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蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

学習効果ゼロの、効果

2013-09-04 | 日々のこと

わたしの日課は、NHKラジオ・フランス語講座が始まるまでに、ブログを書くこと。
時間が足りなければ、その後、加筆し(そんな、ええもんじゃないが)、アップ。
毎日毎日、よくまあ、ぐだぐだだらだらと、続くものである。

 

で、フランス語講座のほうは、音声は流れるが、ほとんど聞いていない。
テキストを開けて、時折、発音をカタカタで、ちょろっとメモするだけ。
アタマには、まったくといっても過言でないほど、入っていない。

聞いているだけ、とは、このことである。
月・火・水曜日は、基礎編、木・金曜日は、応用編。
木金は聞いても、虚しいだけなので聞かない。
なので、特定の時間に拘束されない木金は、とても嬉しい。

 


なにがしたいのか?
自分では、よくわかっている。

 

フランス語を聞いている自分が好きなのだ。
聞いたような、わかったようなフリをしているだけ。
で、その、どこが好きかのか、よくわからないが、・・・じつは、わかっている。

 

フランス語のテストもないし、習熟度や学習効果をチェックすることも、されることもないし、
誰もわたしのフランス語のレベルには触れることがない。
ただ、テキストは、溜まる一方だ。
薄っぺらいから、まあいいが、毎月420円の出費。週3日聞いて、1日35円。

 

カッコつけ。雰囲気だけ。中身なし。
これが、わたしの全体像、全身を貫く芯である。

 

(と、ここで、ラジオ開始。とりあえずは、ラジオのスイッチを入れ、ブログ中断)

 

で・・・
またまた自省の時間が始まった。
いつもいつもいつもいつも、わたしは、カッコばかりで中身がない。
理想ばかりで、実態が伴わない。
サボりなので、努力をとことん最小限にしようと、そんな、方向性の誤った努力をする。
つまり、ショートカットの方法ばかりを見つけることに躍起で、肝心の努力の内容は、いたって薄い。
要領が悪いので、目をつぶっても、ナビゲートしてくれる盲導犬の力を頼りにする。
杖がないと歩けない。

 

そうやって人の力を借りて、実際以上の見栄えを手に入れる。
実力もないのに、スキップ、飛び級をする。
見栄えはよいが、中身はスカスカ。
知っているのは、自分だけ。
ごくごく身近な人は、お見通しだろうけれど。
反面教師にしたり、あきらめているのではなかろうか。

 

そうやって手に入れた体裁、見栄え、見かけと、実際の自分がかけ離れているので、
ここでまた、ギャップに苦しむ。
苦しみもがいているうちに、実力が底上げされてくるのが、望ましい。
自分もそうであってほしいと希望するが、実際のところは、・・・???

 

悩みながら、進む。
進まないと、止まったまんまで、どうしようもない。
少しでも進めば、試行錯誤のもとに、また、方向転換できるベースを作ることになる。
目指す頂上が同じでも、登山道は、いくつものルートがある。
時間や体力、気力、お金、その他が続かない時は、どれかを間引く。早送り、スキップする。
あるいは、目指す山を変える。

うっすら霧が晴れるときもある。
そのときの、スッキリすがすがしさ、爽やかさといったら・・・
ボキャブラリー貧困のわたしには、うまく表現できないが。

 

・・・で、話は戻って・・・
(すみません、遠まわり、寄り道常習犯、確信犯)

フランス語・・・わかってないけど、わかったフリはしない。
ブログに「フランス語ラジオ講座を聞いている」と書いているけれど、
「ちんぷんかんぷんで、わかってない」、と追記する。
嘘は、書いてない。
だから、なんなの?
いえ、なんにもなくて・・・ただ、あんまりにも、フランス語、理解してないなあ・・・と。
馬鹿さ加減と、努力のしなさ加減に、自己嫌悪もあって・・・。
(また、堂々巡り)


では、なぜ、フランス語にこだわる?
仮にドイツ語であっても、ロシア語であっても、中国語であっても同じだ。
フランス語は、何年も聞いているので、乗りかかった船。(たとえBGMであったとしても)
フランスへの憧れ。
しかし、すでに、わたしは、もう、フランスには憧れていなくて、
スイーツ、グルメ、ファッション、アート・・・そういう、いかにも女性好み(特に若い)のものには、
アート以外には興味がなくて、といっても、アートもさほど興味がなくて、
・・・じゃあ、なんなの?
なのであるが、・・・いえ、乗りかかった船。(また・・・)
わたしは、パリに、もうひとりの自分がいなければならないのである。

 

なんのために?
パリと姉妹都市は、京都。
古都仲間。
しかし、わたしは、ぞっこん京都派でなく、むしろ、「なんじゃい、京都!お高くとまって!!」派。
京都は、小さい日本の中の、小さい、完成された街。ミニチュア観光都市。
そして、近すぎて、灯台もと暗し傾向にある。
しかも、なぜ京都? 
奈良だって、岐阜だって、金沢だって、・・・いろいろあるじゃない?と、へんに反発心がむくむく。
フランス人の「なぜパリ?」と、おそらく同じだろう。

ヨーロッパの古いものを大切にする精神と実践、斬新なものを生み出す土壌、
極端な歴史変化と、その後、
隆盛を極めた頂点と、その後・・・などなどに興味がある。
ぎゅっと凝縮されたパリは、都市自体が博物館、テーマパークのようなもの。
オモチャ箱の中を見て回るにも、じっとするにも、なにかと便利。
両極端を併せ持ち、同時進行しているわたしにとって、興味は尽きない。

 


大脱線。
このあたりで、寝ている人、すばやく他のブログに移行した人は、98パーセントに上ると思われる。

 

フランス語の話は、終わりにし、ブログも同時に終了します。
寝ている方は、そのままお休みください。

 

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