狸喰うモノ牛愛でるモノ

虐待放置、インチキ優先のやり方を信用出来るわけねーだろ

簡単な順に ①悪意の時代・勝ち組志向の時代を終わらせる ②直接神に依らず悟性人が増える状況の構築 ③神の黄金時代からの変化を変える

2024-08-01 05:09:38 | Weblog

悟性を認識していない人間と天使たちを一掃したい。
現状への衝動として上記がある。 それはそれ。

①の悪意・勝ち組志向の時代 だが。
先日筋道をまとめた文章が出来、喜んだ。
1 親や社会が勝ち組志向を是とする
2 勝ち組志向を選んだ子が行き詰まる
3 行き詰まった時点で負け組探しが始まる
4 負け組探しを続ける内にいじめや差別行動といった負け組作りを行うようになる

上記の4が悪意の行動だが、社会にありふれた教えのようなものを実践した結果自然とそうなる。
社会のルールで4だけ規制しようとするのが現行のリベラリズムだが無駄である。 悪は内面にあり、規制する側も共有しているゆえ。
3の負け組探しを精神の弱さ、2の行き詰まりを覇気の無さなどと評する向きは多いがこれも蒙昧である。 勝ち組志向に負け組の存在が組み込まれているゆえ。
勝ち組志向を精錬とするものも多い。 これも悪意である。 目標は一人立つ自分であるべき。 他者への勝利ではない。
他者に勝ったら自分は変わるのか。 その変化はくだらないものなのでは。 勝ち誇る他者に依存した状態が、負けてうなだれる他者への依存に置き換わっただけ。 それに伴う行動の自由の拡大と人間関係の入れ替わりは何かしら違いをもたらすだろうが。

勝ち組志向こそ社会に普遍的な悪意。 これを示せて喜んだのだが、改めて見るに古典宗教ではないかと。 仏教がそうだしキリスト教、というかイエスの教えにもそんなのがあった気がする。 他者依存の破滅と。 なんだろう。

②の悟性教育の制度化。 悟性を得る状況は一対一で自省が与えられる場合と、偶発的なものとがある。 要は一対一の自省を量産出来ないか、という話である。

③の黄金時代終焉。 時代があれば終わりが来る。 永遠を目指すのではなく、次に来るのが腐敗と悪意の時代ではなくする。
現状無理だな。 黄金時代の終わり自体が手元にない。

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