梟の独り言

色々考える、しかし直ぐ忘れてしまう、書き留めておくには重過ぎる、徒然に思い付きを書いて置こうとはじめる

原発事故と自動車事故の比較とは

2015-05-05 16:00:35 | 雑記

村上春樹氏のツイートに対して「自動車事故で年間5千人以上の死者がでて居るのだからこっちの方が危険では」と言うリツイートがあり、何人かの役人や学者からも賛同する様なツイートが出たと有った、官僚や政治家及び経済界は利益で結びついたとしか思えない連中は当然そう言う言い方をするとは思うが学者が本気で言っているとしたらいくら専門馬鹿とは言え情けない、いや専門でなければ良いと言うわけも無いその知識で金を貰っているならもう少し掘り下げたコメントが有ってしかるべきだろう、

原発の危険性と交通事故を同じ土俵で論じる事自体学問の徒とは言えないがそれ以前の問題だ、確かに年間5千人の死者を出している事は統計的にそうなんだろうが台数は自動二輪を入れると8100万台走っている、これが毎日走っての死者数である、単純に台数で割っても0.0000617人である、延べ運転で言えばこの1/365である、確かに今回は直接死者数は出ていないが非難生活からストレスで亡くなった方は相当数になる、除洗作業員の死者も何人か居るとも聞く、原発事故は1つである、数字的にも比較にならない、しかも事故を起こした者は「業務上過失」という刑法上の責任もある、当然民事上の賠償責任には「精神的慰謝料」も残された遺族の保障も含まれる、しかし東電はそのどれも負っていない、賠償金を支払ったとは言え国からの補助金は賠償金額より多いのだ

基本的な構造の問題がある、地上を走る装置にはブレーキが有り、且つ「故障したら停止する」構造になっている、無論一時的にブレーキが利かなくなったりハンドルが壊れる事もあるがそれでも心臓であるエンジンが故障すると言う事は「動かなくなる」のである、電車や遊園地の遊具に関して言えば「ブレーキが掛かった状態が通常」であって動かす為に動力を加えている、つまりエンジン(動力)に異常があればブレーキが掛かるのが通常である、JR西日本の事故は運転手の人為的ミスである、(その責任が個人に帰するかどうかは別の問題である)

しかし原子炉と言う物は「壊れたら止まらなくなる」と言う構造だ、核反応は制御しなければ一気にエネルギーを放出しあらゆる物を溶解させてしまう、それがメルトダウンと言われるものでごく短時間に核分裂が起きるのが核爆弾だ、そして制御しなければこっちが通常の反応である、この事は普通に本屋さんで売っている核分裂の本を見れば書かれている、アメリカの高校生が濃縮ウランを手に入れればそのまま使える核爆弾のモックを作った事があるが核爆弾はその程度の知識が有れば出来る、しかしそれを完全に制御してゆっくりと取り出すのは非常に難しく、原子炉で制御を失えばそのまま原爆になる、核エネルギーで言えば福島第一・第2は広島型原爆より大きい筈だと記憶する。

政府は「あらゆる自然災害に対して完全にコントロール出来る」と言っているが3・11では結果メルトダウンを起こし周囲30km範囲は動物がすむには適さない状況になった、

「今度は絶対大丈夫だ」と言うなら今までは「大丈夫ではない」と言う事を「多分其処までの災害はあるまい」と言う認識で運転していたのか、「想定外だった」と言うなら今「完全にコントロール出来る」と言う想定災害が「絶対に想定外にはならない」と言う根拠はいったいなんなのだ。

原発ゼロで既に3年が過ぎている、「原発が無ければ日本の経済は成り立たない」と言う一方で「円安誘導で日本経済は力強く回復している」と言うアベノミクスは原発が無くとも日本経済は成り立つのではないのか、まあ実際には多くの国民はアベノミクスの恩恵には浴していない、株価が上がっても殆どの国民は株など持っていないのだから恩恵に浴するのはずっと先の事、それまでに失速すれば増税の負担だけが残る、

電気料金が家計に及ぼす影響はそれでも厳しいが企業努力でコストを下げるのが企業の本質だ、電気は自由競争になっていないのに「電気料金が国民に及ぼす影響、経済界に及ぼす影響」を値上げで切り抜ける事こそ「企業」としては本末転倒だ、送発電分離とあわせて一旦電力事業は解体して一般家庭用の電力は地域分立型にして競争の原理を入れるべでは無いかと愚考する、