わ! かった陶芸 (明窓窯)

 作陶や技術的方法、疑問、質問など陶芸全般 
 特に電動轆轤技法、各種装飾方法、釉薬などについてお話します。

茶道具 (花入1)

2010-05-19 22:42:30 | お茶と「茶の湯」と茶道具(茶陶)
花入(特に陶磁器製)について、述べます。

花入(又は、花生)は、文字の通り、花を入れる(活ける)、花器の事です。

千利休の頃から、茶道具の花器を、花入と呼ぶ様に成ります。

・ 花を生けた花入は、床の間に軸(掛け軸)と共に、飾られる物で、茶会に於いて、無くてはならない

  重要な鑑賞物に、なっています。

・ 茶道で使われる花入は、華道で使用される、花器とは区別されます。

  又、花の活け方や、花材にも違いが、あります。

1) 花入の種類

 ① 掛け花入: 中釘や床柱の花釘に、掛ける花入です。

 ② 釣り花入: 床の間の天井や、落掛などから、吊る釣花入です。

 ③ (置き)花入: 床の間に置かれる、花入です。

2) 花入の格(位) 

  材質や形によって、花入にも真、行、草の格(位)があります。

 ① 真(格が高い):唐物の、古銅(こどう)、青磁、染付、赤絵、など。 
       
   掛軸が真の位なら、花入も真の物を、使います。

 ② 行(普通): 釉の掛かった、焼き物など。

   国焼物では、釉の掛かった「瀬戸」、「丹波」、「膳所(ぜぜ)」、「高取」、「信楽」、「萩」焼きで、

   楽焼は、<草>の扱いをしますが、その形状によっては、<行>の扱いをする事もあります。

   (例えば、大樋焼の「大鶴首花入」や、宗旦好みの薄端鯉耳花入など)

 ③ 草(ややくだける): 素焼きの焼き物、木や竹(籠、瓢)で出来た物など。

   国焼きで、釉薬の掛かっていない、「備前」、「伊賀」、「信楽」、「常滑」、又「南蛮」ものや

  「楽焼」、「大樋焼」などです。

 ・ 茶の湯の発生当時から、現在までも、青磁花生が、特に珍重されています。

   その筆頭が、宋代の皇帝直属の、官窯花生で、鎌倉時代に渡来した、「竹の子花生」があります。

   砧(きぬた)手、天竜寺手、七官手などは、宋、元、明代に掛けて、竜泉窯で、焼成された物です。

 ・ 軸などとの、取り合わせや、お茶会、お茶事の内容によって、使い分けられます。
 
   さらに花(茶花)や、季節に合った、花入を選びます。

 ・ 利休は、竹製(筒、籠など)を、好みましたが、古田織部は、備前、伊賀、唐津、古染付けの、

   焼物の花入、特に「掛け花入」を、好んで使いました。

3) 花入の置く位置

   位置は、流儀や、部屋の構造などによって、約束事(決まり)があります。

 ① 茶会を行う、和室の床の間は、畳床が最高と、されています。他には、板床などがあります。

 ② 床の上に、飾る時の約束事に、敷板の使用方法があり、畳床の場合は、花入の位に応じて、

   真・行・草の板を使い分けます。

   但し、籠製花入の場合のみ、畳床であっても、敷板は使用しません。

  ・ 板床の場合は、床板に直接花入を、飾りますので、敷板は必要ありません。

以下次回に続きます。


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茶道具 (水指を造る2)

