わたしは、生まれてから今まで、集合住宅に住んだ経験が、あまり長くない。
東京に2年と、静岡県に2年で、合計4年。
偶然、東京も静岡も、5階建ての5階だった。
東京は、分譲マンションの賃貸。
静岡は、分譲マンションの借り上げ社宅。
子育て世代もけっこういて、マンションの中でのママ友らしきものも、いた。
あくまでも、「らしき」であって、ママ友と言えるのは、静岡の2人だけだった。
その2人のほかに、東京には、ママ友ではあるが、子供がいなくてもお付き合いのあった2人もいて、
静岡、東京の彼女たちとは、いまだに年賀状のやりとりが続いている。
わたしは日常の生活面では、母子家庭のような日々を送っていたので、
お父さんのいる家庭に便乗して、どこかに遊びに行くときは、声をかけてもらったりして、くっついていったこともある。
声をかけてくれたのは、子供が一人っ子家庭なので、うちの子を足すと、遊び相手になるということもあるのだろう。
他人の子供は(親が傍らにいれば)、そう苦にはならなかった。
毎日、毎日、(正確なコトバを発しない)ほぼ動物のような
愛くるしい?乳幼児とだけしか過ごしていなかったので、
日本語を忘れそうだった。
乳幼児以外の人間、しかも大人と接する機会を得ただけで、わたしは、大喜びだった。
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ライフスタイルの違う人とは、仲良くなれない。
これは、いたしかたない。
生活信条や価値観が違う。
同じマンションに住み、年齢の近い子供がいても、まったく水と油のような人がいた。
当然、部屋の中に入ったこともない。
考え方や感性もまるで違った。
ただ、それだけだ。
仲良しになる人もいた。
どちらかというと、今思えば、母子家庭風・年子3人のわたしに、同情してくれた感がある。
一時(いっとき)に子供を大量生産してしまったので、仕方ないといえば仕方ない。
こんがらがったまんま、大きくなってくれて、「手間が一度に済んでよかったわあ」と思いたいところだが、
やはり、人数分の手間はかかった。それが実感だった。
10キロの石を1回ずつ3回運ぶのと、30キロ1度に運ぶのと、どっちがいいか、だ。
今なら、わたしは、5キロずつ、6回にわけ、しかも、何日にも、何年にも分けて運ぶ。
年というのは、そんなものだ。
体力、気力ともに、ぐっと無理がきかなくなる。
あとで、カラダにこたえる、ということを知った。
子育ては、怖いもの知らずでやっておかないと、ぜったいに、できない。
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かつての、ある日、職場の30代後半?独身女性が言っていた。
「わたしは子供を育てる自信がないから、結婚しないの」と。
それでかどうかは知らないが、妻子ある男性と、彼女は堂々とお付き合いしていた。
職場でも、でれでれ猫なで声で電話し、その声に、わたしは、全身の毛が逆立った。
まあ、それは、関係ない話であるが。
子供が育てられるようになるまで自分が成長するのを待ってから、子供を作るとなると、
死ぬまで子供なんて作れない。
子供ゼロで、地球は、破滅だ。
「負うた子に教えられ」
わたしは、そういう毎日の連続である。
負った子に、教えた記憶もあまりない。