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「東日本大震災から7年」~29篇の勇気歌~

2018年03月11日 | 東日本大震災 勇気歌
東日本大震災から7年、忘れてはいけない日がまためぐってきた。
被災をまぬがれた者として、何が出来るか、何をしなければいけないか
発生から今日まで折に触れ、一モノ書きとして
《東日本大震災 勇気歌》と題して、詞句(ことば)に思いをかさね
29篇の詞を書き下ろしてきた。そのたびにいろいろなコメントや
反響をいただいた。今日、このブログを見てくれる人たちと
今一度それらの詞をとおして、この大震災で亡くなった多くの人々への
哀悼の気持ちを第一に、震災公営住宅で孤立する高齢者、
働き盛りの世代が生計を立てられず苦悩する現実、
かさ上げした街には住民が戻らず空き地が広がるギャップ。
さまざま状況をしっかり受けとめ、他人事ではないと自覚し
共有の日にしたいと思う。
 残された人たちの、亡くなってしまった人への
 言いつくせない思い、答えのない問いかけ・・・ 
 7年という風は無言のまま今日も被災地に吹く・・・

生きる心 僕は
40 しるべ君が
いつ北港偲び女川
陸前前向きつながりそして
水仙あした心
一献幸せトラック
21三月 22さくら 23恵み
24mahalo 25どうするの 26手のひら
27あるいて 28遍路 295年

画像=書き下ろ詞タイトル
①「生きる」②「心かさねて」③「僕は信じているよ」
④「Forty Generation ~40世代」⑤「夢しるべ」
⑥「君がおしえてくれた」⑦「いつの日か」⑧「ふるさと北港」
⑨「偲び桜」⑩「女川港」⑪「陸前愛歌」⑫「前向き上向き未来向き」
⑬「つながり」⑭「そして涙のかわく朝」⑮「三陸水仙」
⑯「あした飛び立つ鳥のように」⑰「心の明かりを消さずにおいて」
⑱「哲っさま一献」⑲「幸せのつくり方」⑳「男トラックまっしぐら」
21「三月、母に詫びて」22「さくら ―キミと僕のカノン―」
23「恵み花」24「mahalo ふくしま」25「どうするの」
26「ほほえむ手のひら」27「あるいて あした」28「三陸遍路みち」
29「5年という風」

書き下ろ詞には歌手、アーティストを想定しています。記事検索欄に
タイトルをコピペして記事を見てください。

           (画像をお借りしました)

「5年という風」 3.11東日本大震災に思いを寄せて

2016年03月11日 | 東日本大震災 勇気歌
もう5年たったね 人は言う
まだ5年だよ
たった5年だよ
残された わたしたち

なぜ 父さんだったの
なぜ 母さんだったの
どこからでもいいから 早く帰っておいでよ

なぜ ぼくが残ったの
なぜ ぼくだけが生きているの

 なにもかもなくなってしまった
 小高い丘のあちこちで
 枯れ枝を風がゆらしている
鳥
5年という風は
木々にとまる鳥の声さえも止め
埃りくさい風は 花も咲かせない

5年という風は
海だけをおだやかにして 青い
海2
まだ5年だよ
たった5年だよ


ひとこと:東日本大震災から5年、忘れてはいけない日がきた。
被災をまぬがれた者として、何が出来るか、何をしなければいけないか
発生から今日まで、物書きとして、折に触れ
東日本大震災 勇気歌と題して、言葉に思いをかさね
26篇の詞を書き下ろしてきた。その間いろいろコメントや反響をいただいた。
今日、このブログを見てくれる人たちには
今一度26篇の詞と今日新たな書き下ろ詞をとおして、哀悼の気持ち、
復興への願いを共有したいと思う。
 残された人たちの、亡くなってしまった人への言いつくせない思い
 答えのない問いかけ・・・ 5年という風は無言のまま今日も被災地に吹く・・・
                       (画像をお借りしました)

