐縮です。


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負け戦に、学んだこと

2010-06-14 | 人生
小学校・中高学年ぐらいから中学にかけて、
私は、いやというほど能力主義を身をもって体験した。


小学校のクラスには、いろんな同級生がいた。
親がお金持ちのお坊ちゃま、お嬢ちゃま、
マシュマロみたいに可愛い女の子、運動神経のいい少年、
ちょっとヒネくれた子、生意気な子、芸能ネタが得意の子、芸術肌の子、
大人しい子、目立たない子、体格のいい子、元気な子、優しい子、正しい子、

そういう、いろんな特性は、個人の特徴としては現れたかも知れないが、
やはり一番の評価の決め手は、成績。
勉強ができるかどうか、だった。

勉強がよくできる子は、真面目で先生受けが良く、いつも学級委員長、副委員長に選出されていた。
休み時間には、優等生たちは先生の周りを囲んで談笑していた。
(私にはありえない、オソロシイ光景だった・・・)

要領よくて成績の良い子というものは、存在しなかった。
大人じゃあるまいし、子どもで要領よくて成績がいいなんて、ありえない。
そんな、まやかしが効くような、甘いものではなかった。
要領ではなく、もともと頭が良く、勉強も真面目にする子が、成績が良いのだ。

お坊ちゃま、お嬢ちゃまであっても、成績が悪いと、学校側から、転校のおススメ、肩たたきがある。
一人減り、二人減り、
逆に、一人入り、二人入り、と知らない間に、人が入れ替わっている。

映画「カイジ」(藤原竜也 主演)でもあったように、ビルからビルの間を綱渡りし、
着いていけない者は、谷底に落ちていく。(松山ケンイチ、渡り切ったのに、残念!!)
成績の悪い私は、そんな風に感じていた。

私は、ビリもビリ、絶壁の草にしがみついているような状況だった。
成績によるクラス分けが行われ、テストの点数順に並ばされた。
進学塾ではこういう風景は当たり前だが、義務教育である小学校での光景が、これ。
「神経ピリリ細かい子なら、きっと、やっていけないんだろうな」と、
惨めな自分を見て、もう一人の自分がそう思った。

そんな中にいれば、成績最悪の私、いくら天然・鈍感人間でも、
そりゃあ、多少は、ひがんだり、ひねたりもします。
きっと私のヒネ曲がった根性は、このときに養われたものだと思われる。
そして、これ以上、下はない、という、下の下の開き直りの根性も、ここで培われたのだろう。

未だに、偏差値地獄が頭にこびりついて、私を苦しめることがある。
どんなに可愛くても、どんなにお金持ちでも、どんなに爽やかでも、どんなに性格よくても、
アホだったら、奈落の底・地獄。
その地獄絵が私には、焼き付いて離れない。
偏差値・偏重教育の弊害をもろに、被ったわけだ。


中学では、そのメンバーが多少入れ替わり、新しい強力メンバーが大勢加わった。

中学の同窓会には、地元を離れて何十年も経っているのに、常時、私は顔を出している。
クラスメートの中でも、(私レベルの戦友は、私同様に、ほとんど戦死、討ち死)
戦争に勝った人々の顔を見に行くのだ。
自分は、のたれ死にしているが、勝利した人々は、華々しい人生を歩んでいる。
それを蔭からじっと、そっと、見たいのだ。
(わーわー、本人と直にしゃべってるけれど)

(ぞぞぞ、ちょっと調子に乗って、自己陶酔しすぎ?! すみません、悪趣味、確信犯です)

大袈裟表現にツッ走っている、キモ傾向ありだが、
私が、違う教育方針の学校に通っていたらどうだっただろう?
まったく違う私になっていたかも知れない。

「蝶よ花よ」の、可愛いほんわかお人形さんになって、毎日を美しく暮らせたかも知れない。
紆余曲折で、こんなにヒン曲がってしまったが、
別の価値観を持った、別の人生を歩んでいたかも知れない。
価値観は、育った環境とDNA、その後、歩んだ人生によって、形成されると思う。
特に出会った人々に、大きな影響を受ける。

私の価値観、実は、踏まれてナンボ。「下の下」から始まっている。
もともと出る芽などなかったのだが、出る前に、踏みつぶされたことにしておけば、
自分のせいでないということで、楽である。
人生、最初から負けている。挫折からスタート。

こうして、いつも安楽なところに身を置き、さぼっている。


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コロッケ物語

2010-06-13 | グルメ
スーパーに行った。
「昔ながらのコロッケ」という文字が目にとまった。

4個入りで、なんと120円。
安い・・・いくらなんでも。
いったい、どんな材料?