2010-05-18 21:55:51 | お茶と「茶の湯」と茶道具(茶陶)
前回に続き、6)陶器の水指を造る、の話をします。

 ⑤ 水指の作成

   水指だからと言い、特別な造り方は、有りません。

  )底は、輪高台の場合も有りますが、ベタ高台(但し、底の中央が、内側に凹む、碁笥底高台風

    になっている物)が多いが、畳付きには、釉が掛けられています。

    (水漏れを防ぐ目的があります。)焼成時数個の、トチや目を立てます。

  ) 胴の部分は、あえて、轆轤目を、着ける場合も有ります。絵付けをする場合には、綺麗に

     しなければ、なりません。

  ) 口縁を作る

   a) 塗り蓋を使う場合には、口縁の真上に、載せる方法と、口縁の内側に、蓋受けを造り、蓋を

     落とし込む、方法が有ります。前者の口造りを、一重口(ひとえくち)と言います。

     尚、塗り蓋の一文字蓋には、下側に蓋受けが付いていて、両方に使える様に、なっています。

     又、既成品の、塗り蓋を使う場合、口を円形にして置く必要が有ります。

   b) 共蓋の場合は、口縁の形状は、自由にできます。

     蓋受けを、蓋の方に造る場合と、本体側に造る方法が有ります。

     本体側に造る場合、口縁の土を、内側に折り曲げ、水平にしてから、蓋受け部分を、

     更に押し下げてから、水平に戻します。口に蓋受けの段をもつ、矢筈口(やはずくち)水指は、

     志野や、備前の水指に、多い形です。

    ・ 土を内側に曲げると、皺が寄ってきます。出来た皺の部分は、剣先で、切り取ります。

  ) 共蓋を作る。口の寸法を測り、蓋の寸法を、決めます。

     口の形が、円の場合、土を円盤状に挽き、中央部を押さえて、縁よりやや低い段差を、付けます。

     土を中心部に、移動させ、摘み部分を作ります。又、中心に別の土を載せ、摘みを造ります。

   ・  口が、円以外の場合は、タタラを使って、手捻りで、口に合わせて、形を決めます。

      同様に、摘み部分も、手捻りで造る事に、なります。
    
   ・ 摘み部は、指先が引っ掛かる様にしないと、釉を掛けて焼成すると、滑って持てない場合が、

     あります。 最後に蓋の大きさを、測定して、隙間(ガタツキ)が無い様にします。

   ・ 色絵の水指の場合、蓋は一文字ではなく、やや盛り上がり、蓋にも色絵が、描かれた物も

     有ります。

  ) やや乾燥後に、変形や削りを入れたり、耳を付けたりして、予定の形にします。

     耳は、福耳、管耳、垂れ耳など、色々な形が有ります。

 釉や、色付け、焼成なども、述べるべきですが、他の作品と同じ様ですので、省略します。

7) 水指の取り扱い注意点

 ① 焼き物の水指を、使用する場合は、前もって、水を含ませる様にします。 

  特に備前、信楽、丹波などの、焼き締めの水指は、水を含んだ状態の物が、美しく見えて、

  喜ばれます。 

  施釉した水指でも、乾燥した状態で、いきなり水を入れると、表面が汗をかいた様な、

  状態になる事があります。 これを「しもる」と言い、貫入(ひび)等から、滲み(にじみ)出たものです。

 ② 水指を使用した後は、カビが出ないよ様に、十分に乾かします。

  磁器や陶器は、布で拭いた後、丸一日陰干しすれば、乾きますが、水を含み易い、焼きの甘い物は、

  一週間程度、かかる事があります。 

以上で、水指の話を、終わります。

次回からは、花入(花生)について述べる、予定です。
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茶道具 (水指を造る1)