「三陸遍路みち」 駒幸夫 東日本大震災 勇気歌

2015年03月11日 | 東日本大震災 勇気歌
駒幸夫

春まだ浅い みちのくに
誰を偲ぶか 路傍の花よ
今は会えない 父 母の
あの日の涙を 心にきざみ
歩く 三陸 遍路みち

波路をはるか ゆく船に
思いめぐらす 惨禍の日々を
遠く離れた 友なれば
互いに気付いた 命の重さ
抱いて 三陸 遍路みち

出会いが人の 縁(えにし)なら
人は一生 明日への旅よ
巡る札所で 合掌(あわ)す手の
小さき祈りが 絆をむすぶ
ここは 三陸 遍路みち


ひとこと:東日本大震災から4年。多くの一般人、団体、
歌手、俳優など有名、無名にかかわらず今も被災地を訪問、
慰問のボランティア活動をしている人たちがいることを忘れない。
その中の一人、三味線奏者の駒幸夫サンが三陸沿岸の寺など
60ヶ所を巡る「津波霊場 三陸遍路みち」のルート地図を作る
活動に邁進している、という新聞記事を読んだ。
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駒幸夫サンはもともとは歌手でクラウンレコード時代には
『女のきずな』などを発売していてこれがまたとてもいい曲。
女のきずな
三味線奏者に転向してからは米国各地で公演するなど
活動も盛んで震災後は三味線を携えて被災地を訪れ、
慰問演奏で460ヶ所を回っている。
岩手県岩泉から釜石、陸前高田、気仙沼を巡り宮城県南三陸町まで
9市町330キロの遍路みちを犠牲者を悼みつつ、多くの方々に
歩いてほしいとのこと。
私のこのブログでは2011年3月の東日本大震災直後から
『東日本大震災 勇気歌』のカテゴリーで24篇を、想定した歌手に
書き下ろ詞を心を込めてUPしてきた。
仮設に住む約10万人の方々の住まいの移行や約27万人いると言われる
避難者数の救済などまだまだ困難な状況の中、復興への長い道のりを
覚悟しながらも必死にがんばっている人が
たくさんいることを4年を経過した今日、
改めて心を寄せていきたいと思う。
*タイトル画像お借りしました

「イチゴ畑のお元気さん」 宮城県亘理町のお年寄りに。

2014年06月14日 | 東日本大震災 勇気歌
イチゴ畑に 朝風吹けば
一人 二人と あつまる笑顔
 草をむしるは わたしの役目
 土をおこすは おいらの仕事
  みんな仲間だ ありがとう
  元気が一番 ありがとう

イチゴ畑も 昼ともなれば
これが楽しみ 採れたてご膳
 じっとしてたら 足腰弱る
 役に立ちましょ 動けるうちは
  食べて しゃべって 大笑い
  楽しいもんだ と 大笑い

イチゴ畑は 寄り合い所帯
芋はごろごろ 青菜も伸びる
 孫も可愛いが 畑も可愛い
 世話に励めば どんどん育つ
  負けちゃられねぇ がんばるさぁ
  よっこらどっこい がんばるさぁ


ひとこと:『しあわせ小箱』と銘打って夕刊に5日続きで掲載された『九州から被災地へ』は
NPO法人「ロシナンテス」の大嶋一馬サンらの奮闘ぶりを紹介した記事。
 震災後、話し相手もなく、元気がなくなり、仮設住宅にこもりがちだった高齢者らに
 気力を取り戻してもらおうと「健康農業 亘理いちご畑」を始めた大嶋サンは
 自分に役割があり、誰かの役に立っていると実感できることが、これほど人を元気づけるのか
 と語っている。
そんな人らに触発されて、お年寄りたちの心根と頑張りをお年寄りが共に歌える
歌謡曲調の書き下ろ詞です。
いちご畑
(画像をお借りしました)

なお、このブログで、似たように夕刊記事からinspireされて書き下ろしたものに
「三杯までよ」「人生 道化でいきましょう」
「花咲くオジジたち」をUPしています。
そちらもぜひ見てください。

「ほほえむ手のひら」 杜けあき

2014年03月04日 | 東日本大震災 勇気歌
杜けあき

老いた手は すべすべなのに どこか悲しい
落葉をあつめる庭もなく 野菜を洗う夕餉もない
あたり前にしてきたこと 失くしたあの日から
何度も何度も受けとめた その手のひらで ・・・涙

 愛という名のハンドクリームで
 あなたのその手をあたためたい
 ほんのひととき 悲しみを薄め
 ほほえむように 手のひらを
気仙沼

太い手は 節くれだけど なぜか重たい
魚が獲れない海を見て 破れた網を繕うだけ
生まれつきの不器用でも 自慢にできること
流され飛ばされ 気付いたら その手のひらに ・・・涙

