歳は五十路 心 見返れば
報われぬ日々があり
嫌気さすことも多い
それを徒労や倦怠と言うなら
この先を どう生きればいいのか
無明の闇 いまだ明けきらず
無明の闇 功徳の道 果てはどこやら
酒に浸り 眠り かさねても
焦燥は薄まらず
忘却の河に佇つ
それを怠惰や彷徨と言うなら
来し方を また繰り返すだけか
無明の闇 いまだ抜けきれず
無明の闇 功徳の道 果てはどこやら
無明の闇 いまだ明けきらず
無明の闇 功徳の道 果てはどこやら
ひとこと:龍雲3部作、最終です。
無明の闇とは仏の語に
煩悩にとらわれ悟りえない心の状態を
闇にたとえていうこと、とあります。
人間は孤独。人も羨むような金や名誉を
手に入れ、華やかな生活を送っている人でも
例外ではない。
皆等しく孤独な魂をかかえている。
以前読んだ、マリア・カラス
鬼塚勝也などの言葉にも
無明の闇を思わせる記述がある。
しかし、功徳の道を積めば
やがてその闇は明け、救いをもたらす。
とも仏教では教える。
アコースティックなギターを手に
ふりしぼり熱唱する龍雲サンの絵が浮かぶ…。