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【追悼】樹木希林さん 新聞記事から・・・

2018年09月18日 | 亡くなった俳優を偲んで
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15日に亡くなった樹木希林さんについては、いろんなメディアが
さまざまに報道しているが、今朝の新聞には【追悼 樹木希林さん】と
題して関わりのあった4人のコメントや談話を掲載している。
ゆっくり、しっかり、熟読した中からキラリなフレーズを
紹介します。           (以下の画像をお借りしました)
記事

是枝
是枝裕和(映画監督):自身の中に残ったエネルギーと冷静に向き合い
コントロール・・・  凄みと軽やかさの同居した姿は神々しく・・・

阿武野
阿武野勝彦(TVプロデューサー):「諍いの好きな女だったのよ」
「面白がれるならやりなさいよ」「上出来の人生よ」(希林さん)
人生の羅針盤はいつも自由度の高い世界に向いていた・・・

河瀬
河瀬直美(映画監督):最後まで女優を演じ続ける姿勢、
その潔さと儚さ・・・

北川
北川れい子(映画評論家):誰にもおもねらない、中途半端ではない
部分・・・  長寿社会を背景に(中略)一つのサンプルにもなった・・・

【おくやみ】 樹木希林さん死去 75歳 哀悼!

2018年09月16日 | 亡くなった俳優を偲んで
😢樹木希林さんが死去された。75歳😰
き6
最期は自宅で家族に看取られて、との事。
き4
先月13日に左大腿骨を骨折し入院中だったが
不屈の魂できっと良くなられるだろうと願う一人でいた。
き6
🎶「最期ぐらいは裕也さんの歌を聞きながら」とは泣ける・・・
き5
樹木希林さんの演技や言動の蘊蓄をここで言ったってつまらない。 
き1
🎯自分はなんといっても希林さんの着物姿にず~~と注目していた。
古い、男物、派手、地味など一切お構いなし! 
これっと思ったら躊躇なく求め、手に入れ、仕立て直して
希林さん流に着こなす姿は唯一無二で羨望だった。
き3
それがまたステキに似合っていた! (画像をお借りしました)
き2
🙇‍♂️今年これまでで一番の哀しみごと、です・・・ 哀悼

「風の中ゆく」哀悼・高倉健さん

2014年12月01日 | 亡くなった俳優を偲んで
望郷シングル

何処へ行くかと 聞かれたら
風の中ゆく 答えはひとつ
 何を求めて いるのかと
 問わず語りに 西東
  人は旅なり ・・・風の中ゆく

瞼とじれば 走馬灯
遥か 去(こ)し方 戻る術なし
 友よ 愛しの 彼(か)の人よ
 いずれ我が身も 籍をおく
  思い届けよ ・・・遥か 去し方

守り通すは 礼と節
風の中ゆく 終りなき道
 何をしたかを 問うよりも
 如何に生きたか 人らしく
  人は旅なり ・・・風の中ゆく


ひとこと:11月10日、高倉健さんが亡くなった。1956年の映画デビューから半世紀にわたる
長い映画人生。健さんの映画はもちろん何本か見てきたが、一本を挙げるとするなら
1972年東映の『望郷子守唄』に尽きる。なぜこの映画を、と言えば私が親交をいただいた
名バイプレーヤーだった女優の故・浪花千栄子さんとの共演だったから。
浪花さん
健さんと浪花さんの共演映画は『べらんめえ芸者』や『宮本武蔵』などいくつかあるが
母子のなんともいえぬ情愛を描いたこの映画は、二人の名演技もあって、胸を打つ、泣かせる
映画だった。(軍隊を特別除隊になった正一(高倉健)が、母たね(浪花千栄子)には
軍隊で頑張っていると嘘の手紙を二度三度出す。たねが上京してきてその嘘をなじり
正一の頬を殴る前後のシーン。大木戸兄弟を倒した正一が怪我がなかったかと心配する
母を背負って警察に向かう最後のシーン。この2箇所のシーンには泣いた泣いた。
オロロン、オロロン、オロロンばい・・・と健さんが唄う主題歌も耳に残っている。
望郷子守唄
健さんが亡くなって新聞各紙に評伝がいくつか掲載された。
その中のひとつに、後年、映画の仕事や人生を「旅」にたとえることが多かったとある。
また漂白の俳人、種田山頭火の『何を求める 風の中ゆく』が好きだとも語っている。
この書き下ろ詞は、風の中ゆく、この一句に健さんの晩年が色濃く見えたような気がして
そこからインスピレーションが湧き上がった。
 礼節を重んじ、いつも背筋を伸ばしキリッとした立ち居振る舞いだった
 高倉健さんを偲びつつ、哀悼の詞としたい。
画像をお借りしました