 夢という名のハンドクリームで
 あなたのその手をあたためたい
 そしていつかは つらい日を忘れて
 ぬくもるように 手のひらが


 明日という名のハンドクリームで
 あなたのその手をあたためたい
 きっと誰もが 遠い日を刻み
 ほほえむように 手のひらが


ひとこと:リアルで読みたい本や、買ってまでめくるページの雑誌が
なくても新聞にはまだまだ興味をひく記事を、そこかしこに見つける
ことができる。私が読む新聞には、東日本大震災以降『震災 復興』
と題した面に『この3年』と特集した記事が掲載され続けている。
3月4日の30面には杜けあき さんが登場。仙台市出身で、宝塚の男役
トップスターとして数々の人気作品に主演し退団後も舞台やテレビ
などで活躍。宮城県の「みやぎ絆大使」として古里の魅力をPRして
いるほかチャリティー活動にも力を入れている女優さんだ。
彼女は震災発生後、気仙沼市の避難所を訪れた際、持参したハンド
クリームを取り出し一人一人の手をマッサージしながら話を聞いた
という。震災後、「私がすべきことは何だろうか」と自問したが
それぞれ、その人にしかできないことがあると気づき歌や芝居を
通じて、支援を続けていきたいという。

 このブログでは東日本大震災 勇気歌として30編の書き下ろ詞を
 UPしているがあの3.11がまためぐってくるにあたって、今日の
 杜さんの新聞記事にinspireされハンドクリームをキーワードに
 新しい詞が書けた。

東日本大震災から2年 に寄せて ~26篇の勇気歌~ 

2013年03月11日 | 東日本大震災 勇気歌
10

東日本大震災から2年、忘れてはいけない日がきた。
被災をまぬがれた者として、何が出来るか、何をしなければいけないか
発生から今日まで、物書きとして、折に触れ
東日本大震災 勇気歌と題して、言葉に思いをかさね
26篇の詞を書き下ろしてきた。
ブロガーからはいろいろコメントや反響をいただいた。
今日、このブログを見てくれる人たちには
今一度26篇の詞をとおして、哀悼の気持ち、復興への願いを共有したいと思う。


「どうするの」 森昌子
「mahaloふくしま」 渚ゆう子
「恵み花」 野中彩央里
「三月、母に詫びて」 門倉有希
「約束」 AAA(トリプルA)
「男トラックまっしぐら」 西方裕之
「幸せのつくり方」 太田裕美
「心の明かりを消さずにおいて」 和田アキ子
「三陸水仙」 伍代夏子
「そして涙のかわく朝」 森口博子
「ぶどうの花、咲く頃は」 クミコ
「つながり」 香西かおり
「前向き上向き未来向き」西田敏行
「陸前愛歌」 千昌夫
「女川港」 冠二郎
「偲び桜」 都はるみ
「ふるさと北港」 岸千恵子
「いつの日か」 新沼謙治
「君がおしえてくれた」 ゆず
「蹴球少年の夢」 森山直太朗
「夢しるべ」 細川たかし
「Forty Generation ~40世代」 近藤真彦
「僕は信じているよ」 工藤慎太郎
「心かさねて] 八代亜紀
「生きる」 北島三郎

「どうするの」 森昌子

2013年02月10日 | 東日本大震災 勇気歌
森昌子6

あなた 普通に生きていますか
それがどんなに素敵なことか
少し見つめてみませんか

つらい思いをしている人たちが
つよく やさしく 頑張ってるわ
あなたも 私も 友だちも
誰かのために 頑張りましょう

毎日 普通に 朝がきて
毎晩 普通に 眠られる
なにかしないで どうするの
なんにもしないで どうするの
森被災地

あなた 笑顔で生きていますか
それがどんなに大事なことか
そっと分かってくれますか

夢を チカラを失くした人たちが
明日を信じて 頑張ってるわ
あなたも 私も 友だちも
誰かのために 頑張りましょう

ひとつの命の 大切さ
みんなの命の あたたかさ
なにかしないで どうするの
なんにもしないで どうするの

なにかしないで どうするの
なんにもしないで どうするの


よもやま:森昌子サン、活動好調なようでgood!ですねぇ~。
欲を言えば『演歌・歌謡ランキング』にもランクインするような作品が待たれるところです。
このブログでは「鳥に還り花と咲き」「歌 在りて」「鷺草」 「いなずま」「待ちびと」
とUPしてきましたが、どれも彼女の歌世界を表現したものと自負しています。
7篇めの今回は3.11以降書き続けている『東日本大震災 勇気歌』を久しぶりにテーマとし、
被災地の人たちは復興に向けて頑張っている、普通に生きて暮していられる者たちが
なんにもしないでどうするの?と、何度も被災地を訪れ、今も地道な活動を続ける
彼女からのメッセージとしました。

