非常に今朝は、うれしい。
なにが、うれしいかというと、手足が動くようになった。
正確には、両手の指が動くようになった。
キーボード入力には、足は使いませんので。
ピアノを弾くかのごとく、両手指をちゃかぢゃかと動かすと、とても気持ちいい。
しかも、自分で思ったことを同時に文字にできる。
ちょっと怪しい、自信のないコトバは、ググって、カンニング。
何十年も思い込み間違いをしていたコトバは、山とある。
とまあ、暫定的であるが、相棒が蘇ったのである。
世の中には、器用な人もいて、臨死状態のモノを生き返らせる魔術師もいるのだ。
「ただし、期間限定です」と、あくまでも緊急処置らしい。
・・・
で、・・・
関係ないハナシだが、
わたしは、自分に自信がない、いじけ虫(書いていて気づいた、あ、これ、死語)だが、
でも、ぜったいに、ババアとか、言わせない。
わたしの義母のことを話していると、
「で、そのババアは、どう言ってるの?」なんて、冗談口調で言う人がいる。
ひとのババアを(あ、間違えた)ひとの義母をババアだなんて、趣味の悪い冗談だと感じ、笑うに笑えない。
わたしは、義母のことを一度もババアだなんて思ったことはない。
「ばあさん」と陰口をたたいたことはあるが、愚痴相手は、ばあさんに頭が上がらない夫とだ。
ふたり、情けない。敵の敵は味方。
時には、義母とわたしで、夫の陰口をたたく。これまた、敵の敵は味方。
わたしと夫、わたしと義母。共通の敵を持つ。
ちなみに、わたしのことを、夫と義母で陰口言ってることはない・・・はず・・・だけど・・・?
また、脱線。ハナシを戻す。
義母は、威厳がある。
見かけとかではなく、存在そのものに、わたしは、尊敬の念を抱いている。
細かい生活面のあれこれは、お互い、好みや感覚の違いがあるので、どっちもどっち。
まあ、どちらかというと、わたしのほうが、分が悪い。
わたしは、人に一言で、彼女を説明するときは、「賢婦人」だと表現する。
見習うべきところは、かなりある。
と、それは、義母の話。
実母も、ババアなどとは呼ばせない。
これは、わたしと血がつながっているせいもあるが。
二人とも、信念のカタマリのような女性である。
戦中派には、アタマが下がる。実践、行動力。
と、これまた、母親たちのことでありまして、
わたしが言いたいのは、自分自身のこと。
とある場で、
「『おばさん』だなんて、呼ばせないわ。まして『ばあさん』だなんて、とんでもない」と、
アタマから火を噴いて憤慨していたご婦人がおられたが、どこをどう見ても、
「おばあさん」。
若干、モダンなかんじは、しているが。
憤慨している姿こそ、なんだかとても、哀れというか、気持ちはわかるが、見掛けは別。
なので、
こころの中では、毅然として自分を保っていたとしても、
他人に、見かけの印象を押し付けるのはいかがなるものかと。
いくら頑張っても、どんなに気丈で、お上品でも、年齢や肉体は、ばあさんは、ばあさんなので。
と、そういうことを前提として、言わせていただく。
(ああ、この前置きの長さよ)
わたしは、どんなに近い関係の人にでも、ぜったいに「おばはん」とは呼ばせない。
(気持ちだけの問題だけど)
どんなに夫に馬鹿にされようが、「おばはん」なんて夫の口から発しようものなら、
10000倍返しの復讐が、待っている。
「それ、誰に言ってるの?」
その後の、くどくど、ぐちぐち、さらに、激高、しつこく執拗に、ねちねち、顔面は鬼のごとく・・・
夫は、うんざりした経験から、決して禁句は発しない。
学習能力が備わったといえる。
間抜けだの、アホだの、言われても、そりゃあ仕方ない。
事実だったりするので、反論のしようがない。
(若い頃から、根っからのボケ・・・
好きでやっているのではないところが、哀しかったりする・・・)
「おばはん」だって、事実なのだが、なぜか、触れてはいけないスイッチがオンになり、爆発してしまう。
音声機能で、「おばはん」と発声すると、ぼむっとアタマから火が出る仕組み。
こんなオモチャ、いりませんか?
自分のなかで、どこが、許せて、どこが許せないか、だ。
わたしは、アホでもいい。
事実、アホだし。
でも、「おばはん」は、許しがたい。
実態は、完璧なまでの、豹柄なにわの「おばはん」であろうが、だ。
根拠はないのだが、自分の死守するラインがある。
これは、自分で守らなければ、だれも守ってくれない。