蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

負けるケンカは、しないこと。

2011-06-16 | 仕事

人に喜んでもらえるのが、うれしい。

そういう連帯感を伴った価値観が、震災後、人々のこころに新たに加わったのでは・・・
と、先日、テレビ番組内で糸井重里氏が仰っていた。

だが、相手が喜んでくれても、自分が喜べない内容なら、単なる相手に対する依存にすぎない、
と、あるブロガーさんは仰る。


以前に、仕事を通して知り合った、ある方、T氏が、自分の失敗談を話してくれた。
T氏の知人の、ある風俗嬢に、直接、面と向かって、風俗嬢の存在価値を否定したそうだ。
すると、その風俗嬢は、ブチ切れて、履いていたブーツで殴りかかってきたらしい。

「わたしは、お客さんに喜んでもらっています。
人に喜んでもらえること、すなわち、自分の存在価値があるということです!!」

ズタズタにこころを傷つけられたその風俗嬢は、二度とT氏と会うことはなかったそうだ。

いくら自分と考えが合わないからって、人の価値観を否定してはいけない。


ちなみに・・・
わたしも、T氏に、アタマから存在価値を否定されたうちの一人。
その風俗嬢のように、ブーツで向かって闘えばよかったのだが、
あいにく、わたしは、とんがりブーツを履いていなかったし、武器にしては、中途半端。

わたしは、その人の事務所に、怒り収まらぬまま、湯気があがった、抗議文をファックスした。

先日、そのファックス原本が、ゴミ箱がわりにしていた箱の奥底から出てきた。
自分でそれを改めて読んでみて、顔から火が出るやら、なんやら・・・まあ、お恥ずかしい・・・

人間には他人には触れられたくない、ナイーブで、デリケートで、センシティヴな部分がある。
(英文字でなく、カタカナなところが、和製英語ニュアンスの表現になってます)

特に社会人にとっては、職業を否定されると、頭上から隕石(いんせき)が落ちてくるような衝撃で
ぺちゃんこ、木っ端微塵に砕け散る。

「おまえは、この仕事をするに値しない」なんて、よく、言いますよね。Tさんよ。


しかし、導火線は、実は、わたしにあった。
その人の仕事のある一端を見て、全面否定してしまったのは、わたしが先だった。

なので、相手は、逆襲してきたということになる。
自分のやったことと同じことを相手にされ、自分のしたことが、わかったというわけだ。
10年以上たって、気が付くのは遅すぎるけれど。

わたしの怒りは相当なものであったが、相手も同様。
お互い、生きていくうえでの「プライド」を傷つけては、いけません、ってこと。

今、思っても失礼だったかと言うと、やはりわたしの感覚では、今も、同じ思い。
プライドを傷つけたのは、悪かったが、T氏の仕事のやり方に対しては、やはりわたしは、無理解。

そんな傷を持ち合う、犬猿の仲ではあるが、毎年、年賀状はやりとりしている。
再会、和解の提案らしきものが、ここ最近、先方から伺える。

でも、わたしは、和解する気なし。
もっともっと時間が経って、なにもかも理解し、あるいは、理解できないままでもいいじゃない、
と、悟れば、また、交流は再開するかも知れないが。

いえ、やはり、人間は、一度、傷つけられたものに対しては、なかなか傷も癒えないし、
もう一度やり直そうという気には、なれない。
時だけが解決してくれるのだろうか。


職業に対しても、一生、理解できない職業もあるかも知れない。
なにも、あえてそんな、火と油のような人同士が、同じ居場所にいる必要もないかも知れない。
ののしり合う必要はなく、そっと静かに、距離をおいていればいいのでは?
眠った子を起こすような騒ぎに発展しないように。

これって、根本的解決ではなく、いたって消極的。
だが、ほじくっても、不毛なものもある。


で、・・・
そのわたしの怒りのファックス、まったく仕事とは関係ないことを延々と綴っていて、
自分のプライドを守るのに必死なのはよくわかるが、
当時の自分は、あほみたいで、面白いような、かわいそうなような、幼稚なような、複雑な心境だ。

ま、相手は頑固一筋で、独特の世界観を持っているので、
一般凡人には、理解できないのは無理もないこと。
へんに噛み付いた自分が、なにか、どこやら、青かったような気もする。

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逆襲されて、負けるんなら、やめときゃいいのに。

不毛なケンカは、しないこと。