梟の独り言

色々考える、しかし直ぐ忘れてしまう、書き留めておくには重過ぎる、徒然に思い付きを書いて置こうとはじめる

虐めが娯楽と言われてはたまらない

2016-11-06 07:09:10 | 雑記
「戦争もいじめも無くならない」と言うダイジェストのような記事が出ていたので読んでみた、キンコンと言う芸人の書いた本らしいがそれとは関係なく表題に惹かれたのだが「いじめが無くならないのはか彼らにとって虐めは娯楽だ」と言う、「金もかからないし手軽で飽きない」から無くならない、古代からずっと続いているのはそれが楽しいご楽だからだ」と書かれていた、娯楽の対象にされて自殺まで追い込まれる事が「楽しいからやめられるわけはない」と言われては被害者は救われない、
娯楽だからそれ以上に面白い事があれば興味はそっちに移る」と書かれ、例として「ブルーハート(ギターらしい)をやってみたらそちらに夢中になれば虐めはやめる」と書いているがギターより虐めのほうが面白かったら続けるというわけだ、もう一つ「例えばプレステ3に夢中になっていてもプレステ4が出ればそちらに夢中になるだろう」とも書かれていたが例えに合わせて考えると「素手で殴っていたのが凶器を持ったほうが面白い」ということになる、
昔から有ったかもしれないがそれはイレギュラーとして排除されてきている、殺人事件が昔からあるからそれはレギュラーだという理論はたり立たない、現代問題になるのは当たり前のように広がり陰湿になったことだ、少し前までは虐めるグループがいれば救うグループが必ず居た、ガキ大将には対抗する別のガキ大将が居た、いや当時はいじめをするガキ大将はあまりいなかった、陰湿な虐めは彼らの毛嫌いするところでも有った、此れを男気と言うと女性差別と言われるかもしれないがグループでターゲットを虐めるのは大抵女子だったきがする、男子がこういう事をすると(居ることはいたが)軽蔑の対象だった、
苦しむ人、悲しむ人を見たら自分に置き換えて自分が悲しむという事が無くなった気がする、想像力の欠如と言う事か、親のと言うより大人として成人した人間の責任として自分に置き換える事を子供に伝えて行かなければならない、そしてそれは言葉で伝えるのではなく、親自らが不幸な人を見たら心からかな済むことが必要だ、3歳位まで子供は親の行動を見て基本的な性質を形成する、口だけで言っても抱かれているときはずっと親を見ている、それが人間としての基礎を形成することを親はにかくしなければいけない、
今の親世代、どうも喜怒哀楽のうち哀と言う感情が抜けている感じがある、無論泣く事もあるし悲しむことも有るがそれは常に自分の為であり、さらに言えば喜怒哀楽は喜怒怒楽になっているように見える、思う様にならないが仕方が無いと言う事に遭遇すると悔しい事がかなしみではなく怒りになってしまうようだ
自分と他人を同じ条件だという事が納得出来ない、それどころか理解できないとしか思えない言動たが見られる、そしてそのまま子を成せばそのままの子供が出来てしまう、仏教で言う慈悲、他を慈しみ己が悲しむ事が大切だ、
「人の不幸は蜜の味」と言う言葉はそれが正しいというのではない、己の矮小さを恥じる自虐の言葉であることを理解しなければならない、自分より下を見つけても自分は大きくなったわけではない、弱いものを助けたことでこそ人間は大きくなる、
この記事を見たら自殺した子供の親御さんの怒りは想像に難くない