梟の独り言

色々考える、しかし直ぐ忘れてしまう、書き留めておくには重過ぎる、徒然に思い付きを書いて置こうとはじめる

戦争が出来ることはそういう事

2015-05-10 08:42:48 | 雑記

憲法の変更をどうしても成立させたいと最近は堂々と言い立てて来ている、歴代自民政権のタカ派といわれる政治家たちも触れてこなかった言わば聖域であろう、「タブー」という言い方をすると「理由の如何を問わず」といった雰囲気が有るが雰囲気的なものではない、70年前に犯した間違いを襟を正して被害を受けた国々に対して誠意であり贖罪の表明でもある、戦勝国連合が一方的に行った東京裁判が国際的な司法裁判として正当だったかどうかは疑問の余りあるところだがそれでも「他国との紛争に武力をもって対応することを放棄する」と言うのは日本だけでなく「国際憲章」としても良い位の憲法だと思う、

難しいものはあるだろう、それはずっと繰り返してきた人類の歴史でもあるがそれで解決したという事は無いだろう、アメリカの銃所持賛成派の人達がいう理論に「法を守って銃を持たない庶民は銃を持つ無法者に何の抵抗もできず殺される」と言う言葉をそのまま国にあてはめれば確かに「無法者に蹂躙される」現状は世界のあちこちで見られるがそれは名の通り「無法者」の国が起こす「犯罪」でこれに対抗すべく「銃を持つのは正当な国民の権利」だとしてゆけば結果は西部劇のクイックドロウになる、挑発して先に銃に手をかけたから撃ち殺しても「正当防衛だ」と言う論法からは平和な生活は生まれなかった、

専守防衛と言うのも見方によったら同じ様なものかもしれないがそれでも垣根を越えなければ銃を向けないと言うのと道路の向こうで銃を持っていたから撃つというのではずいぶん違う、

まだ地球上で幾つもの紛争がある、宗教だったり領土問題だったり政治信条の違いだったりだがおそらく武力で一方が勝利したとしても国民の総意でない限りまた紛糾することは間違いないだろう、スケールダウンして考えれば家と家あるいは会社と会社の紛争をお互いに病力を持って解決しようとしたらそれは解決にはならず禍根を残すだけで社会から認められる筈もない、話し合い、それでも解決できなければ司法に訴える、それ以前の暴力に訴えてそれに力で対抗すれば「正当な防衛」以外は「過剰防衛」と言う罪になる、

国際的な司法機関が脆弱だと言うことも、国際的な経済的、軍事力の格差が国際司法を歪ませていることはあるだろうがその歪みを修正するのが遵法であって「法そのものを守る意味が無い」のでは何時までたってもそのトラブルは続くだろう、

もしこのまま憲法を改変し自衛隊が戦争地域に行き武力を行使できるとしたら「恐らく今の自衛官の半数以上は退官するでしょう」とある防衛省の幹部がインタビューに答えていた記事を見たがおそらくそれに近い現象は起きるだろう、退官しないとしても海外で他国の紛争に積極的に加担しそこでの殉職者が増えてきたらおそらく自衛隊に入る人達は減少するだろう、日本が過去にそれで兵力が維持できない時に、韓国で戦力の維持が出来ない時に国がとった手段は当然の帰結である「徴兵制」になる可能性は高い、今この法に賛成している「ネット右翼」や「雰囲気右翼」達は自分が、或いは自分の子供達が望むと望まない戸に拘わらず兵役に取られたらどう考えるのだろうか、しかもそれは当然税金で賄われる、武器とは最大の消費だ、増税は免れないしそれしか軍事力の維持は出来ない、

阿部信三氏は何をしたいのかわからない


原発事故と自動車事故の比較とは

2015-05-05 16:00:35 | 雑記

村上春樹氏のツイートに対して「自動車事故で年間5千人以上の死者がでて居るのだからこっちの方が危険では」と言うリツイートがあり、何人かの役人や学者からも賛同する様なツイートが出たと有った、官僚や政治家及び経済界は利益で結びついたとしか思えない連中は当然そう言う言い方をするとは思うが学者が本気で言っているとしたらいくら専門馬鹿とは言え情けない、いや専門でなければ良いと言うわけも無いその知識で金を貰っているならもう少し掘り下げたコメントが有ってしかるべきだろう、

原発の危険性と交通事故を同じ土俵で論じる事自体学問の徒とは言えないがそれ以前の問題だ、確かに年間5千人の死者を出している事は統計的にそうなんだろうが台数は自動二輪を入れると8100万台走っている、これが毎日走っての死者数である、単純に台数で割っても0.0000617人である、延べ運転で言えばこの1/365である、確かに今回は直接死者数は出ていないが非難生活からストレスで亡くなった方は相当数になる、除洗作業員の死者も何人か居るとも聞く、原発事故は1つである、数字的にも比較にならない、しかも事故を起こした者は「業務上過失」という刑法上の責任もある、当然民事上の賠償責任には「精神的慰謝料」も残された遺族の保障も含まれる、しかし東電はそのどれも負っていない、賠償金を支払ったとは言え国からの補助金は賠償金額より多いのだ