2010-05-17 22:01:47 | お茶と「茶の湯」と茶道具(茶陶)
水指の話を、続けます。

6) 陶器の水指を造る

  手捻りで、製作する場合も、有りますが、一般に、轆轤挽きで、作る事が多いです。

  水指の目的は、茶釜に水を、継ぎ足す事ですが、現在では、釜の側に置いて、鑑賞する対象に

  なっています。それ故、水の入る容量は、さほど重要視されませんし、多量に入る必要も

  有りません。

 ・ 水指を作るには、水指の形、大きさ、蓋の種類、そして釉や焼き締め(無釉)、色付けなどの

    装飾をどうするかを、決め、素地を選定する、必要が有ります。

 ① 形は色々有りますが、轆轤で製作すると、基本は丸い形に成ります。轆轤挽き後に、変形し

   角型(四方、菱口)などの、形にする事も、可能です。

  ・ 使い易い形の物や、使い辛い形もありますが、今では、見栄えを重視して、形を決めます。

 ② 大きさは、茶会の規模や、客の人数によって、左右されますが、必ずしも、大きい物が、

   必要に成るとは、限りません。水指に、水を補給する、鉄瓶などが、共に置いてあるからです。

  ・ 参考までに、柄杓の1杯に入る水の量は、約60cc程度です。抹茶々碗の大きさによりますが、

    茶碗に入る湯の量は、柄杓1.5杯~3杯程度が多い様です。

    釜から湯を、汲み出した後、水指から、水を釜に補給しますが、補給量は、汲み出した量と、

    ほぼ同量にします。

  ・ 前回お話した様に、柄杓の水を汲む部分の、高さは約5cm位です。それ故、水指の底に残る

    水の、3~4cmは、使えない水と成ります。又水指に口切一杯に、水を入れる事はありません。

    それ故、実際に使える水の量は、意外と少ない様です。

 ③ 蓋の種類は、前回お話した、共蓋か、塗り蓋かを決めます。

   (両方使える様にして置く、方法も有ります。)蓋の種類に拠っては、水指の口の細工が、

   必要に成り、共蓋ならば、蓋を作る必要があり、本体又は、蓋側に蓋受けが、いります。

   水指は、水を入れる物ですので、なるべく軽くしたい物です。共蓋の場合は、塗り蓋より、

   当然、重量が有りますので、口の広い水指には、塗り蓋が適します。

 ④ 装飾性

   釉の有無(施釉または、焼き締め)、染付け、色絵の有無の他に、轆轤目の有無、削りの有無、

   耳の有無など、どう仕上げるかを、前もって考えれ置く、必要が有ります。

   志野、備前、唐津、信楽焼きなどの、水指ならば、当然それに適した、土が必要です。

 ⑤ 水指を造る

   水指だからと言い、特別な造り方は、有りません。

以下次回に続きます。
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茶道具 (水指2)

2010-05-16 22:37:22 | お茶と「茶の湯」と茶道具(茶陶)
前回に続き、水指について、お話します。

3) 水指の形

   特に、陶磁器製水指の、主なものを、記して置きます。

   桶型、末広型(口がやや開いています)、瓢(ひさご)型(瓢箪の形)、角形、四方型、菱型、

   平型(高さが低く、口径が大きい)、細型(口径が小さく、高さが高い)、枡(ます)型、

   芋頭(いもがしら)型、雪洞(ぼんぼり)型、その他、耳付き水指などが、有ります。

  ・ 柄杓(ひしゃく)の水を汲む部分は、径が5.5cm、高さ5cm程度の大きさが有ります。

    それ故、細口型水指の口径は、少なくとも、10cm以上無いと、使い難いです。

4) 水指の蓋

   蓋には、共蓋と言い、水指本体と同じ素材で、作られた物と、黒い漆塗り木製蓋が、有ります。

   水指を、ご自分で製作した際、蓋をどちらにしたら良いか、迷う事が有ります。

   作り手からは、塗り蓋は、造れませんので、共蓋の方がが、都合が良いのですが・・・  

  ① 共蓋は、水指製作時に、口径に合わせて、造ります。一般に、平板又は、蓋の中央が、

    やや凹む形状で、蓋の中央に、摘みが付いています。

    蓋受けは、本体側についているのが、普通です。但し、水指は、共蓋よりも、塗り蓋の方が、

    一般的で、珍重されます。

  ② 塗り蓋、一般に、一文字(表面が平らな形)の黒漆塗りの木製蓋が、使われます。

    又、平型水指の様に、口径の大きな物(口径30cm程度の物も有ります)は、

    割り蓋(蝶番が付いていて、二つに折り曲げられる)が使われます。

  ③ 器に合わせて、特注品に成ると、蓋もかなり高価な、物と成りますが、既製品の塗り蓋も、

    市販されています。(但し丸のみ)

   ・ 0.1寸(3.03mm)刻みで、3~7.9寸の塗り蓋が、有りますので、インターネットで、

     必要な大きさの蓋を、見つける事が出来ると、思います。

     値段も、ニ千円代~七千円代と、わりあい安価です。

5) 見立てについて

   茶道具には、茶碗や水指などで、見立てという物があります。

 ① 元々は雑器として、他の用途に使われていた、生活必需品であったものが、茶人の目にとまり、

   茶碗や水指として、転用された物です。

 ② 水指の典型的な物に、備前焼の種壷(たねつぼ)や、擂鉢(すりばち)、信楽の鬼桶水指、

   その他、蛸壺などがあります。

   実用品ですので、丈夫でしっかり、焼き締めてあり、自然釉が掛かり、茶席では

   水指として、利用されています。

 ③ 千利休は、盛んに、見立てで、茶道具に使いました。

   井戸、三島茶碗も、本来は、朝鮮の雑器であった物でした。

以下次回に続きます。


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茶道具 (水指1)

