狸喰うモノ牛愛でるモノ

虐待放置、インチキ優先のやり方を信用出来るわけねーだろ

アテン教の天使たちにつき

2024-06-15 17:33:07 | Weblog

彼らは本来義しい。 だがユダヤ教・キリスト教のここ三千年ほどで「彼らに従うのが正しい」とされてしまっている。 まずその影響を除去する事からになる。 具体的にはユダヤ教・キリスト教を焼き払い「彼らは悪だった」とする。

ユダ族とは傭兵である。 傭兵が王族となりおかしくなった。 彼ら自身、自分たちが何者なのか分からなくなった。

「神の民ユダヤ」とはごっこ遊びである。
アブラハムの前に世界は東から小悪、中悪、大悪とされ、大悪の側に猶予が認められた。 焼き払うほうが簡単だった。
エジプトに「神の民」が作られる事となり、増えた彼らによる治世が為されるはずだったが「大悪の民」から代表、例が選ばれる事になった。 これが契約の民であり、選民。 後に彼らには神の民の真似事が与えられた。

「神の計画」ともされている何かには大雑把に二通りの筋があるとする。 地の呪い、アダムと農業の話と、アブラハム、大悪の民に猶予を与える話。

イエスの時代、神の民はガンダーラ本隊、アレキサンドリア分隊、アテネ分隊、ユダヤ教導エッセネがあったと見る。 神の人は人間関係に価値を置かず、神の民は神の人に聞けばいいとする。 結果彼らの教えは残らない。 教えを残すという発想がない。 「ユダヤ教が役に立った」とするならこの点にある。

イギリスの歴史を見る。 大悪である。 アメリカを見る。 大悪に染まっている。 「教えに何の価値が?」と問う。 今善を向かずに何時向くのだと。

アブラハムの、エフライムの側に憤る。 そんなもの優先するものなのかと。 無駄な猶予だった。 段階焼却でもしていればもっと良かっただろうにと。

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「神の計画」見直し

2024-06-15 15:43:18 | Weblog

三年くらい前の病死者だが、彼らがイエスの祖父世代となる人間たちで、「盛大な婚宴のたとえ」に該当する。
現存人類は彼らにどうあるべきかだが、
・「外に置いた善」に従う
・社会の維持に務める
・自分たちはイエスに対するユダヤ人でしかないと心がける

といったところか。

創世記に「人は一人で居るべきではない」とあり、イヴ(エバ)の創造理由であるが。 私はこれを否定するものである。 善の基本は一人。 悪の起源が癒着。

アテン教についての誤解。
昔どっかで読んだがヒンドゥー教ではブッダを「ヤシャから真理を隠した善」としているとあった。 私はこれをイエスの発想の真逆(金を埋めておくな)とするが、同時に、イエスの生き方でもあったとする。
神の人はあけっぴろげである。 悪人を嫌うが、問われればだいたい答える。 「隠す」という発想はその本質ではない。 単に理解されないだけ。
近くにイエスが居たらイエスに聞くだろう。 それが神の民のあり方。
一方のユダヤ、契約の民は兵営として始まった。 権力を得、神の民に去られたので聖書が出来た。

神の計画とやら。
塵は過去創造の残骸。 水は未創造。 これが原点。
世界を三地域に見、東をやや悪、中央を悪い、西を大悪としたのがアブラハムの少し前。
現代中国を「神は中国人を大悪と見、増えないようにした」「近い方の中国人は制限しなかった」とすると解るか。

復活について。
「信仰を持って死ねば」と言うだろう。 大悪の側が善悪を知らないまま放置されている理由がわからん。 「知ってから死ね、むしろ善を向いて生きればいい」とするが。

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