基本的な構造の問題がある、地上を走る装置にはブレーキが有り、且つ「故障したら停止する」構造になっている、無論一時的にブレーキが利かなくなったりハンドルが壊れる事もあるがそれでも心臓であるエンジンが故障すると言う事は「動かなくなる」のである、電車や遊園地の遊具に関して言えば「ブレーキが掛かった状態が通常」であって動かす為に動力を加えている、つまりエンジン(動力)に異常があればブレーキが掛かるのが通常である、JR西日本の事故は運転手の人為的ミスである、(その責任が個人に帰するかどうかは別の問題である)

しかし原子炉と言う物は「壊れたら止まらなくなる」と言う構造だ、核反応は制御しなければ一気にエネルギーを放出しあらゆる物を溶解させてしまう、それがメルトダウンと言われるものでごく短時間に核分裂が起きるのが核爆弾だ、そして制御しなければこっちが通常の反応である、この事は普通に本屋さんで売っている核分裂の本を見れば書かれている、アメリカの高校生が濃縮ウランを手に入れればそのまま使える核爆弾のモックを作った事があるが核爆弾はその程度の知識が有れば出来る、しかしそれを完全に制御してゆっくりと取り出すのは非常に難しく、原子炉で制御を失えばそのまま原爆になる、核エネルギーで言えば福島第一・第2は広島型原爆より大きい筈だと記憶する。

政府は「あらゆる自然災害に対して完全にコントロール出来る」と言っているが3・11では結果メルトダウンを起こし周囲30km範囲は動物がすむには適さない状況になった、

「今度は絶対大丈夫だ」と言うなら今までは「大丈夫ではない」と言う事を「多分其処までの災害はあるまい」と言う認識で運転していたのか、「想定外だった」と言うなら今「完全にコントロール出来る」と言う想定災害が「絶対に想定外にはならない」と言う根拠はいったいなんなのだ。

原発ゼロで既に3年が過ぎている、「原発が無ければ日本の経済は成り立たない」と言う一方で「円安誘導で日本経済は力強く回復している」と言うアベノミクスは原発が無くとも日本経済は成り立つのではないのか、まあ実際には多くの国民はアベノミクスの恩恵には浴していない、株価が上がっても殆どの国民は株など持っていないのだから恩恵に浴するのはずっと先の事、それまでに失速すれば増税の負担だけが残る、

電気料金が家計に及ぼす影響はそれでも厳しいが企業努力でコストを下げるのが企業の本質だ、電気は自由競争になっていないのに「電気料金が国民に及ぼす影響、経済界に及ぼす影響」を値上げで切り抜ける事こそ「企業」としては本末転倒だ、送発電分離とあわせて一旦電力事業は解体して一般家庭用の電力は地域分立型にして競争の原理を入れるべでは無いかと愚考する、


日本人とドイツ人、我が国の誇り

2015-05-03 16:52:37 | 雑記

アメリカで安倍総理が集団的自衛権の成立を確約する演説をしたと言う、未だ正式に国会に上程されていない筈の案件を米国国会で確約すると言う暴挙と言える行為だろう、

会社で言えば未だ役員会に上げられていない合併案を社長が他の会社役員会で公式に約束したと言う訳だ、役員会は自分の思う通りに出来ると言う良く言えば自信、はっきり言えば思い上りの発言だ、ワンマン経営の同族会社で有っても大塚家具の様な事も起きる、

日本は民主主義国家であり国民の代表選挙を経て議員が国会であらゆる案件を精査しその成立を持って国の方針としていかなければならない、役員会が株主の意に反した方針を決めれば株主総会で不信任が上程されなければ日本と言う会社はアメリカと言う会社に乗っ取られてしまう、我々一株が部主はその位危機感を持たなければならないのではないか

選挙権は国民単位だ、大株主と言う者は存在しない、なのになぜ此れだけ経済格差が大きくなっても経済界に、官僚に好き勝手をされているのだろうか、

戦後ずっと続いた自民党政権だったがこれ程酷い思い上り総理を迎えた事は無かったと思う、戦後体制を確立した巨魁ワンマンと言われた吉田茂ですら失言で解散した事もある、

野党は何の役にも立っていない事をどう考えているのか、総論賛成各論反対と言うのは野党連合が有る程度整って居ての話で総論賛成は「安倍政権の専横に反対する」と言う概念論だけで「次は自分達」と言うビジョンすらない、民主党が与党になったが結局その政治運営は自民党以下で国民は皆落胆した、その失策を突いた安倍自民党は自ら解散をするという舐め切った政策をとられ、結局更に傲慢不遜の運営を進めている、