「夫婦 雪月花」 伍代夏子

2012年08月15日 | 東日本大震災 勇気歌
杉伍代

会うまで見るまで 話すまで
あなたは遥かな 人でした
縁とは不思議で 素敵なものですね
 路傍にそよいだ 花だけど
 一輪咲きます ふたり道
 夫婦というもの あゝ いと嬉し

貰った恵みや 歓びは
分け合うものだと 云うあなた
ものさし 定規で 計れる人じゃない
 天空高くに 照る月を
 涙で見上げる 人のため
 夫婦というもの あゝ 身をさらす

幾つになろうと 老いてなお
なぐさめ 励まし いたわって
阿吽の呼吸に なれたらいいですね
 冬日にきらめく 残雪も
 やさしく抱いてる 木の芽ぶき
 夫婦というもの あゝ 春の夢


ひとこと:お盆でブログを見る人も減っているここ2、3日ですが
頑張って書いております。
ちょっと前にTVで東北の被災地を励まそうと
市町村を訪ねて勇気、元気を共有する番組に
杉良太郎、伍代夏子両人が宮城県塩竈市を訪ねる放送を見た。
ほとんど素に近い本音で地元の人たちと接する二人がなかなか良かった。
この詞は雪月花にたとえて二人を思わせるフレーズもあったりする。
夫婦とはいわば長い人生のふたり旅のようなもの。
えん旅
伍代サンには勇気歌として昨年11月に「三陸水仙」をUPしている。

「前向き上向き未来向き」 西田敏行

2012年08月12日 | 東日本大震災 勇気歌
西田敏行

前向き 上向き 未来(あした)向き
歩いてゆこうよ 一歩づつ
急がず あわてず あきらめず
涙をふこうよ 笑おうよ
 友だち 何人いましたか
 あれから仲間も 出来ました
前向き 上向き 未来(あした)向き

一本松
前向き 上向き 未来(あした)向き
負けずにいようよ みんなして
急がず あわてず あきらめず
つないでいこうよ 両の手を
 松の木 一本立ってます
 そこから元気が 伸びてます
前向き 上向き 未来(あした)向き

被災地の水仙
前向き 上向き 未来(あした)向き
帰ってゆこうよ ふるさとへ
急がず あわてず あきらめず
信じていようよ がんばりを 
 道には ひらいた花がある
 山からこだまも 答えてる
前向き 上向き 未来(あした)向き
前向き 上向き 未来(あした)向き



ひとこと:東日本大震災から5ヵ月が過ぎた。
季節柄、豪雨や猛暑などは避難所の多くの人たち、
自分の家に帰れない人たちを、苦しめている。
政治も、政治家もまったくダメ。
そんななかで今、震災直後から変わらず
被災者の目線に立って、応援と励ましの声を
絶やさず発信し続けているのは
福島県出身の俳優、西田敏行であろう。
つい一昨日もメッセージを聞いた。
そうだ、西田サンが歌う勇気歌を書こう。
そう考えて、老若男女を問わず、誰もが歌える歌を念頭に、詞を書いた。
つたない一物書きの心からの応援歌でもある。              
★東日本大震災からの復興を願う意図で書き始めた勇気歌は、ほかにも24編を
発表しているので、カテゴリ別アーカイブをクリックして、
そちらの方も是非ご覧になってください。
それらが一人一人の心に響き、なんらかのmoveとなれば幸いです。

↑ここまでは2011年8月にUPした記事の再掲載です。
1年5ヶ月が過ぎた今日、TVの福島での「のど自慢」に出身地の西田敏行が出演なので
新しい詞を書くよりもこの詞を再度UPすることで
忘れてはいけない3.11を皆でもう一度心に刻みたいと思います。

「三月、母に詫びて」 門倉有希

2012年03月10日 | 東日本大震災 勇気歌
門倉有希

慣れない土地の 朝夕は
つらいでしょうね お母さん
身内と言えども 気兼ねして
暮らしているかと 思えば泣けて
詫びております 空の下
仮設住宅
ガラスの窓を 風が打つ
雪が積もれば 屋根が鳴る
不自由ばかりの 仮住まい
身を寄せ合うにも 親子で四人
手狭のゆえの 親不孝 