いよいよ今日から12月、今年も残り1ヶ月。最後の月は、ここ数ヶ月における
『私の中の話題』をテーマに書き下ろ詞を進めていく予定です。
ひと、モノ、社会、どんなテーマとイメージが膨らんで詞心を奮い立たせてくれますことやら
どうぞお楽しみに。

「ミツコ星 ~哀悼 森光子さん」 五木ひろし

2012年12月28日 | 亡くなった俳優を偲んで
五木8

たとえる星は ほかになく
月見て優る 光りなし
(こころ)を燃焼(も)やし 身を削り
あぁ かの人は 一代の
新たにまたたく 星となりけり
・・・ミツコ星
森光子2

譲れるものは 惜しみなく
積み重ねしは 我がものと
時世(ときよ)を超えて ゆるぎなく
あぁ かの人は こころ根を
貫きとおせし 星となりけり
・・・ミツコ星
森光子1

選べし芸道(みち)の 険しさを
言の葉すらも 口にせず
笑顔に代えて 穏やかに
あぁ かの人は 民びとの
心を照らせし 星となりけり
・・・ミツコ星


よもやま:紅白歌合戦の出場歌手と曲目も発表され、関連して主だった歌手をピックアップし
書き下ろ詞をUPしていますが、いよいよ最後は五木ひろしサンです。
昨日UPした中村勘三郎さんにつづき、今年亡くなった方では、
11/10に逝去された森光子さんを忘れるわけにはいきません。
実は今日UPする書き下ろ詞は森さんが亡くなって直後に、やもたてもたまらず書いたものです。
想定した歌手を五木さんにしたこともあって、このシリーズの最後にUPしようと思っていました。
森さんは生前でもじゅうぶん芸能界、演劇界の燦めく星でした。
そして天国に召された今は、天空に瞬く新しい星となった、と考え
このタイトルが浮かびました。あらためて心からのご冥福を祈り、この詞を捧げます。

「おりく」 石川さゆり(哀悼・山田五十鈴:しぐれ茶屋おりく より)

2012年08月07日 | 亡くなった俳優を偲んで
石川さゆり3

女はいくつに なろうとも
胸に焔(ひ)を抱き 生きるが宿命(さだめ)
 しぐれ ひと雨 暇(いとま)の隙に
 おりく 名を呼ぶ 声追えば
 葦のたわみと 知るばかり

身も世も投げ出し 添えるなら
花も市井(しせい)の 情けにひらく
 しぐれ わびしや 眠れぬままに
 意地につまずく はがゆさを 
 泣いて枕に 立てる爪

口には出せない 去(こ)し方は
とうに隅田川(すみだ)に 流して捨てて
 しぐれ 茶屋店 気丈に守り
 一期一会に 明け暮れど
 終(つい)の棲み家は 此処なり と


ひとこと:2012年7月9日、95歳で亡くなった山田五十鈴さん。
山田五十鈴
昭和期を代表する日本の大女優の一人。女優として初めての文化勲章を受章の
なにしろ偉大な女優だが、映画でのベルさんの印象は「祇園の姉妹」だが
TVの鬼平犯科帳 第2シリーズ 第2話「むかしの女」はとても良かった。
舞台では「香華」と「たぬき」そして今回、詞のモチーフにした「しぐれ茶屋おりく」が印象に残っている。
川口
川口松太郎原作の「しぐれ~」はしぐれ蛤のことを言うのだが
この詞は雨のしぐれにも掛け合わせて、波乱に満ちた女将おりくの心情を書いた。
隅田川沿いの葦の湿原の中に建つ「しぐれ茶屋」。
しぐれ蛤
蛤の茶漬けを求めて、政治家・実業家・芸人らが通ったという実在のモデルの女将おりく。
想定した歌手は石川さゆりサンだが、この芝居を彼女が演じてもいいのではないか、と思ったからだ。
さゆりサンにはこれで3篇め。女優・浪花千栄子さんとの思い出をからめた「竹生島」
好きな映画シリーズの「夜の河」と女性の深淵に迫る詞ばかり。ぜひ見ていただきたい。
歌の表現力では当代ピカイチの彼女だけに、書くほうもなまじのテーマなんかで負けられぬ。