茨城県で高校生が通り掛った女性を後ろから刺し殺したと言う事件が起きた、此処数十年でこう言うタイプの殺人事件が増えて来た感じがする、
「人を殺して見たかった」と言うのがその動機だと言う、それも未だ成熟には間が有る若者に多い様な気がする、九州で起きた中学生の少女が同級生の少女を殺した、小学校の頃から「殺して見たかったので同級生の男の子に農薬を飲ませた」とも言う、
全く無関係の被害者を無差別に殺すと言う事自体理解の範疇を超えるがそれでも秋葉原無差別殺人の「疎外感」とか「自殺する勇気が無かったから死刑になりたかった」と言う一般常識ではとても考えられない動機も含まれるが「ただ人を殺して見たかった」と言うのは本当に解らない、取材の中から「子供の頃から小動物を殺すのが好きだった」と言う様な報道も見る事もあるが正直こう言う記事は余り信用出来ない、記事がでっち上げの場合もあるが廻りの人達が勝手におもい混んでいる事も多々あるだろう、
最近のニュースに多いと言うが今迄にこう言う事件は無かったのかと言えばそうでもない、中には報道されない事件も多いだろうが突然人に襲いかかると言う事件は幾つもあった。今では禁止語らしいが「気違いに刃物」と言う言葉が有る様に突然刃物を持って無差別に殺傷する事件は地方の年寄りに聞けば結構多い、
江戸時代には辻切りという犯罪が本当に有ったらしい、時代物では大抵裕福な武士が犯人だが机龍之介の様な辻切りも会ったのかもしれない、切りたいと言う慾望が抑えられないと言う病気だと言う、無論虐げられた鬱屈が爆発すると言う様な事も多いがそれなりに異常な行動が常にあった事が所謂「村八分」的な形となり更に鬱屈してしまったと言う物も多いが中には「あんな立派な人が」「居るか居ないか解らない位大人しい人が」突然隣人を、或いは通行人を殺傷すると言う事件もある、日本だけかと言えばイギリスでも有名な「切り裂きジャック」」事件を上げるまでも無く同様な事件は数多くある様だ。
若しかしたら人間にも一定の割合でこう言う異常を持った個体は発生するのかも知れない、それを本人が自覚しても必死に抑え込んでいるのかも知れない、或いはある日突然発作的に表れるのかもしれない、ただ「人を殺して見たい」と言う慾望が生まれると言うのは恐らく理屈ではどうしようもないのだろう、心神喪失、自らの行為の意味を理解して居なかった状態で起こしたと言う判決理由で「無罪」となるケースもあるし「弁護戦略」としてそれを言いたてる弁護士も居るがそれで無罪となったとしてもやはりそのまま社会に放逐する事は危険極まりない、悪意を隠してならまだしも「自覚も無く」又今回の事件の様に自覚は有るが「止められない欲求」によって殺人を繰り返す恐れは十分にある、それを犯罪者の人権保護と言う理由で社会に放逐すると言う事は一般の生活者はその危険を全く関知出来ないまま生活をしなければならないと言う事になる、刑法的に無罪になってもやはり一般社会からは隔離しなければならないだろうと思う、
神戸幼児大量殺人の犯人の様に自ら死刑を望んでいる者も、奈良の幼女強姦殺人の犯人の様に「死刑にしてください、例え何年後であっても釈放されれば私はまたおなじ事をやって仕舞います」と言うのを読んでも人間は理解し難いとつくづく思う、
誤解と言うのは「相手を理解したと言う思い上り」が有って初めて成立する、本当に他人を理解する事など出来ないのだろう
「人を殺して見たかった」と言うのがその動機だと言う、それも未だ成熟には間が有る若者に多い様な気がする、九州で起きた中学生の少女が同級生の少女を殺した、小学校の頃から「殺して見たかったので同級生の男の子に農薬を飲ませた」とも言う、
全く無関係の被害者を無差別に殺すと言う事自体理解の範疇を超えるがそれでも秋葉原無差別殺人の「疎外感」とか「自殺する勇気が無かったから死刑になりたかった」と言う一般常識ではとても考えられない動機も含まれるが「ただ人を殺して見たかった」と言うのは本当に解らない、取材の中から「子供の頃から小動物を殺すのが好きだった」と言う様な報道も見る事もあるが正直こう言う記事は余り信用出来ない、記事がでっち上げの場合もあるが廻りの人達が勝手におもい混んでいる事も多々あるだろう、
最近のニュースに多いと言うが今迄にこう言う事件は無かったのかと言えばそうでもない、中には報道されない事件も多いだろうが突然人に襲いかかると言う事件は幾つもあった。今では禁止語らしいが「気違いに刃物」と言う言葉が有る様に突然刃物を持って無差別に殺傷する事件は地方の年寄りに聞けば結構多い、
江戸時代には辻切りという犯罪が本当に有ったらしい、時代物では大抵裕福な武士が犯人だが机龍之介の様な辻切りも会ったのかもしれない、切りたいと言う慾望が抑えられないと言う病気だと言う、無論虐げられた鬱屈が爆発すると言う様な事も多いがそれなりに異常な行動が常にあった事が所謂「村八分」的な形となり更に鬱屈してしまったと言う物も多いが中には「あんな立派な人が」「居るか居ないか解らない位大人しい人が」突然隣人を、或いは通行人を殺傷すると言う事件もある、日本だけかと言えばイギリスでも有名な「切り裂きジャック」」事件を上げるまでも無く同様な事件は数多くある様だ。
若しかしたら人間にも一定の割合でこう言う異常を持った個体は発生するのかも知れない、それを本人が自覚しても必死に抑え込んでいるのかも知れない、或いはある日突然発作的に表れるのかもしれない、ただ「人を殺して見たい」と言う慾望が生まれると言うのは恐らく理屈ではどうしようもないのだろう、心神喪失、自らの行為の意味を理解して居なかった状態で起こしたと言う判決理由で「無罪」となるケースもあるし「弁護戦略」としてそれを言いたてる弁護士も居るがそれで無罪となったとしてもやはりそのまま社会に放逐する事は危険極まりない、悪意を隠してならまだしも「自覚も無く」又今回の事件の様に自覚は有るが「止められない欲求」によって殺人を繰り返す恐れは十分にある、それを犯罪者の人権保護と言う理由で社会に放逐すると言う事は一般の生活者はその危険を全く関知出来ないまま生活をしなければならないと言う事になる、刑法的に無罪になってもやはり一般社会からは隔離しなければならないだろうと思う、
神戸幼児大量殺人の犯人の様に自ら死刑を望んでいる者も、奈良の幼女強姦殺人の犯人の様に「死刑にしてください、例え何年後であっても釈放されれば私はまたおなじ事をやって仕舞います」と言うのを読んでも人間は理解し難いとつくづく思う、
誤解と言うのは「相手を理解したと言う思い上り」が有って初めて成立する、本当に他人を理解する事など出来ないのだろう
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます