常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

月山

2016年04月18日 | 日記


悠創の丘から山形市内の向こう側に真っ白な月山を見る。こんなにきれいに姿を見せることは滅多にない。この週末、この山に雪を踏んで登る計画だ。参加者は現時点で6名。こんな素晴らしい月山の姿をみると、早く登りたい気持ちになる。いまから20年も前に、こんな天候のなかを登った経験がある。木一本もない雪の頂上には、空に浮かぶ雲の影が波のように流れていた。そのときの情景は、いまだに頭から離れない。目を南西に転じると、重畳とした朝日連峰の山々が眼前であった。

誰が言ったか忘れたが、人がたくさん登る山に惹かれると聞いてなるほどと思った。それほど、この山には、出羽三山の信者や麓の寺の檀家の人々から慕われ、年に一度登るという人が多い。森敦は『月山』で1974年に芥川賞を取ったが、檀家の叔母ちゃんたちとの交流があった。湯殿山へのバスに旅で、酒を飲みながら歌を歌う農家の叔母ちゃんたちの姿を垣間見る場面がある。

「運転台の横の補助席のばさまがマイクをとって、〈汽笛一声酒田市を、はやわがバスは離れたり。みんなでビールをみなで乾杯し〉と歌い、〈アレ、どこさ行くだっけ〉と、ほんとに酔って忘れたようにとぼけてみせる。しかも、どっと起こって爆笑のあと、間髪を入れず、〈行くはお山の湯殿山、愛の一夜は注連寺。アラ、嬉しや嬉しや、しばらくぶりの注連寺。飲めや歌えの大騒ぎ、これがほんとの極楽よ。お詣りしないで、お酒も飲まず、おっ金ばっかり山のように貯めたとて、腰や躰が弱かなら、この世の極楽終りなる〉と歌い上げ、」

森敦のエッセーの一節である。月山は信仰の山である。だが、それを支えているのは、麓の田や畑で農作業に精を出す、農村の爺、婆である。
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