それでも今迄の自民党には有る程度自浄力が有ったがまるで今の自民党は「安倍党」と言うに等しい状況だ、野党が頼るに値しないなら後は自民党内の良識を願うしかない

同じ時期にドイツのメルケル氏は敗戦70年にあたり「我々ドイツ国民は過去に犯した過ちに対して真摯に向き合って行かなければならない、国歌の過ちに関しては終結と言う事は無い、戦後補償も含め誠意をもって向き合ってゆく」と宣言している、安倍総理は先の大戦は侵略戦争だとは認識して居ない」と言う態度と正反対だ、顔を見せず拡散して居るネット右翼と国家政府とでは世界の捉え方が違う、どんな理由をつけようとも他国に軍隊を送れば侵略以外の何物でも無ない、中東の内乱でその国から要請が有ったとしてもアメリカ軍はその国民から「侵略者」と言われる、国民感情はそう言う物だ、日本もアメリカもそう言う形の蹂躙をされた事が無い、日本がアメリカ軍に占領されたのは取りあえず此方から仕掛けた戦争に負けた為で何もしていないのに米軍が武力をもって占拠した訳ではない、慰安婦の問題は針小棒大はあるにしても「無かった」事にはならない、幾らロビー活動が上手いからと言え世界的には既に日本は「非人道的な政策をする国民」だとして認識されてしまっている、「無かった」とか「何処の国でも」とか言えば言うほど惨めになる事位理解した方が良い、女衒が「喰うに困っている連中の人助けだ」と言っても女郎屋の亭主が「まっとうな商売だ、」と言おうとそれは人買いと結託した底辺の商売だ。

無論それは「人類最初の商売」で有る事も確かだろうが自らの意思で其処に足を入れる女性と金の為に苦界に貶める女性とはやはり一線を置く物だろう、

売春防止法も売春した女性は罪には成らず斡旋した者が管理売春と言う罪になる、当人の意思に反して何らかの強制があれば、特に戦時中の軍隊や警察が政府の名前で行えばそれは「強要した」と言われてもしかた有るまい、特に日本国籍を持たない人達にとっては家族の死活問題になったとしても不思議はない、

此れはあくまで「考察すれば」と言うい事だが真実を明確にすべきだろう、今訴えている女性達が本当にそうだったとしたら真摯に向き合い事実を洗い出して謝罪すべきは謝罪しその責任は取るべきではないだろうか、此れは金の問題では無く日本人の矜持と言うもnではないか


一体どんな風に見えてるんだろう

2015-05-01 11:01:40 | 雑記

昨日の事、出張を終えて新幹線で東京に戻ったが昼飯を取り損ね時間が中途半端になってしまったので蕎麦でもと思って蒲田の駅ビルによって見た、私はこう言う処で店を特定出来る様な事はあまり好きではないが今回は少々腹が立ったので解る人には解ると言う書き方をさせて貰う、蒲田駅には東西の駅ビルが有るが今回は西口の東急では無い方の6階にある店に入った、3時半頃なので客は私達夫婦と2組しか居なかった、季節の蕎麦とチョークで書かれた物もあったが自分はこの後の晩酌を考えてシンプルにざる蕎麦を注文しようと「大笊を」と注文したのだが、40~45位の男性は「ざる蕎麦は海苔が乗ってる蕎麦で盛は乗って居ないそばですが・・」と聞かれた、本当の蕎麦屋は違うのだが此処はそれだけで値段を変えているいらしい、しかしそれ以前に私は「ざるともりの違いも解らない客」とでも思われたのか仕方ないので「解っていますよ」と答えたのだが妙に腹が立って来た、「大笊とおろし蕎麦ですね」と居なくなってから女房に「馬鹿にされてるのか?」と小声で聞いたが「そうなんじゃない」と言われた、普通「大笊」と言われた店員が(店長かもしれないが)客に盛と笊の違いを確認する店にあったのは初めてだ、本来盛蕎麦と笊蕎麦は出汁を変えるのが本当で店員が解る様に目印に海苔を置いた物だと聞いているがこの店はただ単に海苔を乗せて高く売るらしい、あんな物を乗せただけで高く取られるなら誰も盛蕎麦を喰うだろう、
しかも出て来た蕎麦は酷い物、水が切れていない上に細いのに硬い、蕎麦つゆはどう考えても出汁をとったとは思えない、煮切り醤油の様な代物だ、此れでは確かに関西の連中が「只しょっぱいだけの真っ黒な汁」と言われても納得する物である、蕎麦湯が来たが濁った白湯の様な有様で出汁も取れていないのでは一口すすって止めにした、
そう言えば十年以上前に夫婦と娘でファミリーレストランに入った時、ハンバーグだったかフライだったか要するに洋風の定食をたのんだら店員が「お箸をお持ちしましょうか?」と言われた事があった、「ああ、有難う」ともらっておいたが女房にも当然娘にも言わないが態々私にだけ言うのはサービスのつもりかもしれないが少々不本意だった、しかし此れはウェイトレスの思いやりと考えられなくもない、
女房子供に「お父さんは相当年寄りか田舎もんに見られるんだね」とその後暫く言われた物だが、今時はセットに最初から箸とフォーク、ナイフが入っているのでそんな事も無い、しかし笊と盛の区別がつかず、後で文句でも言いそうな人間に見えるのかと考えると少々悲しくなる、別に粋な人間に見えなくとも良いが其処まで野暮な人間に見られるなら考えなくてはならないのかと女房に聞いたが「そんな事は無いんじゃない」と言う事だった、しかし如何にせん腹立たしいので此処で空気を抜く事にしたがそんな処が「粋じゃ無い」のかもしれない。