2010-05-15 23:08:18 | お茶と「茶の湯」と茶道具(茶陶)
水指とは、、点茶の際、茶釜に水を足したり、水で茶碗や茶筅を、すすぐため、蓄えておく器です。

 (役目としては、やや脇役に成りますが、茶人達の、美意識が感じられます。)
  
1) 水指の分類

 茶道具の水指は、材質から分類すると、金属、陶磁器、木竹工品などが、有ります。

 ① 金属は、唐銅(からかね)、砂張(さはり)、毛織(モール)、七宝(しっぽう)、鍍金(ときん)

   南鐐(なんりょう)、等が有ります。中国より渡来した水指は、本来は、唐胴に始まります。

   砂張: 銅と錫の合金の事です。 南鐐:良質の灰吹銀、すなわち純銀という意味です。

 ② 木工品では、木地を曲(まげ)た容器は、十四世紀、日本の絵巻物に、登場することから、

   水指の歴史は、古い物と判ります。

   木竹工の水指は、手桶(ておけ)、釣瓶(つるべ)、曲物(まげもの)などがみられます。

 ③ 圧倒的に多いのは、陶磁器製の、水指です。

  陶磁器には、磁器製の、清朝の型物と呼ばれる、「染付け」や、青磁、色絵、祥瑞写しの水指

  砥部焼きの「万写し枡形水指」があり、 陶器では、高麗(こうらい)、中国の安南(あんなん)、

  南蛮(なんばん)などの他に、 信楽、備前、瀬戸、伊賀、高取、薩摩、唐津、志野などの

  国焼(くにやき)などがあります。

  十六世紀に入り、茶の湯が成立してくると、茶人の求める水指が、取り入られ、又、焼かれる様に

  なります。

  江戸時代には仁清、乾山、保全という華やかな、水指へと展開して行きます。

  更に、現代に近づくにつれ、形、色彩が多彩となります。

2) 著名な水指

 ① 青磁浮牡丹太鼓胴水指 中国 重文 総高さ:20.1 口径:22.3 底径:16.2

 ② 伊賀水指 銘:破袋 重文 高さ:21.4 口径:15.2 底径:18.2

 ③ 信楽一重口水指 銘:柴の庵 高さ:15.4 口径:17.0 底径:15.5

   (古信楽の名物水指。利休所持)

 ④ 備前火襷水指 重文 高さ:13.0 口径:12.5 底径:10.6

 ⑤ 志野芦絵水指 銘;古岸 高さ:17.8 口径:18.5 底径:17.5

 ⑥ 色絵輪宝かつ磨文水指 仁清作 重文 高さ:12.5

 ⑦ 色絵梅の絵水指 仁清作 重文 高さ:14.5

 ⑧ ニ彩荒磯文水指 永楽保全作 高さ:15.5 口径:16.2 底径:12.0

 その他、瀬戸渋紙水指、膳所(ぜぜ)菱口水指、高取遠州管耳水指、丹波水指、大樋瓢型水指など、

 多くの水指が、存在しています。

以下次回に続きます。
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轆轤の歴史 2

2010-05-14 22:44:44 | 陶芸四方山話 (民藝、盆栽鉢、その他)
前回に続き、轆轤の歴史について、お話いたします。

8) 助手が回す轆轤

 ① 作り手と、助手が向かい合って座り、蹴轆轤の下段の円板を、助手に回させて、成形します。

   以前に中国で、使われていた轆轤です。

   (作り手の横に立ち、助手が足で蹴るスタイルも、有りました。)

   又、助手が寝転び、両足を使って、下段の円板を、回転させる轆轤が、我が国で今でも

   使われています。(以前、テレビで、大物を作っている光景を、見て知りました。)

