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蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

コロッケ物語

2010-06-13 | グルメ
スーパーに行った。
「昔ながらのコロッケ」という文字が目にとまった。

4個入りで、なんと120円。
安い・・・いくらなんでも。
いったい、どんな材料?

昔ながらのコロッケ、という甘く切ない呼びかけに、どういう味だっけ?
と、興味もあり、買った。

値段というものは、材料や手間で、だいたい決まる。
味は、材料、品質と、ほぼ比例する。
見かけやネーミングで、体裁を整え、消費者の目を惑わせる。

この安さで、充実した、おいしいコロッケなどあり得ない。
「神戸コロッケ」の何分の一の値段?
絶対にそう思ったが、昔懐かしい味なんだ、と、自分を納得させる。
わかっていながら、自分に別の理由をつけて、行動を正当化させようとする。

成り行きで、好きでもない人とメイクラブに、なだれ込んでしまう女性が、
「愛がないなら、イヤ」と最初は拒んでいたものの、
「愛しているから、イイ」「愛されているから、イイ」に、
「単なるその場のノリ」を「恋は、熱情の嵐!!」
と理屈づけて、自分の行為を正当化する思考回路のよう。
いや、ちょっと違うか?


棚に並ぶ激安コロッケ、
そんな安物に、普通の、通常価格の味や材料を求める方が尋常ではない。
はやい話、安モノを買う自分が恥ずかしいので、
「昔ながら」という理由づけを購入動機にすりかえ、自分をだまして、買った、というわけか。


さて、家に帰って、そのコロッケを取り出すと
まだ透明のパッケージから出しもしていない状態のコロッケを見て、娘の一言。

「わ。不味そう。私は、いらん」

こいつめ。
なんと的確に判断するんヤ。
しかも、外見一べつ、一瞬で、
私の迷いや、打算やら、計算やらを一発で見抜き、結論付けた。

動物的カン?
単に見た目が、かなり悪いだけ?

市場経済と産業構造、哲学と、心理学のエッセンスを凝縮したような、
生きた教科書のようなコロッケを一蹴された。

トータル、私は、3つ、娘は無理やり1つ、食べた。

娘「不味い!」
私「まあ、そう言わんと・・・」

娘「なんで、甘いん? いかにも、ニセモノ、インチキってかんじや」
私「材料は、もはやコロッケとは言えないような、そういうコロッケなんやから、しかたないやん、もぐもぐ」

本来、コロッケの材料は、ジャガイモ、玉ねぎ、ミンチ、あるいは、細切れ牛肉、その他、
いろんな(美味しい)食材が入っているのだが、
そのコロッケは、野菜(ジャガイモ、玉ねぎ)、砂糖、乾燥マッシュポテト鶏肉植物脂、
小麦粉、アミノ酸など、となっていた。
野菜であるジャガイモ、玉ねぎは、少なく、ほとんどが乾燥モノなんじゃなかろうか。
それを砂糖で、ごまかしてある。
美味しいはずがない。


古いものだって、稚拙なものだって、品質の悪いものだって、時代遅れのものだって、
そして、私のような中古おばさんだって、
「昔ながらの」という、まやかしマジックで、焦点がボケて、粗悪品でも良く見えるのだ。

社会の矛盾、建て前と本音、清濁併せ持ったコロッケ。
あの値段では、そういう結果は、ハナからわかっているけれど
騙されてみたいお年頃なのだ。

次から、あのコロッケを買うかどうかは別として・・・。


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