ここのところ、忙しい。
ごく近しい姻戚関係のMオバアサンが、亡くなったからだ。
亡くなった直後に連絡が入り、私の実家に連絡したり、途端に気ぜわしくなる。
日頃は全く、関わりがないが、亡くなるとなると、義理を欠くことはできない。
享年93歳。天寿を全うされた。
これといった病気もせず、亡くなる1週間前までお元気。
定例の趣味の会にも、顔を出したばかり。
まさに、PPK(ぴんぴんころり)。
家のことは、なあんにもしない、Mオバアサンだった。
孫と同じように、食い意地を張って、好物を奪い合い、
当時、幼かった孫が折れて、Mオバアサンに譲ったというエピソードがある。
嫁が旅行に行くと、不機嫌きわまりない。
出かける時は、いつもMオバアサンの段取りをして、オヨメさんは出かけていた。
別に病気でもなんでもない、Mオバアサンがまだ若く、ぴんぴんしている頃からだ。
威厳があり、怖れられていたMオバアサンは、家族に感謝することをしない人だった。
家族は、Mオバアサンを怒らせない様に、ご機嫌を取って、いつもピリピリしていたが、
オバアサン以外は、全員一致団結していたので、かえってそれで、あの家族は、まとまっていた。
Mオバアサンが亡くなり、敵がいなくなると、これからは、あのオヨメさんも、
「アンタの母親のせいで、私はこんなに大変なんよ!!」と、夫にきつく当たる理由がなくなる。
それはそれで、また新しい戦争が勃発しそうだ。
お通夜や告別式で「御愁傷様です」というべきところを
「おめでとうございます」と言ってしまったらどうしよう・・・と私は恐れていたが、
さすがにそんな、漫才ネタのようなヘマはしなかった。
でも悲しげな顔をするのが大変で、すぐ、頬が緩んでしまう。
好敵手であった内孫であるお孫さん(いまや2児の父親)は、
涙を流しておられた。
外孫の、可愛がられたお孫さんも、涙。
苦労されたオヨメさんも、涙。
最近は、ただでさえ、涙腺が壊れている私なので、
最後のお別れのご対面には、ハンカチを用意して臨んだ。
が、一滴の涙も流れなかった。
「涙」には、2種類。
「ありがとう」にも、2種類。
死んでくれて、ありがとう。
そのほうが、残された家族にとっては、悲しみも後を引かず、
長い間、同居でお世話してきたことも、周りに評価されるし、清々しい自己満足にも浸れるし。
とてもシュールだけど
死んで、感謝される死に方、つまり、自己中心を貫く生き方も、ある意味、あっぱれかも。
(ただし、これらのお話の背景は、オヨメさんが、ご自分の母上に、こぼした愚痴によるもの。
長い年月、それを私は、又聞きして、知りもしないのに、Mオバアサンのイメージを固らせた。
これは、感情のゴミ箱に入れたはずの、オヨメさんの不満が、実は別のカタチになって保存されたことになる。
悪口や愚痴は、いくら、ぱあっとしゃべったら発散できるからといって、あまり人に言うべきじゃないかも。
聞いた方も、そんまんま、人に伝えるというのは、長い目で見ると、あまりおススメできない)
Mオバアサンは、優秀な血を受け継いだ、子や孫、ひ孫を残し、彼女の人生は、意義あるものだと確信している。
Mオバアサン、天国でもジコチューを貫いてください。
ご冥福をお祈りします。
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ごく近しい姻戚関係のMオバアサンが、亡くなったからだ。
亡くなった直後に連絡が入り、私の実家に連絡したり、途端に気ぜわしくなる。
日頃は全く、関わりがないが、亡くなるとなると、義理を欠くことはできない。
享年93歳。天寿を全うされた。
これといった病気もせず、亡くなる1週間前までお元気。
定例の趣味の会にも、顔を出したばかり。
まさに、PPK(ぴんぴんころり)。
家のことは、なあんにもしない、Mオバアサンだった。
孫と同じように、食い意地を張って、好物を奪い合い、
当時、幼かった孫が折れて、Mオバアサンに譲ったというエピソードがある。
嫁が旅行に行くと、不機嫌きわまりない。
出かける時は、いつもMオバアサンの段取りをして、オヨメさんは出かけていた。
別に病気でもなんでもない、Mオバアサンがまだ若く、ぴんぴんしている頃からだ。
威厳があり、怖れられていたMオバアサンは、家族に感謝することをしない人だった。
家族は、Mオバアサンを怒らせない様に、ご機嫌を取って、いつもピリピリしていたが、
オバアサン以外は、全員一致団結していたので、かえってそれで、あの家族は、まとまっていた。
Mオバアサンが亡くなり、敵がいなくなると、これからは、あのオヨメさんも、
「アンタの母親のせいで、私はこんなに大変なんよ!!」と、夫にきつく当たる理由がなくなる。
それはそれで、また新しい戦争が勃発しそうだ。
お通夜や告別式で「御愁傷様です」というべきところを
「おめでとうございます」と言ってしまったらどうしよう・・・と私は恐れていたが、
さすがにそんな、漫才ネタのようなヘマはしなかった。
でも悲しげな顔をするのが大変で、すぐ、頬が緩んでしまう。
好敵手であった内孫であるお孫さん(いまや2児の父親)は、
涙を流しておられた。
外孫の、可愛がられたお孫さんも、涙。
苦労されたオヨメさんも、涙。
最近は、ただでさえ、涙腺が壊れている私なので、
最後のお別れのご対面には、ハンカチを用意して臨んだ。
が、一滴の涙も流れなかった。
「涙」には、2種類。
「ありがとう」にも、2種類。
死んでくれて、ありがとう。
そのほうが、残された家族にとっては、悲しみも後を引かず、
長い間、同居でお世話してきたことも、周りに評価されるし、清々しい自己満足にも浸れるし。
とてもシュールだけど
死んで、感謝される死に方、つまり、自己中心を貫く生き方も、ある意味、あっぱれかも。
(ただし、これらのお話の背景は、オヨメさんが、ご自分の母上に、こぼした愚痴によるもの。
長い年月、それを私は、又聞きして、知りもしないのに、Mオバアサンのイメージを固らせた。
これは、感情のゴミ箱に入れたはずの、オヨメさんの不満が、実は別のカタチになって保存されたことになる。
悪口や愚痴は、いくら、ぱあっとしゃべったら発散できるからといって、あまり人に言うべきじゃないかも。
聞いた方も、そんまんま、人に伝えるというのは、長い目で見ると、あまりおススメできない)
Mオバアサンは、優秀な血を受け継いだ、子や孫、ひ孫を残し、彼女の人生は、意義あるものだと確信している。
Mオバアサン、天国でもジコチューを貫いてください。
ご冥福をお祈りします。
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