あの日の春は いつめぐる
花はいつ咲く いつひらく
信じていましょう この里に
ふたたび戻れる その日を夢に
生きてください 母さんも


ひとこと:いよいよあの日がやってくる。
家を失くし家族を亡くし友だちを無くした多くの人たち。
ひときわ寒さの厳しかったこの冬を
手狭で窮屈な仮設住宅で、住まざるを得ない人たちを思うと
まだまだ春は遠いことを痛感するばかり。
長く住んできた故郷を事情で離れ、他の家族と暮らす人
家族ごと遠い地で生活を始めた人たち。
そんな想いが、この詞になった。
想定した歌手は福島県出身の門倉有希サン。

「男トラックまっしぐら」 西方裕之

2012年03月08日 | 東日本大震災 勇気歌
西方裕之2
活魚
宮古で荷を積んで
東北道をまっしぐら
夜中3時には 築地に着ける
トラック稼業 13年目
慣れと油断は 禁物さ
携帯に ちらり目をやれば
待ち受けの 恋女房が笑ってる
せり
渋滞にいらついちゃ
外環道はほど遠い
雨は横殴り 気を引き締める
遠距離専門 10トン車
好きなだけでは 勤まらぬ
春先にゃ 娘 卒業で
ゆっくりと 家族サービスしたいもの
築地
市場の食堂は
腹ごしらえにゃ事欠かぬ
トンボ返りだが 次の荷がある 
トラック稼業 暇なし人生
時間厳守が 勝負どこ
あと二日 よしっと力(りき)入れりゃ
久しぶり 家族の顔が待っている


ひとこと:東日本大震災からまもなく一年がやってくる。
このブログで昨年の大震災直後から「東日本大震災 勇気歌」と
題して20篇の書き下ろ詞をUPしてきた。
それはなにも大震災に乗じた、軽い気持ちからではない。
あらゆるメディアを通して被災地の惨状を見たり、読んだりするなかで
ただ単純に自分の出来うることは「書く」ことでしか
表現できる術はないと考えたからだ。
追悼の気持ちを精一杯、心に秘めながら
それぞれの被災地に心を寄せ、ふたたび勇気歌を書くことにした。
今回はテーマや表現も演歌の定型にこだわらない詞で
水産業の復興と、それに携わるトラック運転手の思いを底辺にこめた。
願わくば、あのような出来事が二度と起こらないことを祈るばかり。

「幸せのつくり方」 太田裕美

2012年01月19日 | 東日本大震災 勇気歌
太田裕美
うらやむことや 欲しがることを
ほんの少し 我慢して
家じゅうを 見廻せば
足りることに 気付いたの

せつないくらい 悲しいくらい
二度と手には 入らない
たからもの 失った
人の想い わかるでしょう

 幸せは 数や大きさじゃない
 幸せは 自分だけのものじゃない
 私が私を 好きなように
 誰かの心に 寄り添いながら
 その日その日が 暖かになりますように

無口になって 気を滅入らせて
モノに当たり 壊しても
喜ぶのは だれひとり
いないことを 知るでしょう

しまっておいた 写真のなかの
友はみんな 笑ってる
あの頃に 戻れたら
歩く道が 見えるはずよ

 幸せは 過去や昨日じゃない
 幸せは ひとり占めのものじゃない
 あなたがあなたを 生きるために
 すべての出会いを 受け入れながら
 今日やあしたを 心待ちできますように


ひとこと:1974年に本格的に歌手デビューした彼女も
なんと今年で38周年め。
デビュー曲「雨だれ」発売にあたって、全社的に
強力プッシュした頃を思い出す。
1/20は彼女の誕生日でもあり、ふと何かしら書きたくなった。
阪神
1995年(平成7年)1月17日に発生した「阪神・淡路大震災」の
17年めの追悼NEWSを見て、また東日本大震災とも併せ祈祷した。
そして東日本大震災 勇気歌の20作目として詞を書いた。
彼女の持つ、やわらかな歌唱が人々の心に届くようにと願いつつ。

