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蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

ごらぁぁ、だれが、おばはんやねん

2013-09-17 | 日々のこと

非常に今朝は、うれしい。
なにが、うれしいかというと、手足が動くようになった。
正確には、両手の指が動くようになった。
キーボード入力には、足は使いませんので。

ピアノを弾くかのごとく、両手指をちゃかぢゃかと動かすと、とても気持ちいい。
しかも、自分で思ったことを同時に文字にできる。
ちょっと怪しい、自信のないコトバは、ググって、カンニング。
何十年も思い込み間違いをしていたコトバは、山とある。

とまあ、暫定的であるが、相棒が蘇ったのである。
世の中には、器用な人もいて、臨死状態のモノを生き返らせる魔術師もいるのだ。
「ただし、期間限定です」と、あくまでも緊急処置らしい。


・・・

で、・・・
関係ないハナシだが、

わたしは、自分に自信がない、いじけ虫(書いていて気づいた、あ、これ、死語)だが、
でも、ぜったいに、ババアとか、言わせない。

わたしの義母のことを話していると、
「で、そのババアは、どう言ってるの?」なんて、冗談口調で言う人がいる。
ひとのババアを(あ、間違えた)ひとの義母をババアだなんて、趣味の悪い冗談だと感じ、笑うに笑えない。
わたしは、義母のことを一度もババアだなんて思ったことはない。
「ばあさん」と陰口をたたいたことはあるが、愚痴相手は、ばあさんに頭が上がらない夫とだ。

ふたり、情けない。敵の敵は味方。
時には、義母とわたしで、夫の陰口をたたく。これまた、敵の敵は味方。
わたしと夫、わたしと義母。共通の敵を持つ。
ちなみに、わたしのことを、夫と義母で陰口言ってることはない・・・はず・・・だけど・・・?

また、脱線。ハナシを戻す。

義母は、威厳がある。
見かけとかではなく、存在そのものに、わたしは、尊敬の念を抱いている。
細かい生活面のあれこれは、お互い、好みや感覚の違いがあるので、どっちもどっち。
まあ、どちらかというと、わたしのほうが、分が悪い。

わたしは、人に一言で、彼女を説明するときは、「賢婦人」だと表現する。
見習うべきところは、かなりある。

と、それは、義母の話。
実母も、ババアなどとは呼ばせない。
これは、わたしと血がつながっているせいもあるが。
二人とも、信念のカタマリのような女性である。
戦中派には、アタマが下がる。実践、行動力。

と、これまた、母親たちのことでありまして、
わたしが言いたいのは、自分自身のこと。

とある場で、
「『おばさん』だなんて、呼ばせないわ。まして『ばあさん』だなんて、とんでもない」と、
アタマから火を噴いて憤慨していたご婦人がおられたが、どこをどう見ても、
「おばあさん」。
若干、モダンなかんじは、しているが。

憤慨している姿こそ、なんだかとても、哀れというか、気持ちはわかるが、見掛けは別。

なので、
こころの中では、毅然として自分を保っていたとしても、
他人に、見かけの印象を押し付けるのはいかがなるものかと。
いくら頑張っても、どんなに気丈で、お上品でも、年齢や肉体は、ばあさんは、ばあさんなので。


と、そういうことを前提として、言わせていただく。
(ああ、この前置きの長さよ)

わたしは、どんなに近い関係の人にでも、ぜったいに「おばはん」とは呼ばせない。
(気持ちだけの問題だけど)
どんなに夫に馬鹿にされようが、「おばはん」なんて夫の口から発しようものなら、
10000倍返しの復讐が、待っている。

「それ、誰に言ってるの?」
その後の、くどくど、ぐちぐち、さらに、激高、しつこく執拗に、ねちねち、顔面は鬼のごとく・・・
夫は、うんざりした経験から、決して禁句は発しない。
学習能力が備わったといえる。

間抜けだの、アホだの、言われても、そりゃあ仕方ない。
事実だったりするので、反論のしようがない。
(若い頃から、根っからのボケ・・・
好きでやっているのではないところが、哀しかったりする・・・)
「おばはん」だって、事実なのだが、なぜか、触れてはいけないスイッチがオンになり、爆発してしまう。

音声機能で、「おばはん」と発声すると、ぼむっとアタマから火が出る仕組み。
こんなオモチャ、いりませんか?

自分のなかで、どこが、許せて、どこが許せないか、だ。
わたしは、アホでもいい。
事実、アホだし。
でも、「おばはん」は、許しがたい。
実態は、完璧なまでの、豹柄なにわの「おばはん」であろうが、だ。


根拠はないのだが、自分の死守するラインがある。
これは、自分で守らなければ、だれも守ってくれない。

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