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福田の雑記帖

www.mfukuda.com 徒然日記の抜粋です。

2023年はどんな年に??(2) ウクライナ問題を背景にN響第九特別公演味わう

2023年01月02日 03時37分27秒 | 音楽談義
 昨年は、ウクライナへの理不尽なロシアの侵攻問題で暮れた。二国間の問題に留まらず世界中で分断や歪みが目立った。この10ケ月、私にも精神的に色々影響を与えている。青空を見ても心は晴れない。心にもゆとりが乏しくなっている。

 そんな中、2022.12.25NHKホールで行われたベートーヴェンの交響曲第9番 ニ短調 op.125「合唱付」を本日午後、録画で視聴し心から感じ入った。

 演奏者は◉N響、◉指揮 井上道義、◉クリスティーナ・ランツハマー[Sop]、◉藤村実穂子[M.Sop]、◉ベンヤミン・ブルンス[Ten]、◉ゴデルジ・ジャネリーゼ[Bs]、
◉新国立劇場合唱団+東京オペラシンガーズ

 指揮の井上道義氏は1946年東京生まれで私と同世代、2014年に喉頭がんを克服し、以降も精力的な演奏活動を続けてきたが、2024年の引退を宣言している。氏が奏でる音楽は時に斬新である。指揮ぶりも華麗。引退は勿体無いが、氏なりの人生観、考えがあるのだろう。多分、闘病の経験がもたらしたものは小さくないと推定する。

 ベートーヴェンが生きた時代、氏が味わった苦悩は今よりもはるかに厳しかったはず。私のたどった人生など比較にもならないだろうと推定する。

 人との別れや別離の苦しみ、難聴という病、それらの苦難と共に生きたベートーヴェンが辿り着いた万物への巨大な眼差しと畏怖に基づく表現は、巨大なメッセージを包含する。分断された人間の感情、世界を音楽で一つに結び付けるという思いが込められている。
 人類の平和と歓び、自由と平等を願った渾身の超大作である。本日改めてその大きさを味わった。

 ロシアのウクライナ侵攻という人類史上忘れることの出来ない年となった2022年、ベートーヴェンの交響曲第9番は私にとって耳慣れた曲であるが、本日はこの一年を振り返りつつ聴いていた。

 今年の演奏はひとしお感慨深く聴こえた。

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音楽談議2022(12) 童謡の魅力(4) 幼児教育、人間形成にも深い影響

2022年11月27日 04時18分10秒 | 音楽談義
 童謡の「ゾウさん」の簡素な言葉でつづられた詩は実に深い。
 作者のまどみちお氏はかつてインタビューで「子ゾウは「おはながながいのね」と言われて、ほめられたかのように喜んで歌っている、「みんな違っていることは素晴らしいことだ」と言っている。金子みすずの「みんな違って、それでいい」という詩も同様である。
 違った生き物に人と同じ命の重さを意識したまど氏の人間性が染みこんでいる。違っているものも慈しむ心、共生の心は人間教育の基礎である。

 童謡には、何度も何度も歌うことで詩の意味を体に染み込ませていく力がある。加えて、家族とか保育園の友達とで一緒に歌うことで感動と共感の場面をつくり、人と人との関係性を育む。子供の能力は童謡を聞き、歌うことで、普段の遊びとは違った独特の時問経験を通し、豊かで柔らかな感情、すなわち人間性の基礎を身に付ける。

 いじめ、不登校、 引きこもり、コミュニケーション下手などさまざまな問題の一部は、人間の土台づくりが不十分なために発せられるサインのように思える。豊かな感性と情緒を磨き上げる人間形成に不可欠な家庭教育や幼児教育について、あらためて議論する必要があるように思う。 

 人間教育の基礎となる親と子の関係や児童と教師との関係に、精神的な、あるいは物理的なゆとりがどの程度まであるのだろう。

 昔の家庭環境は教育には良かった・・・、もう歴史が戻ることがないから賛美してもしょうがないが、TVが普及しなかった時代、夕食は一家団欒の場であった。上座には父親または家長が座り話題の中心を担って家庭内の調整をしていた。
 TVの普及によって父親の座は失われた。話題は各家庭の諸問題から、より普遍的な話題になっていった。娯楽番組を見ながら夕食を摂る家庭も少なくないようである。

 TVの普及が家庭教育の有り様に一石を投じたのは確かであろう。やがて家族の時代から、家庭の中でも個室化、個人の時代に推移した。

 時代の移り変わりとともに時間の推移はスピード感を高めていった。
 親も教育者も慌ただしく駆けずり回り、子どもと向き合う時間さえ失いかけている今、大人や社会の鏡ともいわれる子どもたちの心もセカセカ、ギスギスしているに違いない。 

 この近年の文明・文化の変遷はあまりにも早い。古い概念で育った大正・昭和時代の人間にとって個の時代はなかなか理解できない。時代に取り残された世代である。同じことは子どもの世代にも言いうる。

 童謡を歌い感動を味わう、あのゆったりとした独特な時間が失われてしまった。
 子どもには、童謡を歌うという独特の時間の中で心を震わせ、感動をじっくりと身体に染みこませる時間が必要である。童謡にはそんな力がある。

