狸喰うモノ牛愛でるモノ

虐待放置、インチキ優先のやり方を信用出来るわけねーだろ

「神の計画」見直し

2024-06-15 15:43:18 | Weblog

三年くらい前の病死者だが、彼らがイエスの祖父世代となる人間たちで、「盛大な婚宴のたとえ」に該当する。
現存人類は彼らにどうあるべきかだが、
・「外に置いた善」に従う
・社会の維持に務める
・自分たちはイエスに対するユダヤ人でしかないと心がける

といったところか。

創世記に「人は一人で居るべきではない」とあり、イヴ(エバ)の創造理由であるが。 私はこれを否定するものである。 善の基本は一人。 悪の起源が癒着。

アテン教についての誤解。
昔どっかで読んだがヒンドゥー教ではブッダを「ヤシャから真理を隠した善」としているとあった。 私はこれをイエスの発想の真逆(金を埋めておくな)とするが、同時に、イエスの生き方でもあったとする。
神の人はあけっぴろげである。 悪人を嫌うが、問われればだいたい答える。 「隠す」という発想はその本質ではない。 単に理解されないだけ。
近くにイエスが居たらイエスに聞くだろう。 それが神の民のあり方。
一方のユダヤ、契約の民は兵営として始まった。 権力を得、神の民に去られたので聖書が出来た。

神の計画とやら。
塵は過去創造の残骸。 水は未創造。 これが原点。
世界を三地域に見、東をやや悪、中央を悪い、西を大悪としたのがアブラハムの少し前。
現代中国を「神は中国人を大悪と見、増えないようにした」「近い方の中国人は制限しなかった」とすると解るか。

復活について。
「信仰を持って死ねば」と言うだろう。 大悪の側が善悪を知らないまま放置されている理由がわからん。 「知ってから死ね、むしろ善を向いて生きればいい」とするが。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 誰を嫌うか運命の分かれ道 | トップ | アテン教の天使たちにつき »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事