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「酒場 らく書き帳」 石原詢子

2015年05月30日 | 演歌女性歌手
石原

飲んで書いてる 人がいる
酔って また書く 人もいる
ほんのはずみではじまった
女の酒場の らく書き帳
灯りおとした カウンター
今夜もしみじみ 読ませていただくわ
らくがき帳

女将 姐さん ママさんと
呼び名違えど みなお客
顔で笑って こころ泣き
私もいろいろありました
愚痴や悩みの つれづれは
涙と笑いの 人生 酒暦
ノート

時の波です 浮き沈み
これが無ければ くじけてた
たまりたまって 15冊
女の酒場の らく書き帳
酸いも甘いも 読み分けて
もひとつ越えましょ 我慢の一丁目


ひとこと:石原詢子サンのTV出演をたて続けに見た。オリジナルの持ち歌はともかく
カヴァー曲の歌唱にはやはり合う合わないがあるもんだなぁと思った。それは何も
石原サンだけに限ったことではなくどの歌手にも当てはまるのだが。
このブログではこれまでに「隠恋雨」「隠恋雨」「飛騨の女と美濃おとこ」「切符」
4篇を書き下ろしてUPしているがひさびさの今回はちょっと趣きを変えた書き下ろ詞です。
男も女もお客として酒場=飲み屋に来るsituationはあるものの店主を主人公にしたものは
あまり無い。
 女性が一人きりもりしている飲み屋にお客に好き勝手書いてもらう「らく書き帳」なるものが
 あるという設定。愚痴も悩みもちょっといい話も書き連ねてある。それはこの女性の
 なぐさめであり楽しみでもあり張り合いでもある・・・
石原詢子サンにはマイナー調よりもやや明るめのミディアム・テンポの作品が合うと思っている。


「夢 いそがないで ~子供たちへ~」 庄野真代

2015年05月25日 | J-POP女性歌手
庄野真代

見たね 聞いたね さわったね
そしてキミたち 見つけるんだね

 こんなふうになりたいね
 あんな人になれるかな

気づいたときがキミの夢
ひらめいたときがキミの夢

 いっしょにお願いしましょうか
 近づくときまで逃げないで
 迷ったりしても そっぽ向かないで
庄野

いつになったらできるかな
どこへ行ったらがんばれるかな

 好きなことはいいことだ
 負けることも勉強だ

気づいたときがキミの夢
ひらめいたときがキミの夢

 あせってみたってしょうがない
 あきらめないから待っていて
 急いだりしたら 夢じゃなくなるよ


ひとこと:この1週間である人をキーにして2つの思いがつながる不思議を体験しました。
1つは作曲家・杉本眞人サンのCDを久しぶりに聴こうと思いジャケット(歌詞カード)を
つらつら見ていて作詞欄で<そういえば最近新曲を見かけないないなぁ>と収録されている
いくつかの歌詞をじっくり読んでみた。2つめは「飛んでイスタンブール」の庄野真代サンが
TVの歌番組に出るのを知ってごく稀に街の掲示板に貼ってあるコンサートのチラシを見かけたり
NPO法人『国境なき楽団』のことも承知していたので世界各地の子供たちへの活動の記憶が重なり
庄野サンにも書き下ろ詞を、と思って書きはじめていました。
さてこの2つを繋ぐキーはなんでしょう?答えは作詞家の 'ちあき哲也' サンです。1、2度
お会いしたことがあって大ヒットをいくつも世に出した作詞家とは思えない控えめでシャイな
印象を受けた覚えがあります。個性的な作風とJ-POPから演歌まで提供された作品は数えきれません。
その ちあき先生がまだ66才ですでに10日に亡くなっていたとはこの2つの不思議から何を暗示
しているのか思いはめぐるばかりです。またひとり作風的に好きな作詞家が亡くなりました。
ご冥福を祈りたいです。というわけで庄野真代サンを想定した書き下ろ詞が出来上がりました。
situation:国内のみならず世界中の子供たちが夢を抱き夢に憧れ夢に近付き叶えたいと思う
ことの素晴らしさと無垢な心。そんな子供たちに、夢よ急いでどこかへ行ってしまわないで
ボクたちはがんばるから、という思いをこめた書き下ろ詞です。

「夫婦綴り」 天童よしみ

2015年05月20日 | 演歌女性歌手
天童よしみ

好きにさせたろ やらせてやろ と
それがあんたの くちぐせでした
 我が子のためなら 白も黒
 二の句もつげない 夫婦(めおと)の日々も
 過ぎればいとしい 懐かしい

歯噛み 地団駄 悔しさ見抜き
我慢しろよ と 父子で泣いた
 見ていたわたしも もらい泣き
 あしたを誓った 夫婦の道に
 見つけた灯りの あたたかさ

感謝一生 天狗になるな
人が 世間が おまえを見てる
 幾つになっても 親なれば
 我が子に託した 夫婦の夢を
 壊さず 散らさず ちから添え


ひとこと:世の中には子を持つ親が我が子の才能や資質を見い出し好きなことなら献身的にバックアップをすることに異議はない。天童よしみサンのご両親もそうであった。彼女が歌謡界で現在の地位を得るまでの言い知れぬ苦節苦難のさまざまはファンならずともTVの特集番組などでくり返しON AIRされているからご存知の方も多いだろう。天才少女演歌歌手としてデビューしたものの鳴かず飛ばずで『道頓堀人情』でブレイクするまでの13年間雌伏の時期を私自身見知っているだけにご両親の言い尽くせぬ力添えはひとえに我が子への一途で懸命な愛情そのものにほかならない。カテゴリにある関わりのあった歌手として一番親交のある彼女にはオリジナル・アルバムが出来るほど彼女を想定した書き下ろ詞をストックしているがこれまでにこのブログでは「三つの車輛」「苦節」「母歌」の3篇をUPしてきた。一週間のTVの番組表に天童よしみの名が載らない日は無いくらいの活躍に自分もくまなく番組を見ているが昔と少しも変わらず笑顔、折り目正しさは変わらず歌もオリジナル、カヴァーにかかわらず変に崩して唄うことがない。
さて今回はタイトルこそ夫婦(めおと)ものだがここでの夫婦は母親から見た父親の有り様や父親の我が子に対する視点を交えて親子三人を浮かびあがらせている。特に各節の頭二行は天童よしみの歌人生をオーバーラップさせ夫婦の心情を書いた。
あの美空ひばりサンも『芸道一代』をはじめ幾つか母(喜美枝サン)を唄った作品があるようによしみサンにもそういった詞をと思い書いたのがこの書き下ろ詞です。