福田の雑記帖

www.mfukuda.com 徒然日記の抜粋です。

展覧会2018(5):千秋美術館「ピカソ展 フランス国立図書館版画コレクション」

2018年05月26日 18時35分21秒 | 音楽談義
 私は画集を眺めるのが好きである。

 新潟大学の学生であったときに、初めてピカソの複製画に出会ったような気がする。それは「これが絵画なのか?なんで評価がこんなに高いのか」理解できず、私にとっては「事件」だった。それ以来、ピカソに「困感」させられ、それが今まで続いてきた。

 ピカソは長命であった為に作品数が著しく多い。
 関連性が乏しいバラバラの主題と様式を展開させているだけの画家に見えた。

 ピカソは生とエロティシズムを超越して、20世紀最大の傑作絵画の一つとされる「アヴィニョンの娘たち」に到達した。確かに、この絵をじっと見ていると女性たちの美しさが湧き出してくる、様な気がしてならない。こういったのを名作と言うべきなのだろう。

 それもつかの間、次々と変化変容を繰り返しながら、ピカソはさらに未踏の実験へと向かう。

 そしてあの神話的大作「ゲルニカ」が誕生した。
 パリでゲルニカ空爆(1937年4月26日)の一報を受けたピカソは、パリ万国博覧会のスペイン館で展示される予定の壁画を製作していたが、急きょテーマを変更してゲルニカ空爆を題材に取り上げ、縦3.5m、横7.8mの大作を一月余で完成させた。大作「ゲルニカ」の存在でゲルニカ空爆が広島長崎の原爆投下と共に、永遠に人類に記憶されることになる。

 このように有名な作品は画集とかで見ることが出来るが、それでも全て網羅できるわけではない。
 多数の作品群の一部ではあるが、今回の様なテーマを絞った展覧会を通じて観る事が出来るのは嬉しいことである。

 入場時の資料として、出展されたリスト票をもらうことができた。
 しかし、観る者としてはコレだけでは不足である。作品そのものの画像は望み難いが、会場内にパネルで掲示してるピカソの生涯とか、作風の変遷を記述した説明文くらいは資料として作成してもいいのではないだろうか。字数が多く、字も小さい。とても会場内で十分に読むことは出来ない。

 スタッフに聞いたところ、1日わずか100人程度の入場者数だと言う。実に勿体ない。
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展覧会2018(4):千秋美術館「ピカソ展 フランス国立図書館版画コレクション」

2018年05月25日 17時38分32秒 | 音楽談義
 秋田市立千秋美術館で「ピカソ展 版画をめぐる冒険 フランス国立図書館版画コレクション」が開催されている。会期は4月21日(土)-16月3日(日)。一般1,000円であるが、私は年間パスポートを購入しているので一回毎の入館料は不要である。会期中は何度でも鑑賞出来る。


(秋田市広報に掲載されたお知らせから一部)

 この企画が秋田で実現したことは素晴らしい。秋田にいながら鑑賞できる展覧会はそれほど多くはない。見逃す手はない。

 5月23日(水)は午後から飯川病院ボランティアで、その出勤途中で秋田市立千秋美術館に立ち寄った。

 20世紀最大の巨匠といわれるバブロ・ピカソ。
 その70年以上におよぶ創作活動において2000点近くの版画を制作しており、銅版画、リトグラフなど、技法や素材も多岐にわたる。
 本展示会では、フランス国立図書館のコレクションからピカソの版画作品に光をあて、彼が影響を受けた、レンブラントやゴヤなどの巨匠たちの作品も合わせ100点が展示されている。
 今回の、100葉に及ぶ作品の多くは私は初めて見る作品であった。

 私はピカソの作品を見る度に、いくつかはこれは芸術と言えるのか・・?と疑問に思うのであるが、それは見る側の私の理解力が乏しいためらしい。

 新潟大学脳研究所教授の日本医事新報4475号、2010年に掲載された「ピカソの相対性理論」という論文を読んで考えを新たにした。
 以下に私が理解した教授の論文の後半の要旨である。
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 近代物理学が大きく揺れた20世紀、絵画の世界においても同様の現象か起きる。
 神を中心とする世界から人間中心の世界への変革を遂げたルネッサンス時代は、デカルトの原点のように、基準となる点を定めた具象絵画が主流であった。神からヒトへの視点の移動である。ダ・ヴィンチの絵には、最初の構図を決定するために打ちつけた釘の痕跡が見つかるという。そこから糸を四方に仲ばすことで絵の中心点を確保した、という。

 視点を限定せず、いろいろな角度から見たものを一つの画面に描く画法はキュービズムと言われる。言うまでもなくピカソらによって広められたものである。

 物体を一つの視点ではなく複数の視点から見つめ、その本質を描こうとしたピカソは、いわば、絵画における相対性理論の提唱者でもあった。
 多くの現点から見たものを同一の画面上に描くという作業は決して抽象ではない。実際に体験したものの蓄積からなる認知行動が基本であることを理解した上で、十本の指だけでも無限の数を数えられる形而上的思考能力を獲得したヒトの脳活動は、芸術の分野におにおいても同様の高次機能プロセスを要求するようになった。