 子どもには子どもの時間が必要なのだ。
(本稿の論旨の一部は秋田魁新聞月曜論壇、秋田市大森山動物園園長小松氏の記事を参考にさせていただいた)

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音楽談議2022(11) 童歌、唱歌、ラジオ歌謡の魅力(3)

2022年11月26日 03時09分10秒 | 音楽談義
 次に挙げなければならないのは戦後の「ラジオ歌謡」である。
 唱歌や童謡は戦時下世相を反映してしまった。
 ラジオ歌謡は荒廃した日本人の心に夢と希望を与えようと1946-62年に放送された歌番組の名称であるが、今はこの番組で取り上げられた800曲近い歌曲を指す。
 ラジオ歌謡には私も好きな良い曲が多い。ラジオ歌謡は日本歌謡史に燦然と輝く作品群である。

 第1作は1946年の「風はそよかぜ」で、その後、「朝はどこから」、「三日月娘」、「あざみの歌」、「山小舎の灯」、「さくら貝の歌」、「夏の思い出」、「白い花の咲く頃」、「山の煙」、「森の水車」、「チャペルの鐘」「雪の降る街を」などなど、現在も親しまれている多数の作品が発表された。

 ラジオ歌謡は必ずしも児童に歌ってもらうために作曲されたのではない。しっとりとした情感を大切にした曲が多く、より年長の人々に愛された。

 最近特に感心するのは童謡や唱歌を創る方々、童話を書く方々の感受性についてである。じっくりと聴き、読むと、本当に真から驚いてしまう。世の中がこんなに変わってしまったのに、それらの方々はずいぶんと感性が豊かなままである。

 童歌、童謡や唱歌、童話がどれだけ子供達に受け入れられているのだろうか。
 これらの作品を子供達に提供できるのは身近にいる大人であるが、その大人が興味や感受性を失ってしまっているように思えてならない。

 今はむしろ、これらの童謡や唱歌、童話等は年寄りのために、私のためにあるのだ、とも思っている。

 私は最近幼児返りしているのかもしれない。童謡・唱歌、民話などにいたく興味を感じてきている。

 童歌、童謡・唱歌、民話などには、社会人としての基本的な教訓が沢山含まれているのもいい。
 私の郷里の岩手県には、特に遠野地区には多くの童歌、「むかし、あったずもな」で語り出し、「どんとはれ」で終わる多くの民話が伝えられている。
 私もかつて遠野で語部から直接聞いたが、不思議な雰囲気であった。話の内容が本当か?と思われるものであっても、心の中にスーッと入ってくる。

 家庭内で親とか祖父母達が、幼児期に毎日のように歌って聞かせている童謡、童話は親や祖父母の目を見ながら歌う、語る。そのことが血が通った教育になる。その際、民話や昔話というのは、物事の善悪を直接教えるものではなく、子供達が自分で感じ取れる様な表現になっている事に大きな意味がある。このことで想像力を養い、次いで創造力が養われる。

 安心して眠りにつけることは家族間の信頼感の表れであり、各地の子守歌は眠りへの誘いである。やさしく唄われる子守歌は心の育成に大いに役立ったはず。

 童歌等は日常生活から姿を消して久しい。
 最近の電子的な音や映像の氾濫が、人の成長に最も大事な感性の涵養にどうなのかな?と思ってしまう。





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音楽談議2022(10) 童歌、唱歌、童謡、ラジオ歌謡、新民謡の魅力(2)

2022年11月25日 05時02分59秒 | 音楽談義
西洋文化導入後の日本の音楽
 我が国の近代の音楽は明治政府の政策的教育として作られていった。1872年(明治5年)に学制が発布され、小学校の教科書に「唱歌」が記載されたが、この頃日本人による曲は殆どなく、大部分は西洋の曲に日本の詩を、半ば無理矢理当てはめた曲であった。「蛍の光」、「あおげば尊し」、「庭のちぐさ」などである。
 私はこのような日本的叙情を見事に表している曲が、原曲が外国の民謡などであったのか、その所以を長い間知らなかったが、唱歌の歴史を見ると納得できたがそれ以上に見事な「和流化」に驚かされる。

(1)唱歌
 唱歌の定義は「主として明治初期から第2次大戦終了時まで学校教育用作られた歌で、童謡等も含む」とするのが一般的である。その後、作曲された唱歌として「故郷」、「春の小川」、「おぼろ月夜」などがあり、今も広く愛唱され続けている曲も多い。
 私は唱歌は子供のための官製の歌と思っている。

(2)「童謡」
 童謡は子供向けの歌を指すが、一般的には大正後期以降、子供に歌われることを目的に作られた歌曲をのことである。
 明治以降西洋から近代音楽が紹介され、学校教育用に文部省唱歌が多数作られた。これらは情操教育を目的に日本の風景訓話などを歌ったものである。

