彼らは本来義しい。 だがユダヤ教・キリスト教のここ三千年ほどで「彼らに従うのが正しい」とされてしまっている。 まずその影響を除去する事からになる。 具体的にはユダヤ教・キリスト教を焼き払い「彼らは悪だった」とする。
ユダ族とは傭兵である。 傭兵が王族となりおかしくなった。 彼ら自身、自分たちが何者なのか分からなくなった。
「神の民ユダヤ」とはごっこ遊びである。
アブラハムの前に世界は東から小悪、中悪、大悪とされ、大悪の側に猶予が認められた。 焼き払うほうが簡単だった。
エジプトに「神の民」が作られる事となり、増えた彼らによる治世が為されるはずだったが「大悪の民」から代表、例が選ばれる事になった。 これが契約の民であり、選民。 後に彼らには神の民の真似事が与えられた。
「神の計画」ともされている何かには大雑把に二通りの筋があるとする。 地の呪い、アダムと農業の話と、アブラハム、大悪の民に猶予を与える話。
イエスの時代、神の民はガンダーラ本隊、アレキサンドリア分隊、アテネ分隊、ユダヤ教導エッセネがあったと見る。 神の人は人間関係に価値を置かず、神の民は神の人に聞けばいいとする。 結果彼らの教えは残らない。 教えを残すという発想がない。 「ユダヤ教が役に立った」とするならこの点にある。
イギリスの歴史を見る。 大悪である。 アメリカを見る。 大悪に染まっている。 「教えに何の価値が?」と問う。 今善を向かずに何時向くのだと。
アブラハムの、エフライムの側に憤る。 そんなもの優先するものなのかと。 無駄な猶予だった。 段階焼却でもしていればもっと良かっただろうにと。
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