昔ながらのコロッケ、という甘く切ない呼びかけに、どういう味だっけ?
と、興味もあり、買った。

値段というものは、材料や手間で、だいたい決まる。
味は、材料、品質と、ほぼ比例する。
見かけやネーミングで、体裁を整え、消費者の目を惑わせる。

この安さで、充実した、おいしいコロッケなどあり得ない。
「神戸コロッケ」の何分の一の値段?
絶対にそう思ったが、昔懐かしい味なんだ、と、自分を納得させる。
わかっていながら、自分に別の理由をつけて、行動を正当化させようとする。

成り行きで、好きでもない人とメイクラブに、なだれ込んでしまう女性が、
「愛がないなら、イヤ」と最初は拒んでいたものの、
「愛しているから、イイ」「愛されているから、イイ」に、
「単なるその場のノリ」を「恋は、熱情の嵐!!」
と理屈づけて、自分の行為を正当化する思考回路のよう。
いや、ちょっと違うか?


棚に並ぶ激安コロッケ、
そんな安物に、普通の、通常価格の味や材料を求める方が尋常ではない。
はやい話、安モノを買う自分が恥ずかしいので、
「昔ながら」という理由づけを購入動機にすりかえ、自分をだまして、買った、というわけか。


さて、家に帰って、そのコロッケを取り出すと
まだ透明のパッケージから出しもしていない状態のコロッケを見て、娘の一言。

「わ。不味そう。私は、いらん」

こいつめ。
なんと的確に判断するんヤ。
しかも、外見一べつ、一瞬で、
私の迷いや、打算やら、計算やらを一発で見抜き、結論付けた。

動物的カン?
単に見た目が、かなり悪いだけ?

市場経済と産業構造、哲学と、心理学のエッセンスを凝縮したような、
生きた教科書のようなコロッケを一蹴された。

トータル、私は、3つ、娘は無理やり1つ、食べた。

娘「不味い!」
私「まあ、そう言わんと・・・」

娘「なんで、甘いん? いかにも、ニセモノ、インチキってかんじや」
私「材料は、もはやコロッケとは言えないような、そういうコロッケなんやから、しかたないやん、もぐもぐ」

本来、コロッケの材料は、ジャガイモ、玉ねぎ、ミンチ、あるいは、細切れ牛肉、その他、
いろんな(美味しい)食材が入っているのだが、
そのコロッケは、野菜(ジャガイモ、玉ねぎ)、砂糖、乾燥マッシュポテト鶏肉植物脂、
小麦粉、アミノ酸など、となっていた。
野菜であるジャガイモ、玉ねぎは、少なく、ほとんどが乾燥モノなんじゃなかろうか。
それを砂糖で、ごまかしてある。
美味しいはずがない。


古いものだって、稚拙なものだって、品質の悪いものだって、時代遅れのものだって、
そして、私のような中古おばさんだって、
「昔ながらの」という、まやかしマジックで、焦点がボケて、粗悪品でも良く見えるのだ。

社会の矛盾、建て前と本音、清濁併せ持ったコロッケ。
あの値段では、そういう結果は、ハナからわかっているけれど
騙されてみたいお年頃なのだ。

次から、あのコロッケを買うかどうかは別として・・・。


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おもひで

2010-06-12 | お付き合い
かつての職場仲間のIさん。

変わった人だった。
私はそれまでの人生の中で、人を嫌いになったことが一度もなかった。
「キライ」という感情は、こういう感情なのか、と、生まれて初めて経験した。

小学校高学年の時にいじめられていた、同じクラスのF君に対しても
中学になったら、サヨナラだからもう少しの辛抱、と、指折り卒業を待って、我慢していた。
しかし、その子には、後に仕事面で、尽力していただき、とても感謝している。

他にも、幼稚園の時にはとても仲が良かったT君。
だんだん疎遠になって、意地悪になってきた。
何十年もあと、同窓会でT君と話す機会があった。

「スローさんとボクは、結婚しないといけないんだ、子供心に思ってた」

幼稚園時代、家が同じ方向だったので、T君と毎日、同じバスに乗って帰っていた。
母親同志が元同級生ということもあって、親密だったせいもある。
そんな義務感に縛られていたら、そりゃあ、嫌にもなる。
しかも幼稚園から小学校低学年にかけて、そんなこと感じて苦しむ子供って・・・すごいです。
(その割には、大人になってからの彼は、楽天的な人になってましたが)