 ② 轆轤の支柱を包む筒に、ベルトを掛け、このベルトを回転させる為の、プーリー(回転輪)を

  取り付け、このプーリーを回す取っ手を、助手が手で回す構造です。

 ・ 作り手と、回転させる物が、別ですので、息が合った者同士でなかれば、なりません。

9) 轆轤作業は男の仕事でした。

   先史時代より、土器類の製造は、女性の仕事でした。(これは、全世界に共通の様です。)

   大きな作品などは、作品が回転するのでは無く、作り手が、粘土を載せた、台の回りを回って、

   作品を作っていました。

 ・ 現在では、可変速の電動轆轤が、一般的ですので、労力は、さほど必要としませんが、

   手や足で回す轆轤では、大変な力仕事で、男性が作り手と成ります。

 ① 轆轤は重い必要がある事。

  ) 轆轤が、一定速度に回転する為には、轆轤の円板が、重い方が良いです。

  ) 直ぐに、止まらず、回り続ける為にも、重い方が向いています。

     重くする為に、円板の厚みを厚くする、必要が有りました。

  ) 現在では、「ボールベアリング」の様に、支柱との抵抗が少ない、軸受けが有りますが、

     当時の軸受けは、動物の脂などを塗って、抵抗を抑えていますが、それでも、

     運動エネルギーは、かなりの無駄となりました。

   その為、ひ弱な女性では、中々使い難い物と、なっています。

10) 轆轤の回転方向

   回転方向は、欧米では、左(反時計)回転が、一般的です。

   回転方向が違うと、手の使い方が、全て逆に成ります。即ち右回転では、器の内側は右手で、

   外側は、左手を使いますが、回転方向が反対に成ると、手は反対に成ります。
   
 ① 日本では、古来からの、陶芸産地は、ほとんど右回転ですが、丹波では、左回転が用いられ、

  朝鮮から伝来した有田、萩などでは、右回転である一方、九州の上野、小石原などの産地では

  左回転が用いられています。

 ② 回転方法は、慣れの問題です、人によっては、左右の回転を、使い分けている方も、いますが、

   一般的には、一方向のみを、習得すれば、十分です。

11) 電動轆轤

   電動轆轤は、芯もきちんと出ており、回転も可変速で、左右好みの方向で、回転でき、

   回転も持続するので、力も要らず、女性でも、取り扱いが、容易になりました。

12) 機械轆轤

   轆轤円板上に、皿や鉢の形をした、石膏の型を置き、そこに、粘土をかぶせて回転させ、

   上からコテ(鏝)を押しあてて、成形します。別名ハンドルとも呼ばれ、簡単な形の物は、

   ある程度の、量産が可能です。大正時代に作られました。

   小さな皿などは、コテの替りに、握った手で土をグッと押し込み、土に圧を加え、形を造ります。

以上で轆轤の話を、終わります。

次回より、茶道具の話を、する予定です。
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轆轤(ろくろ)の歴史 1

2010-05-13 21:41:40 | 陶芸四方山話 (民藝、盆栽鉢、その他)
轆轤は、作品を早く、綺麗に仕上げる、道具で、特に丸い形の物を、作るのに、最適な物です。

陶芸では、多くの方が、轆轤を使って、作品を製作しています。

その歴史について、述べたいと、思います。

1) 紀元前、約4千年前に、バビロン(メソポタミア地方の古代都市)に出現します。

   紀元前、約3千年前に、エジプトに、更に、小アジア、インド、及びギリシャに広がります。

   紀元前5百年頃には、中央アジアに、到達しています。

 ・ 我が国には、朝鮮から、5世紀頃に、手回しロクロが、そして豊臣秀吉による、焼き物戦争の

   捕虜として、連れてこられた、朝鮮の陶工により、蹴轆轤(けろくろ)が、伝わったと、言われています。

2) 当時は当然、自分で手や足を使い、回転させていましたが、ヨーロッパやアジアでは、

   足を使う物が、多かった様です。

3) 現在使われている、轆轤は18世紀頃から使われ、構造的には、一部が電動に、なりましたが、

   ほとんど、変化がありません。

4) 轆轤の構造は、垂直に立てられた、支柱の先端に、円板を水平に取り付け、円板が回転した際の

   振れを止める為に、支柱を包む様に、筒を円板の裏に、取り付けます。

   回転では、円板とこの筒が回り、支柱は固定されたままです。

5) 轆轤の円板の材質は、木製が多く(現在では、アルミ合金が多い)、円板以外は、金属製に

   したものも、有ります。大きな物では、円板が直径1m程の物も、存在していました。

6) 足で回す轆轤(蹴轆轤=けろくろ)

