「2001年宇宙の旅」と言う映画がある
1968年にスターリング・キューブリックの監督したSF映画だが私は見ていない
木星に向かう宇宙船と船員とコンピューターの話らしいが「叙事詩的SF」とされている
しかし現代は既に2022年、サイエンスフィクションをリアルが追い抜いてしまった、
あれから54年、その間に月には降り立ち、国際宇宙ステーションも何基まわっているのだが惑星間飛行までは行ってはいない、
あの頃では21世紀はSFの世界だったんだなと考えると現在に生きている事が不思議な気持ちになる、
調べてみたらなんと「鉄腕アトム」の生誕も“公式設定では、2003年4月7日がアトムの誕生日とされる。”らしいのでアトムの時代も通り越していた、
作品は1952年開始だからやはり21世紀は遠い未来だったんだろうな
未だ原子力が夢のエネルギーだった時代なのでアトムのエネルギーは超小型原子炉だが「アトム」と言う名前自体「原子」と言う意味だ、しかしアメリカで上映されたときは
「アストロボーイ」と名前は変わっている、
日本は原爆被害国なのにあの悲惨さが見事に洗脳されて「夢のエネルギー」となり原発に傾倒していったわけだがその原爆を投下したアメリカは「アトム」と言う名前を「アストロ」と言う名前に変えた、
アトミックボンバーは放射能汚染と言う負の影響を持っている事は日本人以上に理解していたのではないだろうか、
人型ロボットはアンドロイドと言う言い方になってかなり人間に近いものも出来ているし機能型ロボットは色んな所で利用されるようになってもいるが手塚治虫氏の描いたような未来都市は未だ未だ到達しそうもない、
あの頃の漫画にはロボット物が結構あったが時代はどんどん夢を追い越してゆく、
科学万能の時代は結局一部の人間に富をもたらしたかも知れないが情緒を排したAIは「情状を酌量し」てはくれない、
単純作業と過酷な作業から救ってくれてもそこで糧を言えていた人間から職域を奪ってしまった、
デジタルの発達は生活を便利にするが自然との共生はだんだん難しく成ってゆく、計算は利益を追求する、効率は人間をコストとしてしかみない、命はコストではないのだが
能力だけでなく情緒的な物をコストとして排除していけば「あらゆる民の幸福の訴求権」は担保できない、
僅か60年前、人間の夢は徐々におかしな方向に曲がってしまった、科学は幾ら発達しても人間の愚かさは変えられないのだろうな
余談だが「2001年宇宙の旅」のBGMは、「ツアラストらはかく語りき」であるがリヒャルト・シュトラウスが1896年に作曲した交響詩だそうだ
これはニーチェの書いた「ツアラシュトラはこう言った」という著書でこの名前はゾロアスター教のギリシャ名「ザラスシュトラ」のドイツ語読みだという事を今読んでいる本で読んだ、
拝火教とニーチェと叙事詩的SFを時が追い越していた