「前向き上向き未来向き」 西田敏行

2011年08月05日 | 東日本大震災 勇気歌
西田敏行

前向き 上向き 未来(あした)向き
歩いてゆこうよ 一歩づつ
急がず あわてず あきらめず
涙をふこうよ 笑おうよ
 友だち 何人いましたか
 あれから仲間も 出来ました
前向き 上向き 未来(あした)向き

一本松

前向き 上向き 未来(あした)向き
負けずにいようよ みんなして
急がず あわてず あきらめず
つないでいこうよ 両の手を
 松の木 一本立ってます
 そこから元気が 伸びてます
前向き 上向き 未来(あした)向き

被災地の水仙

前向き 上向き 未来(あした)向き
帰ってゆこうよ ふるさとへ
急がず あわてず あきらめず
信じていようよ がんばりを 
 道には ひらいた花がある
 山からこだまも 答えてる
前向き 上向き 未来(あした)向き
前向き 上向き 未来(あした)向き



  ひとこと:東日本大震災からやがて5ヵ月が
       経とうとしている。
       さまざまな問題が遅々として進まないまま
       原発から波及して、肉牛や米など
       新しい問題が次から次へと発生している。
       季節柄、豪雨や猛暑などは
       避難所の多くの人たち、自分の家に
       帰れない人たちを、苦しめている。
       政治も、政治家もまったくダメ。
       そんななかで今、震災直後から変わらず
       被災者の目線に立って、応援と励ましの声を
       絶やさず発信し続けているのは
       福島県出身の俳優、西田敏行であろう。
       つい一昨日もメッセージを聞いた。
       そうだ、西田サンが歌う勇気歌を書こう。
       そう考えて、老若男女を問わず、誰もが
       歌えることを念頭に、詞を書いた。
       つたない一物書きの
       心からの応援歌でもある。
       
       
      ★東日本大震災からの復興を願う意図で
       書き始めた勇気歌は、ほかにも12編を
       発表しているので、カテゴリ別アーカイブを
       クリックして、そちらの方も是非
       ご覧になってください。
       それらが一人一人の心に響き
       なんらかのmoveとなれば幸いです。

「陸前愛歌」 千昌夫 東日本大震災 勇気歌

2011年04月06日 | 東日本大震災 勇気歌
千

  春はそこまで 来てたのに
  陸前高田は みぞれ雪
  杉もふるえる 氷上山
  おまえもつらかろ 泣くんじゃないぞ 
  おれを育てて くれたじゃないか
  でっかく どっしり 生きてやる

  季節めぐれば そこ此処に
  陸前高田に 花が咲く
  花は紅いろ 椿島
  一輪 あの娘の 黒髪挿して
  おどけ微笑む 笑顔がうかぶ
  やさしく いとしく 生きてゆこ

  誰を呼ぶのか 海べりを
  陸前高田に 鳥がとぶ
  かもめ 来い来い 北港
  群れからはぐれちゃ あしたが見えぬ
  どこに住んでも 遠くにいても
  なぐさめ はげまし 生きられる



   ひとこと:被災者の心痛の極みを共有し
         瓦礫の町の悲惨さなどを必死に堪えて
         今日も千昌夫は唄う。
         歌のチカラとはこういうものだ、と
         「北国の春」を熱唱する。

「女川港」 冠二郎 東日本大震災 勇気歌

2011年04月04日 | 東日本大震災 勇気歌
かんむり

  潮の香りを かさね着すれば
  寒さしのぎに ちょうどいい
  誰がおしえた わけではないが
  ここらあたりじゃ あったりまえさ
  魚跳ねたら あの娘がくるぞ
  逢いたくなったと 女川港

  親子三代 漁師の俺も
  好いた惚れたは 縁遠い
  となり町から 10対10で
  なんど合コン したやら 無残
  呼び名ばかりは 女川なのに
  女子(おなご)が足りない 男の港

  まぐろ一本 重さを量りゃ
  そりゃあ この恋 俺が勝つ
  雪がようやく 溶けはじめても
  春は足止め ちょい待ち霙
  負けがきらいな この俺さまだ
  幸せ 引き網 女川港



   ひとこと:独身オヤジ・冠サンも
         「ねぶた男肌」や「北海あばれ節」など
         北にちなんだ持ち歌がいくつかある。
         ねじりはち巻で元気が良くて
         東北のどこにでもいそうな海の男
         そんな冠サンをイメージして書いた。
         女川の港も早く復興して
         うまい魚がたくさん獲れるよう願いつつ。