   椅子に腰掛けて、作業を行いますので、足が使え、手は作る事に、専念出来る、利点があります。

   (但し、手と足の動きが、別々ですので、慣れるまで、苦労します。)

   構造は、円板が上下二段になっていて、上段は成形用で、下段は足で蹴って回します。

   一般には、右足で下段の円板を、蹴りますので、左回転に成りますが、手前に引いて回転したり、

   左足で蹴ると、右(時計方向)回転に成ります。

7) 手で回す轆轤(手轆轤)

   円板の上面の縁に、4個の浅い孔を堀り、そこに手に持った棒(回し棒)を差込、押して回します。

   肘を曲げると、作品にぶつかり、背の高い作品は、作れないので、肘は伸ばして、回転させます。

   一般に右手で行いますので、右回転に成ります。

 ・ 我が国では、電動轆轤が、出現する以前は、(腰掛けると言う、習慣は少ない為)轆轤の前に、

   胡坐をかく、手轆轤が、一般的で、多く使われていました。

   背の高い作品の場合には、立ち上がって、手で回す手轆轤が、使われていました。

8) 助手が回す轆轤

以下次回に続きます。
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抹茶々碗 (京焼き3)

2010-05-12 22:22:51 | お茶と「茶の湯」と茶道具(茶陶)
前回に続き、京焼きの、抹茶々碗に付いて、述べます。

3) 乾山焼(けんざんやき)   尾形乾山(おがたけんざん、1663~1743年)

  万治年間(1658~61)頃から、宮廷や、公家、寺社等に買い取られていた、京都の焼物は、

  町人(豪商)達が、買い求める様になり、町売りが、始まります。乾山の作品も、公家や、宮廷向けで

  無く、町人階級向けと、変化していきます。又、京焼きは、尾形乾山の出現によって活気を

  迎える様になります。

 ① 乾山は、野々村仁清の、弟子では有りますが、作品は、大きく異なっています。

 ② 兄、尾形光琳や、俵屋宗達、光悦などの、恵まれた環境の中で、茶碗を初め、向付、八寸皿など、

  茶道具を中心に、製作に励みます。

 ・ 特に、乾山作に、光琳が、絵付けや詩、和歌を書き込むと言う、合作で優れた食器類を、

   造りました。(この様な事は、今まで無かった事です。)

 ③ 乾山は、正徳2(1712)年より、二条丁字屋町に、窯を設けて焼物商売を、始めており、

   その清新な、デザインを持つ食器類は、「乾山焼」として、世上の好評を博しました。

   茶碗には、銹絵、色絵の他に、楽焼も作っています。茶碗の名品を、以下に列挙して置きます。 

  銹絵瀧山水図茶碗、銹絵染付松図茶碗茶( 径:9、高さ:7.3)、

  色絵槍梅図茶碗 (高さ7.3 径:10、高さ:7.3)

  銹絵染付春草図茶碗( 径:10、高さ:6.9 )

  乾山銹染付松絵茶碗 (径:12.3、高さ:6.3 高台径:6.7)

  乾山銹染付竹絵茶碗 (径:11.1 高さ:7.8 高台径:4.2)などです。

4) その他の京焼き

  乾山没後、衰えていた京焼きを、再興した陶工に、以下の様な人がいます。

 ① 奥田 頴川(おくだ えいせん、1753~1811年)京焼きの磁器製造に、成功し、

   青木木米、仁阿弥道八ら、若手工人達に、その技術を公開し、京焼の発展に貢献しました。

   作風においても、従来の京焼とは異なり、「染付」「赤絵」「交趾」など中国風の絵付けを施し、

   一大ブームを起こしました。

 ② 二代目、仁阿弥道八(にんなみ どうはち、1783~1855年)

