蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

静かな、ある一日。

2011-06-23 | 暮らし

昨日は、母の静かな日常の1コマに、姉たちと参加した。

実家の母が、巻き寿司を作るから、食べにおいで、とお誘いがあった。

母は、83歳だが、わたしより、ずっとしっかりしている。
アタマも、足腰も、馬力も、気力も。

庭に咲いていた、菖蒲やカキツバタを活けていた。
お花は、いつも野に咲く花や、庭の花木を活けるが、
自然を取り入れたセンスは、わたしも見習いたいと思っている。

満開のお花を庭にだけ咲かせておくのは、もったいないと、いつも、マメに活けている。

お寿司は、水加減が多かったそうで、やわらかめだと嘆いていた。
ご飯をしっかり冷ましていなかったことも、よくなかったとか。
具材も炊き込みすぎて、やわらかくなったのが、ますます良くなかったと、反省点がどんどん膨らむ。
実家で食べたときは、そんなに母が嘆くほどのことはなかったが、
自宅用にと、少しもらったものを帰ってから家で食べてみると、味は、薄めだった。
これは、母が嘆いていないポイントだったが、
気になるところや、好みは、ひとそれぞれ違うものなんだなあ・・・と改めて思った。


母の巻き寿司は、いつもは、美味しいのだが、
料理というのは、その日のコンディションがあるようで、なかなか一定の味付けになるとは限らない。

写真は、実家の食堂で、「いただきます」の直前に焦って撮ったので、
アングル、その他、よくない写り具合。(いつもだけれど)
間に合わせの材料で、ちゃっちゃと用意してくれたようだ。

この食堂で食べるのは、ずいぶん、久しぶり。
ごくたまに、突発的にアポなしで、用事で来た時に、軽く、食事をふるまってもらうこともあるが
子供たちが幼児の頃、里帰りしたときは、よくここで、朝食を食べた。


母の味、全然、わたしは受け継いでいない。
食べるのみ。
不出来な娘だ。

馬力も、料理も、お花も、仕事も、掃除や、外回り一切合切の切り盛りも、
全部、わたしは母の足元にも及ばないが、
時代背景として、苦労してきた戦中派の人々には、どうしても、勝てっこない、へなちょこ世代。

傍(はた)で見て、知っているだけで、自分では、しようとしないでサボってきた。
なので、いざ、同じようにしようとしても、できない。
せめて、お手本として、アタマの片隅に入れておきたい。

気温をいつも快適にコントロールできる高気密住宅に住んでいると、
快適さゆえ、季節の移ろいを実感ににくい面もある。
そういうライフスタイルが身に付いてしまうと、腰が重くなって、
季節ごとに入れ替える建具や、四季折々の設えなど、大掛かりなことはとても出来ない。

口ばっかり達者で、なにも大したことは出来ない、わたし。

年齢を重ね、オンナ同士の闘争など卒業して、落ち着いてきたら、
しっとり、移り変わる季節を、しみじみ味わいたいものだ。

 

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はたして、そんな日は、来るのだろうか???