ここのところ、わたしのブログは、連載もののようになっている。
・・・て、つまらん連載だ。
というか、同じ人間が、同じブログに、毎日、書き散らかしているのだから、連載といえば連載だが。
わたしは、毒があるが、他人への攻撃性はない。
攻撃するとすれば、自分自身に向けてだ。
すると、同時にわたしと同じような人もついでに、攻撃してしまう。
傷つけるつもりはないのだが、斬ってしまう。
そして、究極の自己ちゅーなので、世界中で一番興味のある人物は、自分だ。
比較するのも、他人とではなく、自分と。
自分の過去やら現在やら、未来やら、時系列やら、人生のステージやら、心理やら。
他人はあくまでも、目安程度であって、わたしには、脇役でしかない。
そのくせ、常に導いてくれる人について行くフォロアーだ。
道案内、ナビゲーターは、目的別に、その都度、変えるけれど。
だが、目立つのは大嫌い。
こそっと、ひそやかに、ささやかに、誰の目にも触れずに、ひとりで楽しみたい傾向にある。
なのに、ブログを公開している。
これは、人間がもつ矛盾を、わたし自身で体現している。
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子育て真っ最中のブログを読むと、おもしろい。
自分には、遠い昔であるが、子育ての経験があるので、どこかしら共通の感覚を持つ。
自分は子供と頑張って遊んでやった経験が、あまりない。
手抜きして、きょうだい同士で遊ばせていた。
彼らは、年が近いので、とても仲良く遊んでいた。
いつもすぐ横にいる、手近で便利な遊び相手だ。
他人の子供を預かった経験もある。
他人の子供は、じつにやりにくい。
うちのいちばん上の子(長女)と同じ年で、しかも男の子だった。
おかあさんは、「とっても、やりやすい子なのよ」と、
末子である彼を、ぽーんとわたしの家に置いて、お出かけしていった。
どこが、やりやすい?
やんちゃくっちゃ。3歳男児。
めっちゃくちゃ疲れた。
彼の母親の帰りを首を長く長くして、ろくろ首になりながら待った。
いまだに、あの男の子の顔は、はっきり、くっきり覚えている。
うちの子の、なんと、やりやすいことか。
なんと、おりこうさんか。
どちらかというと、うちの子たちは、おとなしいのだが。
良いか悪いかは別として、これは、親に似たと思われる。
いまさら、うちの子は・・・なんてハナシ、とおに終わっていることだが。
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さて、「あのこと。」
これは、もう少し、時間がかかりそうだ。
いましばらく、待ってみよう。
たんなる、わたしの好奇心、のぞき見趣味。興味本位である。
なので、下世話なネタであります。
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今朝は、少し時間があるので、うきうきと、ネット遊びの時間制限が長引いてうれしい。
だが、だらだらとネット遊びをしていると、ちっとも用事がはかどらない。
パソコンの電源を切る勇気が必要だ。
しかし、SNSやブログ、その他もろもろはケータイでも見ることができるので、
いくらパソコンは切っても、どこでも手軽に、書き込んだり、読めたりできてしまう。
夜も、iPadで気軽に見ることができるので、
わざわざパソコンの前に座って、電源を入れ、立ち上げるまで待つ手間もなく、すっと境界なくネットに行けてしまう。
これは、ある意味、こわい。
だらだら区切りがない。
中毒になる危険性をはらむ。
幸い、わたしは、ちょっとだけの軽症中毒者で治まっている。
この症状の処方は・・・うーーん・・・なにか・・・と考えれば・・・
たんなるノリの問題である。
というか一番大事なのは、実世界の状況がどうなっているか。
リアルをおろそかにして、ネットばかり充実させることは、ネットにはまる初期の段階。
人にもよるのかも知れないが。
ネット遊びは、手軽で、お安く、膨大なヒマをつぶせるのだろうけれど。
ヒマをつぶすというのは、他にすることがない、退屈だから、ということなのだろう。
他にすることがあっても、する気が起きない。義務からの逃避の場合もある。
ヒマをつぶしているのではなく、たんにサボっているのである。
あるいは、自覚症状なく、のめりこんでいる、熱中している場合もある。
はたまた、時間のすき間は、こころのすき間。
すき間に吹く風に、魔がさすこともある。
悪への暗転、闇の世界が口を開けて待ち構えている。
同じヒマつぶしでも、能動的にとらえると、
「順番待ち」「結果待ち」「休憩時間」「考える時間」などと言い換えられる。
躍動の前の、エネルギーを溜める時間。充電期間。
メリハリを生み出す。
時間は、ある、なし、ではなくて、作り出すものだ。
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ということで、本日のヒマつぶしは、たいした結論もないまま、終了いたします。