 キュービズムの絵画は、見る人の脳における高次の認知プロセスを通して、初めて具象化される。

 拙象画への道を開いたにもかかわらず、ピカソをはじめとするキュービズムの巨匠たちは自分達の絵があくまでも具象画像であるとのこだわりを捨てなかった。それは、「複雑系科学は曖昧である」との不当な批判を避けるために複雑系科学者が実存する条件の設定にこだわったように、「感覚だけでよい」という短絡した概念の誕生を危惧した、彼らの小さな抵抗だったのだろう。
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 うーん、なんとなくわかった気がした。今回の展示会を通じて、私の勉強不足を痛感した。
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車のEV化と自動運転車(2) 消費者はツンボ桟敷に置かれている

2018年05月24日 15時30分12秒 | 時事問題 社会問題
 ガソリンなどの化石燃料を用いる自動車は20世紀に入って急速に普及したが、エンジン車への規制を強める動きが世界で広がり、EVが次世代の本命侯補になりつつある。
 加えて、自動運転の技術も急速に進化し、遠くない将来、操作がほとんどいらないクルマが登場する、とされているようだ。

 本当だろうか??私は双方ともにその道は厳しく長いと思う。

 自動車は人間の暮らしを支えるのみならず、自動車産業はその国の経済力の基本を成している。日本の経済を支える重要な産業だけに、EV化、自動運転車化の動きは社会に大きな変化が生じそうだ。日本のEV化はプリウスと言う名車をもちながら、いやプリウスが世界的にフィットした為に、逆に世界の足並みから遅れを取っている。
 わが国は民間、行政がタイアップして、車、電池だけでなくインフラ整備や社会的ルールの整備がを進めて行く必要がある。

 世界的にEV化の背景にあるのは、地球温暖化対策への意識の高まりである。米国の一部の州や中国がEV化を普及させる政策を進めていたが、英仏が新たに2040年までにガソリンとディーゼルエンジン車の販売を禁止する方針を打ち出した。諸外国は思い切った決断をする、と思う。

 EV化は電池の性能向上やコスト低下が背景にある。EVでは新しくベンチャー企業のテスラが台頭し、掃除機・扇風機で有名なダイソンも参入の構えで、車はエンジンからモーターヘの移行が加速しようとしている。
 
 EV化の鍵は電池にある。今や世界的に自動車用のリチウム電池の開発競争が行われている。パナソニックは米国のテスラと合同で米国で巨大な生産設備を持っている。
 日産はかつてはリーフ用電池を自社生産していたが、ここまで電池生産の企業が広がってしまうと自社で生産する必要が無くなっていることで、最近自社の自動車用電池の生産は終了させた。
 技術の革新でリチウムやレアアースの車一台あたりの使用量は減少しているが、世界規模で生産量が著増しているので争奪戦がかつてより激しくなって来ている。

 一方、自動運転では業種を超えた開発競争が激しい。
 人工知能(AI)や情報通信の技術を武器に、米国のグーグルやアップルなどが参入し、自動車産業に挑む。

 日本の車は、燃費の良さや価格の手ごろさ、故障の少なさ、アフターサービスの良さなど総合的な技術力で国際競争を生き抜いてきたが、EV化で構造が単純化し、AIによる自動運転化は、今後はこうした強みを発揮しにくくなる。

 EV電池、ガソリンスタンドに代わる充電設備の普及は当面、政策支援が必要と思われる。

 最後に購入を決めるのは一般の消費者である。
 消費者にとっては、夢の車であっても高価であっては困る。これが現実である。消費者はツンボ桟敷に置かれている。
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車のEV化と自動運転(1) 企業生き残り策中心でユーザー不在

2018年05月23日 11時38分03秒 | 時事問題 社会問題
 車のEV化と自動運転は世界の趨勢のような気がする。すくなくとも2016年後半から、新聞を中心にメディアでの記事が著増している。「自動車は100年に一度の大変革の時代を迎えようとしている」などと大騒ぎである。私のファイルにもEV化と自動運転技術的の記事が蓄積し始めた。
 
 この動きはなぜなのだろうか??
■ 化石燃料の枯渇 
■ 地球温暖化 
■ 高齢者の危険運転など
■ 高度のAI技術的の進歩
■ ・・・・・・

 理屈を並べれば幾らでも出てくる。それもあろう。しかし、私は以下のように考える。

■ ガソリンエンジン車の機能は十二分に成熟、もはや改良の余地なし。
■ 如何に付加価値を付けても一台当たりの儲けが頭打で企業の成長が望めない。
■ 各メーカー共に現状のクルマづくりでは抜きんでることができない。企業として行き詰まり状態。
■ ・・・・・・

