「やることがない」に、ついて。
「着る服がない」とよく言うが、
部屋いっぱい、あふれんばかりに服があっても、着たい服がないのだ。
「なんにも、やることがない」なんて、けっこうなことだ。
やらなければならない用事だらけで、ストレスを抱えているよりは。
だが、世の中には、「やることがない」というストレスもあるようだ。
わたしは、「やることがない」場合、究極は、寝る。
これが、夜なら、朝まで寝る。
いたって、フツーで、合理的で、道理にかなっていて、書いてもなんの面白みもない。
朝は、早起きしなければならないが、用事が済むと、また寝不足分を補いたい場合は、寝る。
つまり、「眠いときは寝る」、ってことだ。
ただし、タイムスケジュールはある。
一日中、家にいると、そして、そんな日が続くと、
今日は、何曜日なんだか、先週は、何をしたんだか、先月は何をしたんだか、
ぱっと思い出せない。
暑かったなあ・・・で終わったりする。
一日中、家にいる日は、休日だけだと、そんなことはない。
だが、一週間が早すぎるのが、デメリット。
だらだらであっても、なにかの時間待ちである場合もある。
結果待ちであるとか、熟成期間中であるとか、答えを探しているとか。
ただし、一生、そういって、だらだらしっぱなしの場合もある。
時間が迫ってはじめて、残された時間が少ないことに気がつく。
だらだらの、しっぺ返し。
けっこう、きつい。
・・・・・
家にいても、課題をこなすと、記憶に残る。
課題なく、だらだら過ごすと、(労働の再生産の場合の、だらだらなら、意味があるが)、
労働をたいしてしていないのに、さらに、だらだらすると、「労働」と、「だらだら」の区別、メリハリがつきにくい。
達成感というものは、努力して手に入れるものである。
たいして、なにもせずに、やりがいを手にすることはありえない。
目標を持たなければ、ただの時間つぶしになる。
それが気持ちいいというライフスタイルの人は、それでいい。
ひとそれぞれだから。
小学校の担任の先生が、「人生は死ぬまでの暇つぶし」と、よく口にしていた。
あまり、まともに受けとる必要はない、と、今は思っている。
先生は、どういう意味で言っているのかは、知らないが、
わたしは、逆説的にとらえている。
死ぬまでの暇つぶしではない、暇つぶしになってはいけない、という意味なのではないかと。
どんな意味であろうが、自分が感じて、考えた、とらえ方をして、
自分の生き方に取り入れたらいいのだ。