常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

最上義光&伊達政宗

2016年04月12日 | 日記


山形城址の桜が満開だ。二の丸の石垣を守る堀に湛えた水に桜が映り、その美しい水面に鴨が遊んでいる。第11代城主最上義光が生まれたのは、天文15年(1546)のことである。その2年後に妹の義姫が生まれた。後に米沢城主伊達輝宗に嫁ぎ、伊達政宗を生む。つまり、最上義光と伊達政宗は叔父甥の関係にあたる。

戦国時代を生きぬき、領国を拡大していった二人の覇者の性格は真逆であった。人を生かすことをモットーとし、戦いに勝って大将を成敗した後、その家臣を厚遇して家臣に加えていった義光。戦いに明け暮れ、奥州の覇者として、向かうところ敵なしの政宗。

やがてこの両雄は大崎義隆攻めをめぐって対立した。時に天正16年(1588)の夏。上山市と南陽市の境にある中山で両軍はにらみ合い、一触即発の危機となった。ここで登場するのが、義光の妹で政宗の母である義姫である。義姫は輿の乗って両軍に分け入り、そこへ座り込みをすること80日間、両軍の和睦のために一身を賭して働いた。

両雄は義姫のねばり強さに負けて兵を引いた。義光は後に妹に手紙を出した。それには、「自分としては一生の恥だが、そなたのためを思うと、やむを得なかった。」と書いてあった。義姫は兄の義光からも、息子の政宗からも信頼され、両家のために色々の場面で働いた。
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つつじ

2016年04月12日 | 万葉集


万葉集でつつじを詠んだ歌が10首ある。山地に自生する山つつじを詠んだものが多い。丹つつじ、白つつじ、岩つつじなど種類を分けて詠まれている。松田修は、岩つつじを河岸の岸壁など生えるサツキであろうと推量している。

水伝ふ 磯の浦みの 岩つつじ 茂く咲く道を また見むかも(巻2・185)

水に沿っている石組みの辺の岩つつじ、そのいっぱい咲いている道をまた見ることがあろうか、と慨嘆している。万葉人にとって、花に会うのも一期一会、それだけに茂るように咲くツツジの花を見ることは、大きなよろこびであった。
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