狸喰うモノ牛愛でるモノ

虐待放置、インチキ優先のやり方を信用出来るわけねーだろ

義なし、忠なし、実なし、嘘あり、傲慢あり。 腐敗体制責任者である彼らを処罰する。

2024-07-01 19:24:36 | Weblog
「アブラハム」=「アベル」。
キリスト教「神の子」の語源は人の子、アダムの子であり、復活する神の子とはアベル、アブラハムの事を指す。


「カインとアベル」における「神」とははアダムの事である。
神はカインと話すがカインはアダムと話す。 神がこの事を理解せずああなった。 この事から世間に「最初の殺人」と呼ばれるそれを私は「最初の収賄」と呼ぶ。


アブラハム物語の中心は「イサクの燔祭」である。 これの答えが「アベル」となっている。
アベルがアダムに長子カインの追放を図り、カインに察され殺される。
生まれ変わったアベルであるアブラム、アブラハムには長子イシュマエルの追放が与えられた。
後年これを理解したアブラハムは、神の国が来るまで羊を食べない誓いを建てた。 これは前世との決別であり彼を善とする、善を向いているとする理由となる。
アベルの罪、悪心を隠したザドキエルは落とされ簒奪者ヤコブとなった。 私は彼を嫌う。


西洋とはアベルの民である。 中洋はカイン、イシュマエルの民。 彼らは殺し合うべくある。 私は止まれと言うが、ヤコブの民は「自分たちこそ義しい」と言う。 私の在り方には筋がない、子どものわがままだと扱われていた。 よって彼らには未来がない。


エフライムにあるのは征服思想である。 虐待を、虐殺を嫌うものは棲み分けを求めるようになる。 虐殺を好むものはこれをわがままと決めつける。 罰される彼らの方がまだ何かあるだろう。

コメント
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