福田の雑記帖

www.mfukuda.com 徒然日記の抜粋です。

終活2018(4) 全集もの、今となればなかなか廃棄できない

2018年05月21日 05時22分56秒 | コラム、エッセイ
 私は物欲が強いわけでもなく、木工用の木片以外の収集癖も強くないと思うが、文学全集、レコード全集にどうして興味を持つようになって来たのかな、と思う。

 記億にある眼り最初に接した全集は、記憶が定かで無いが、小学生の頃に大阪の従兄(?)から貰った「少年少女文学全集」の30巻ほどのセットであった。
 その存在感は圧巻であった。これで日本や世界の名作を子ども向けに編集し直した作品に触れた。個別に作品を購入することなど不可能な程の多彩な作品が含まれていた。毎日毎日読むことに集中した。その中にかなりのスペースを割き収録してしてあった「千夜一夜物語」は記憶の隅に残っている。
 この全集はどこにいったのか。私が処分したとの記憶はないから、1965年頃に自宅を売却したときに多くの家財道具と共に廃棄されたのであろう。この全集の存在はその後のわたしの読書癖に影響を及ぼした。

 私が全集に興味をもった理由は、個別の作品に触れているうちにより広い作品に触れてみたいと言う意欲が生じたからであった。

 ハイドンの交響曲、110作品以上あるとされているが、その中でも90番以降に名曲が多い。しかしながら散発的であるがそれ以前の曲にも優れた曲が少なくない。全曲聴きたいと思い、入手出来る曲は積極的に取り寄せたが、実際には半分ほどで頓挫した。カタログ上でも見付からずそれ以上はどうしても入手出来なかった。ハイドンの交響曲全集は後日A.ドラティ指揮による全集、レコードで50枚ほどと記憶している、が発売されたが、その頃はほかの作曲家に興味が移っていて入手しなかった。今なら同全集はCD33枚のセットで入手できる。今なら他の演奏家の全集も数セット発売されている。好い時代になった。

 私が最初に購入したレコード全集は「ブルックナー交響曲全集」であった。
 交響曲8番、9番をとおしてブルックナーの曲に親しんだが、そのうちに全交響曲作品を聴いてみたくなった。当時個別にも入手不可能では無かったが全集として編集されたセットを購入した。全集で購入すると親しめない曲も含まれる。これがいい。個別に集めた場合などには入手する事も考えないだろう曲も含まれ、この中に私の琴線に触れるような曲が含まれることが少なくなく、これが全集ものの魅力である。逆に全集に含まれる演奏では満足出来ない場合には個別に追加入手した。結果として、全集3セット分のレコード、CDが書架にならんでいる。

 レコードを積極的に鳴らしていたときには何とも思わなかったが聴かなくなった今はその存在がプレッシャーになっている。

 個別の作品、単品のレコードを廃棄する時には未練が残らないように内容を確認しないで10枚単位で棄てているが、全集の多くは立派なカートンボックスに入っているためになかなか廃棄の手がのびない。何時どうやって廃棄するか思案中である。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする