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蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

切れ味スッパリ、ビターな一言

2010-06-16 | わたし
ずっと以前のこと。
私は、うんと若かった。

とある初対面の女性との会話。
なにげない世間話をしていた。

「夫は、○○をしています。」
「父は、○○です。」

別になにも意識せずに、会話の中で私は、そう言った。
すると、その女性。

「で、あなたは、いったい何をされてますの?」

鋭利な言葉が突き刺さり、うっっ、と、きた。
返す言葉が、なかった。

その、いかにも、「ここで一言、イッパツ言わないと!」みたいな彼女のクールな言い方。
私は自慢をしていると、受けとられたのだろうか。
そんな気は全くなかっただけに、とても意外な気がした。

当時、私は、結婚したばかりで、子供も次々と生まれ、何をしているかと言えば、
答えられるのは、「子守り」ぐらいだろうか。

「子守りです」と答えたかどうかは別として
こういう受け取り方をされること自体が、大きな発見だった。


何も知らない相手に個人情報を漏らすのは、不用心だ。
なんのメリットもない。
こんな切れ味スッパリ、刃物のような響きをもった、切り返しが来るとは予想していなかった。

親や夫の乳母日傘のもとに、のうのうと暮らしている、そんなみっともない実情を、
テレもせず、堂々と、笑顔で話しているような私そのものが、
彼女には、たまらなかったのだろうか。
その誇り(と彼女にはに見える)、ちょっと違うやろ、って、言いたかったんだろう。


あれから、年月は流れた。
私は働き始め、社会に出て、自分がいかに世間知らずかということを知った。
そして、自分の家庭や私生活などは、世間の人は全くなんの関心も無いことだとわかった。
共通言語は、何?
話題を、家庭や子供、地域限定ネタ以外のところから、見つけ出さなければならなかった。
それまでの私の世界は、とても小さかった。


自分自身の実力とは関係ない、
持ち物や背景、ひいては、自分の子供を自慢の対象にしている方々がおられるようだが、
あれは、実にみっともない。
自慢すればするほど、自分はアホだ、と言いふらしているようなものだ。

自分自身がやっていることを自慢すべきだ。
無いのなら、ひとつでもそういうことを見つけるべきだ。
誰も耳を貸してくれないこともありえることを、もちろん承知の上で。

逆に、人の家庭や、家計簿、暮らし向き、
あげくの果てには、ゴタゴタ、ドロドロに興味津々の人がおられるようだが、
比較して、どうする気だ?
反省材料にでもして、家計を引き締めたりする気があるのか?
そんな気がないなら、比較などせずに、自分自身でもっと精進の道を歩めば?と言いたい。
それとも、「うちはまだマシ、他人事でよかったわ」と、人の不幸をネタに、安堵したいのか?

出ました!
「パンがないなら、ケーキを食べれば?」発言。
上から目線、確信犯。

幸か不幸か、私はそういう類いの人々を直接知らない(おそらく直観的に避けている)ので、
体験談を聞いたり、事件簿や人間ドラマ、人様のブログを読んで、
へえ~、こんな人もいるのか・・・と、絶句するばかりだ。


もちろん、悩んでいる人の話を聞いてあげるぐらいのことなら、アホな私にもできるが、
悲しいかな、力にはなってあげられない。
「聞いてくれるだけでいい」と、いつも私は甘やかされ、ますますアホになっている。


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