狸喰うモノ牛愛でるモノ

虐待放置、インチキ優先のやり方を信用出来るわけねーだろ

急かす世界とは。 要は指差し確認を是とするか非とするかである。

2021-10-15 17:57:30 | Weblog
上から見たこの性急を是とする世界の意は、「人の本質は悪であり、悪人に権力を与えてみよう」であろう。 この結果の一つが、権力を嵩に懸かり他人に事故を起こさせる社会。 ここに慎重さ、指差し確認を是とする傾向と、性急さ、事故の起こる状況へと誘導し経験者、優位者の地位を維持しようとする傾向とが混在する世界になっている。

「悪人たちに権力を与えれば彼らは善悪を知り、善に変わっていくだろう」。 私はこれの逆が起きているのではと見る。 人はそういうものではないと。
親が子供と遊ぶのが多くの人の中に善性が育つきっかけであり、𠮟られるべき時に𠮟られて善悪を知り善を選ぶようになる。 悪人に権力を与えると悪人たちはそうした状況をなくそうとする。
もう一つが食である。 子猫を餌に不自由しない環境で育てると、周囲を信頼する猫に育つ。
また、左翼の結果がある。 彼らは「善悪を知り、権力を得た悪人」であるが彼らの集団は人を騙し得た権力を人が不幸になる方へ誘導するのに用いる。 彼らは自身の権力が保全される状況ではそれを陥れに用いようとし、危うくなると牙をむき結託しようする。 失われては恨み他人の不幸に喜びを見出そうとする。

親が、大人が子供と一緒に遊んだならばその子供は善人に育つか。 他の要素もあるだろうが期待は出来る。 大人が子供と一緒に楽しまない社会で善人が増えるとは思えないし、多くを知る思慮ある人が子供の近くに居る社会でこそ善人が増え続けるだろうと思っている。
ではどうしたらそういう社会になるか。 近くに戦争や抗争といった状況がない、食糧供給が十分、社会思想が大人が子供と遊ぶ事を否定しない、それと、子供が増えすぎないもあるだろう。
善人が増える状況を作ろうとするのが指差し確認の世界であり、善人が増えないようにしようとするのが性急さを求める世界であると。
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