 童謡の普及に尽力した鈴木三重吉(1882-1936)は、童謡の定義として「子供に向けて創作された芸術的香気の高い歌謡で、芸術味の豊かな、子供等の美しい空想や純な情緒を傷つけない、これを優しく育む様な歌と曲」とした。
 私は「童謡」は民製の曲と言っていいと思う。

 「童謡」の誕生は大正19年の『カナリヤ」が最初だと言われている。西条八十の詩に秋田出身の成田為三が作曲した曲である。成田為三は「浜辺の歌」や 「赤い鳥小鳥」などが有名であるが、日本の音楽界で果たした役割の大きさが再認識されつつある。秋田県から偉大な作曲家が輩出した事はもっと知られて良い。

 1940年頃を境に唱歌も童謡も戦意高揚、思想統制の道具とされ、「隣組」や「戦争ごっこ」のような戦時童謡と呼ばれる歌が作られた。
 終戦後は、ベビーブームもあって童謡への関心が高まった。「ぞうさん」や「犬のおまわりさん」など、現在でも歌われる多くの歌が作られた。

 童謡は時代とともに考え方が変化したが、現在では「童謡」=「子供の歌」として広くとらえ、唱歌、わらべ歌、抒情歌、さらにテレビ・アニメの主題歌など、ジャンルを問わず子供の歌を全て「童謡」と括ってしまう傾向があるようだ。テレビ・アニメの主題歌を童謡に含めることに私は抵抗がある。

 最近は若いお母さん方の関心がうすく、古くからの童謡が家庭で歌われることは少なくなっている、とされる。

 童謡・唱歌を積極的に取り上げている由紀・安田姉妹の活動は意味がある。私も好きでコンサート会場で数回聴いている。懐かしい、ほっと和むような時間が味わえるが、会場には爺婆世代が多く、子連れのお母さん方の姿はとても少ない。

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音楽談議2022(9) 私は最近幼児返り?? 童歌、唱歌、童謡、ラジオ歌謡、新民謡の魅力(1)

2022年11月24日 06時04分08秒 | 音楽談義
 還暦とは人生の折り返し点と考えられている。
 もうあれから17年も生きた。年を重ねていることの実感もいろいろ感じ取れるが、一方では自分の内的一面は確かに加齢とは逆な方向にターンしたような気がしてならない。

 ここ数年、私は自分の興味の範囲がむしろ広がってきているような妙な充実感と、幼児返りなのか、民話や童話、昔話、童謡や唱歌に対する興味、歴史、人間に対する興味などが明らかに深まってきたと言う実感がある。
 自分自身にある面で幼児性が残っていて、いろんな面でその感覚を楽しんでいたが、何か最近それも高じて来ている様な、なかなか良い感じである。

 最近、童歌、子供の歌などを懐かしく聴いている。
 今はむしろ、これらの童謡や唱歌、童話等は年寄りのために、私のためにあるのだ、とも思っている。
 私は最近幼児返りしているのかもしれない。童謡・唱歌、民話などにいたく興味を感じてきている。

 これを機会に、ちょっと考察してみる。

 世界中で人のいるところに歌のないところはない。
 舌の機能の多彩さは人間の特徴の一つで、咀嚼、嚥下、感覚器、発声にも重要である。

 人間は比較的自由に声をコントロール出来る。さらに感情がある。だから、いろいろな声を出せる。
 人類の発達とともに何時しか声に感情がこもり、一定の気持ちをあらわすための抑揚とかが共通の表現法が決まっていったのだろう。

 さらに、言葉を獲得すると言葉で感情を表現するために一層ふさわしい表現が確立していった。これに原始的な打楽器が併用されたことは容易に想像され、音楽が形成されていった。

 単純な打楽器は8000年ほど前のものが出土しているから、歌の歴史はもっと長い。だから、初期の音楽は声が楽器であり必ず歌が伴っていた。楽器が発達してから声を伴わない音楽も発達した。

 我が国に特有な歌や音楽もそれなりの歴史を踏んで発展したと思われる。
 長く鎖国をしていたために西洋音楽に触れる機会はペリー来日までなかった。

西洋文化以前の日本の音楽
 (1)民謡
 民謡は古代から存在していたと考えられている。民謡の始まりは歓喜を表す叫び声や、仕事の際に節をつけたものと思われる。また、自然崇拝において、神に祈る際に言葉に抑揚つけた。そのようなものが民謡の始まりであると考えられ、これらが歌として今日まで伝わってきた。
 さらに明治時代後期から大正時代にかけてそれぞれの地域の文化の確立のために新しく民謡風の歌が作られた。それらは従来の伝統的な民謡とは区別して「新民謡」と呼ばれている。

 (2)童歌(わらべうた)
 童歌とは、子供が遊びながら歌う、昔から伝えられ歌い継がれてきた歌である。伝承童謡、自然童謡ともいう。童歌は、絵描き歌、数え歌、遊びの歌などに分けられる。
 「ちゃつぼ」「かごめかごめ」「はないちもんめ」「とうりゃんせ」「ずいずいずっころばし」「あんたがたどこさ」などは私も歌ったことがあり、聞くごとに懐かしい
思いがする。

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