常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

土筆

2016年04月17日 | 山菜


久しぶりに山野を逍遥。ニラ、コリアンダー、ミツバなど春の野菜を採る。丘の辺では、山ニンジン、花わさびなどを採る。土筆がたくさん出ていた。辰巳浜子の歳時記に土筆の項目が立ててある。「つくしははかまを取って酢を加えた湯で茹でます。さらして甘酢に漬けると美しいピンク色になります。平貝、小柱、みる貝、鳥貝等の辛子酢味噌の付合せ等まことに美しくて味のよいものです。鰆や甘鯛の味噌漬け等に添えればだれもが先につくしの方に箸をのばすでしょう。」このハカマを取る作業は意外に手間を要する。残しては口に残るので、一本に三つもあるハカマを一つ一つ手抜かりなく取っていかねばならない。

土を出しばかりの土筆鍋に煮る 百合山羽公
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楠木正成

2016年04月17日 | 詩吟


この夏、山形岳風会山形地区本部の吟詠大会で出される構成吟が「南北朝哀史 噫!大楠公」に決まった。河野天籟「大楠公」を連吟で構成吟の冒頭で吟じることになり、3名が集まって練習をしている。

赤坂の城千早の屯 妖雲漠々天を巻いていたる
夢は新たなり笠置山頭の暁 花は散り香は薫ず吉野の春
涙を呑んで児に別る桜井の駅 笑って死に就く湊川の津
南風競わず地に塗ると雖も 偉績長しえに伝う忠烈の神

正中(1324年)から弘元を経て、延元(1336年)元年に湊川の戦いに敗れて、弟と刺し違えて死に至るまでの正成の生涯を短い詩形式に詠み込んだのは見事というほかはない。後醍醐天皇という異形の王に、これほど忠節を尽くした武士はほかに例を見ない。南朝が目指したものは、何であったか。楠木正成の一面だけを取り上げて、歴史を語ってきた戦中の史観は葬りさるばかりでなく、その実態を目を凝らして見定めなければならない。

ユーチューブで「青葉繁れる桜井の」という唱歌を検索してみた。落合直文が詩文を書いた「大楠公」である。そこに出てきたのが、映画「彼岸花」の一シーンである。笠智衆は「楠木正行、如意輪堂の壁板に辞世を書するの図に題す」という長い題名の詩を浴衣姿で詩情豊かに吟じ、感銘を受けた同級生たち 全員が「青葉茂れる桜井の」を合唱するシーンである。

https://www.youtube.com/watch?v=F0ikQUQKos4

詩吟が小津安二郎の映画でこんな風に取り上げられていることに感銘を受けた。当時の社会に詩吟がどのように溶け込んでいたのか、想像するだけで楽しい。
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