しかし、知らんかった・・・そんな律儀なことを考える子だとは。
好きだなんて、お互いに、一言も言ってないし。
第一、行きがかり上の偶然のおつきあい(?)で、好きでもなんでもないし。

まあ、どっちにしても、最初は仲よしだったけれど、T君には、結構いじめられたわけで。
そんな事情だなんて、全く知らないので、私はいじめられ損をしただけとなった。


まだまだ、いろんな善人が登場するが、
私がこれまで出会った人を、さして嫌いだと感じたことはなかった。
それは幸せなことだったのか、私がよっぽど、鈍感だったのか。

世界が二つあって、自分のいる世界と、もうひとつの世界があって、
自分がいる世界を、別の自分が冷静に眺めているということが多かったかも知れない。

泣いたり、わめいたりしている人を見ると、
なんで、あんなに感情的になるのか、とても不思議だったような気がする。
その分の揺り戻しが、今、きているのかも知れない。

もともと涙腺自体が機能していなかったようだが、
最近、涙腺が壊れてから、
一気に涙が、どどどと大洪水となって、あふれるようになってしまった。

無意識に、人生の涙量を自動調整し、帳尻合わせをしようとしているのだろうか。
自然な涙って、結構いいものだということも、わかった。




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変わりゆく日本

2010-06-11 | 時事&世の中
今朝の朝日新聞、亀井大臣辞任もさることながら、
「抜かれる日本 冷静な目」というキャッチで、
アンケートの結果が報告されていた。
「日本の今と、これから」をテーマに、日本の姿が浮かび上がっている。

GDP(国内総生産)が、中国に抜かれ、3位になるという。
「抜かれてもしかたない」と、冷静に受け止める声が多いなかで、
技術力や伝統文化には、誇りを持つものの、経済、教育、国際力、その他、
多くの方面で、日本人は、自信をなくしている。

富める大国の地位から引きずり降ろされても、
小さくても格差がなけれは、それでよい、とする意見が多いという結果からも、
安定志向が現われている。


私の世代は、ぐんぐん日本が上昇して行く、高度成長期の真っただ中、
熱い熱気の中で、国の成長とともに自分も成長した。
親世代は、戦争を挟み、モノに不自由した厳しい時代を生き抜いたが、
ピークを迎えたあと、最後の時代は、また降下していく。
上がったり下がったり、ジェットコースターのようで、心臓も体もタフでなければ生きていけない。

私の子供世代はどうか。
生まれた時から、モノに囲まれ、コンピューターやITは生活の一部、
抗菌が標準仕様となり、いろんなバイ菌に弱く、もろい。

ただ、がむしゃらに、富を追い求める必要性もハングリー精神もない。
仕事より個人生活を大事にし、出世欲もなく、ついでに、結婚にもあまり積極的でない。
エコ世代。

私の祖父母世代は、明治生まれ。
隔世の感がある。
「時代、生活を大きく変えた、エジソンが発明する前か、後か」ぐらいのギャップを感じる。

大量生産から大量消費へ。
先月、訪れたカンボジアでは、電気が十分に行きわたらない村もあった。
こちら側から見ると、もう、電気のない世界に戻れないが、
科学発展の進化はスピードを早め、
もはや、人間がそのあとを息を切らせて追い付いていこうとしているのでは?


中国に追い抜かされた後の日本は?
それより、日本を追い越したあとの中国は、今後ますます発展を遂げるだろうけれど、
世界のパワー・バランスは、どうなっていくのだろう?


毎日毎日を、しっかり、ちゃんと、丁寧に暮らして、幸せを感じていけること。
それが大事。
日本が今後、どんどん降下してゆく先には、
その幸せさえも維持できなくなる日が、来るのだろうか???

私のような、霞(かすみ)を食べて生きている、アタマのシワのない国民でさえ、
そういう不安を抱える、
そんな社会から、不安の種を少しでも払拭してほしいものだ。


でも、国に頼り過ぎず、自分も、もうすこしシッカリしないと、いけませんね。
顔にシワは、もう充分なので、脳ミソにシワを!!!


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