昨日、行きの電車の中で、自分のブログの入力ミスを発見し、訂正した。
ケータイで、訂正すると、長い文章の場合は、ちょん切れてしまう。
で、ひょっとして・・・と危惧しつつも強行すると、やはり、ちょん切れていた。
ちょん切れていたのは、最後の1行だけだったから、まあよかった。
電車内では、自分のブログを校正したり、自宅のごとく爆睡したり、へんに和んでいるわたしである。
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人には、いろんな種類がある。
話をしてみると、その違いがよくわかり、とても面白い。
どんな中身であろうが、バリアを張って、本来の自分、中身をさらけ出さず、
あたり差しさわりのない会話で済ます場合がある。
これは、お互い、距離がある。
相手のことがよくわからなかったり、遠慮だったり、近寄りたくないタイプだったり、利害関係を考えてだったり、
理性的に判断して、自分の中身を出す容量や内容を選択し、タイミングを考える。
そんなことは、ぜんぜん考えずに、自然に振舞う人もいる。
あるいは、タイプは違っても、共通項目を見つけ、盛り上がる場合もある。
ぱっと見て、キライなタイプには、心も口も開かない。
ただし、仕事の場合は、別。
そんなことをしていたら、仕事にならない。
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中身があるのに、出さない場合と、中身がない場合がある。
中身を出したいが出さない、出せない、という場合と、ハナから中身がない場合がある。
母国語が違ったりすると、出せない、表現できない、うまく伝わらない。深い話はできない。
大人と幼児の会話には、会話範囲の制限がある。
中身がないというのは、あくまでも話し手同士の「共通の」中身である。
話しても、「は? 意味わからん」と、片付けられ、説明してもますます「は?」になり、
次第に、その手の話はしなくなる。
共通の話題は、具体的に身の回りに起こった出来事だけ。わかりやすいことだけ。
そんな話題でも、ない人に比べると、マシだが。
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どんな話であろうが、相手に興味を抱いているか抱いていないか、それに尽きると思う。
理解できにくい話なら、質問したり、説明してもらったり、そこでコミュニケーションが生まれる。
ハナから、「わからん!」と言い放つのは、相手に興味がないということだ。
相手を理解しよう、知ろうという気持ち、熱意がない。
あるいは、延々と話していて、相手が、疲れてくる、退屈になってくる場合がある。
話をしている最中に、相手があくびをしたり、他の人に目がきょろきょろ動いたりすると、
集中力がなくなり、興味が失せていることがわかる。
その人の興味のある話題を振ると、また、目に力が戻ることもある。
主導権は、自分にあると、イニシアティブを取るのが好きな人と、苦手な人がいる。
わたしのような受身人間は、引っ張っていくのが苦痛だ。
二人ともお互い、受身人間であると、非常に、重苦しい時間になる。
カチカチカチと時計の針だけが動き、沈黙が増える。
これは、お互いにこころが、離れたり近づいたりしていて、
「誰か、どうにかして~」と音頭取りの出現を待って、SOSを出したくなる。
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精神世界の話が好きな人は、いるが、
微妙に方向性が違うと、時間ばかりかかり、うっとうしくなる。
どんぴしゃり同じ精神世界に住んでいる人は、ほとんどいないと感じる。
精神世界のない人もいる。
あまりなにも考えずに日々を暮らす人々だ。
そのほうが、いい場合もある。
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人間は多面的なので、どれかの面に一致すればそれでいい。
しかも、お互い動いて進んでいるので、ぴたっと一致したまま、ずっと離れないというのは難しい。
その時その時に、臨機応変に柔軟に、接点のある面から吸収できるものを吸収できればいい。
瞬間、瞬間に、影響を与え合い、受け合えたら、それでいい。
未来永劫に、永遠に、などと望むのは間違い。ありえない。
いろいろ難しいことを言っている人も、
なにも言わない人や、考えてない人と、結果的には似たような行動をとっている場合が多い。
考えても考えなくても、あまり変わらない。
考えずに直感で動いて、いい結果の人もいる。幸運な人だ。
だが、直感に頼ると、失敗もある。
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短距離走が得意の人も、長距離走が得意の人もいる。
瞬発力と、持続力。
チャンスが来るまで辛抱強くじっと待ち、時機が来ると、ここぞと掴む瞬発力。
その思い切り、選択の勇気は、運命を分けたりする。
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お腹が空いてきて、キー入力のスピードが落ちてきた。
さて、書きっぱなしの、結論なしで、ほったらかして、逃げます。