光禅寺の庭に翁草を見に行った。今年は花期が早く、ガクをを落としたものもあった。翁草を見に行くのは、斎藤茂吉のおもかげに会いに行くことでもある。茂吉の生家の近くの丘に、翁草の群落があり、茂吉は生涯、この花を愛した。
かなしきいろの紅や春ふけて白頭翁さける野べを来にけり 茂吉(歌集つゆじも)
大正10年5月9日に帰郷した折に詠まれた歌である。茂吉は翁草を、白頭翁と書いた。花が終わると、白い綿毛になるため、こう書いた。茂吉は和歌を詠むほかに、絵を描くことも巧みであった。絵においても、正岡子規を師と仰いだ。
大石田に疎開して、病を得たが、その時茂吉は再び絵筆をとった。日記に「柿ノ葉ノ色ヅイタノヲ写生シタ。絵ト云ッテモ、正岡子規ノヤウナ工合ニハドウシテモ行カヌコトガワカッタ」と書き、稽古しなければ駄目だと、病床で絵筆を動かし続けた。
疎開を終えて帰郷する日、茂吉は甥の重男さんと酒を飲みながら話した。そのなかで、茂吉は絵の話になり、「子規はうまいなあ、子規はうまいなあ」と何度も繰り返して話したことが忘れられない、と重男さんは語っている。そのとき見たスケッチブックには、翁草がたくさん描いてあったと、甥の重男さんは述懐している。上山温泉の山城屋が、茂吉の弟が婿入りした宿で、茂吉の資料が展示してある。重男さんは、旅館の経営しながら、ありし日の茂吉の話をしてくれた。
光禅寺の庭には、翁草のほか、苧環やイカリ草の花も咲いていた。牡丹がたくさんあるが、まだ花芽で、一輪だけ開き始めていた。