 そんな各社の事情が背景にあると思っている。

 そのために、実際に購入し利用するユーザーの立場が殆ど無視されている、と感じる。
 EV化と自動運転技術的論議の中に現実にクルマを購入し、運転する側の事情などほとんど入っていない。

 私のことを言えば、EV車と自動運転車はいらない。
 実際には時代の趨勢に乗って、比較的初期型のプリウスを用いているが、私にとっては日常そんなに走らないからハイブリッド車である必要は必ずしも無かった。

 いま、車を必要としているのはまずは高齢者である。高齢者の自動車事故が増えている印象であるが、実態は不明である。たしかに自動運転車などあれば事故が減るだろうが、高齢者にとっては走るルート、目的地のセッティングが困難で、自動運転車の方が危ないような気がしてならない。危険防止のアシスト機能程度でも良いのではないだろうか。
 それ以上に、EV車、自動運転車の値段にユーザーとして耐えられるだろうか。

 今車を必要としているのは発展途上国の国民である。この人達に必要なのは安いクルマである。
 こう考えると、高邁な目標を掲げても、いまメディアが取り上げている程の需要はないのではないか、と思う。将来的方向性は間違ってはいないだろうけど。

 EV車と自動運転者論議にはユーザーの姿が見えない。

 
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カシオデジカメQV-10Aと老ネコ「ナンナン」 その命日に思う 

2018年05月22日 06時04分36秒 | コラム、エッセイ
 カシオは5月9日、コンパクトデジタルカメラ事業から撒退すると発表した。カメラ付きのスマフォに押され、年間の出荷台数はピークの1割以下の55万台に落ち込んでいた。今後は監視用カメラなど企業向けにシフトしていくと、との事。
 カシオが「QV10」で市場に参入したのは、デジカメ創生期だった1995年。それまで10万円台であったが、破格の6万円台であったことが支持され、デジカメブームの火付け役となった。
 しかし、最近のデジタルカメラの環境は厳しく、日本のメーカーの17年の出荷台数は計1330万台で、5年前の2割以下となった。オリンパス、ニコン両社も中国での生産を終了する、と発表した。

 私は1996年頃、機構、機能に興味があってカシオのQV-10Aを入手した。この製品はデジタルカメラ市場が発展するキッカケとなった先進的技術を取り入れた名器だった、と思う。

 以下の特徴があった。
■ 画素数は30万画素。
■ 単3電池4本で駆動。
■ レンズ部分が回転し自撮りもできた。
■ 内蔵のメモリーだけで96枚撮影可能。
■ その場で撮影画像を確認できる液晶パネルを背面に世界で最初に採用した。
■ 画像をパソコンに取り込める機能をつけた。
■ 6万5,000円という、低価格であった。

 我が家の一代目のネコは私が小学入学直後から高校卒業まで13年間共に過ごした。当時もカメラを所持していたが35mmフィルム自体も高価、現像、焼き付け引き延ばし値段も高価で、気軽には撮影出来なかった。
 一代目のネコの写真は13年の生涯を通じて数枚しかない。私の心残りの一つであった。その内の一枚はスマホの待ち受け画面で毎日見ている。

 二代目のネコ愛称「ナンナン」、本名「マルスランナ・ランドスト・フクダ」は野良であったが、厳冬のある日にわが家で引き取った。美しい表情を持つネコであった。
 
 「ナンナン」はカシオのQV-10Aの格好の被写体であった。機会ある毎にその姿を記録した。費用が一切掛からないし、パソコンに画像を取り込むと枚数の制限もなかった。

 カシオのQV-10Aは「ナンナン」の生涯を抜きには語れない。私はのちに300万画素の名刺サイズのカシオデジカメも購入した。その後はiPhoneのカメラだけ使用している。

 今では古い思い出となったが、2010年5月22日、「ナンナン」は推定年齢20歳で死んだ。2年ほど前から,昼夜逆転、奇声をあげて徘徊していたが,徐々に老衰状態に近づきつつあった。顔面に腫瘍もできていた。ただ、幸いなことに痛みはあんまり無いらしい。
 自分の分身のごとくに「ナンナン」を可愛がっていた横浜在住の長女が前日に最後の世話のために帰秋し、数時間見守る中、長女の膝の上で静かに息を引き取った。夕方、わが家の一角に丁寧に埋めてお別れした。


(15才頃のナンナン QV-10Aの画像でなく2台目のデジカメの画像)

(晩年のナンナン 私の脇で辞書をまくらに瞑想中 iPhone4で撮影)

 晩年は世話が大変であったが、QV-10Aの画像ともにいろいろ楽しい思い出を残してくれた。ただ、QV-10Aの画素数は30万であり、現在の800−2500万画素のスマホ、コンパクトデジカメの画像とは比較にならない。シャープさに欠けた写真も思い出のひとつである。

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