  作品の中に、楽焼や色絵の茶碗もあり、 多種多彩な、作品を大量に製作しました。

  特に色絵は、「尾形乾山、野々村仁清の再来」とまで、称された名手です。

  ・ 道八銹染付梅花図茶碗(口径:12.1 高さ:8.9 高台径:5.4)は、高台が高く、

   3箇所の割り高台に、やや撥高台風になっています。

 ③ 永楽保全(えいらくほぜん)( 1795-~1854年 )

青木木米、仁阿弥道八と並び、後期、京焼の「幕末三名工」として、京焼第二の黄金期を、

   築いた一人として著名です。 保全は、人気の高かった、朝鮮や中国陶磁の手法、

   染付などを用いて、茶陶を焼きますが、単なる模倣ではなく、意匠・釉法ともに時代の好みを、

   反映した、新しい茶陶を作り上げます。

 ④ 青木木米(あおきもくべい、1767~ 1833)は、35才の時に、加賀藩前田家の招聘を受け、

   絶えていた、加賀九谷焼の再生に尽力します。 陶工としては、煎茶器を主に制作します。

  ・ 金襴手花鳥文煎茶茶碗(口径:6.8)5個揃え。その他 白磁、青磁、赤絵、染付など、

    その作域は幅広いです。


唐物、朝鮮物、国焼きの抹茶々碗は、今回取り上げた以外に、多くの窯で焼かれ、各々特色が

有りますが、記事が長く成りますので、「抹茶々碗について」は一応終わりにしたいと、思います。

今後も、茶碗以外の、茶道具を、順次取上げて行く予定です。

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抹茶茶碗 (京焼き2)

2010-05-11 21:36:43 | お茶と「茶の湯」と茶道具(茶陶)
前回に続き、京焼きの、抹茶々碗に付いて、述べます。

色絵は、伊万里焼きが、代表的な物ですが、京焼きとの違いは、素地の違いで、伊万里が磁器なのに、

京焼きは、陶器(土物)で、出来ています。

2) 野々村仁清(ののむらにんせい)

   京焼きを、代表する陶芸家に、御室(おむろ)焼きで、主に茶道具を、造る仁清がいます。

 ①  国宝の、色絵雉香炉、色絵藤花図茶壺を初め、色絵七宝繋文茶碗や、色絵結熨斗文茶碗、

    色絵扇面流茶碗などの、茶碗も焼いています。

 ・ 中でも、色絵鱗波文茶碗(口径:12.5、高さ:8.7、高台径:5.1)は、仁清の茶碗の

   最上品で、後述の「掛切手(かけきりて)」の技法を取っています。

   作行きは、特に薄手で、胴の部分で、一段開き上に伸びています。口造りは、山道になっています。

   高台脇から、口縁にかけて、萌黄釉が掛けられ、流れています。

   内側は、美しい卯の斑釉が掛けられています。

   外側は、鱗繋ぎ(うろこつなぎ)の文様が、萌黄と群青で描き、鱗の中に金彩が施されています。

   その豪華さは、能衣裳を、思わせる物です。

 ②  元禄時代に、茶人、金森宗和(かなもりそうわ、1584~1656)の指導のもと、御室仁和寺門前で、

    窯を開いた、野々村仁清(生没年未詳)によって、京焼きは、大きく開花します。

    当時、新しい技法である、色絵陶器の完成者、とも言われています。

 ③  轆轤の名手と言われ、茶碗も薄作で、宮廷好みの、粋な模様を、描いています。

    素地は黒谷の、白い土を使い、発色を良くしています。

 ④  仁清の作品

  ) 最初の頃は、当時流行の、高麗茶碗を真似た茶碗を、作っていた様です。

     舶来品の、高麗茶碗の様に見える、呉器手茶碗で、仁清印が、捺されています。

    (作品に、作者の銘を、入れるのは、仁清が最初とも、言われています。)
  
  ) やがて、水墨画を茶碗に描いた様な 銹絵の茶碗が、生まれます。

     寒山拾得(かんざん、じゅっとく)のユーモラスな姿や、富士山の絵は、狩野探幽の富士図を、

     写した様に堂々としています。

  ) 仁清の名前を、高めたのは、優美な錦手(色絵)、即ち、濃紅、浅緑、青、紫色の絵付けで、

     その上に、「仁清釉」と呼ばれる、独特の、半透明釉を掛け、絵を引き立てています。

  ) 色絵の茶碗では、青や濃緑で描かれた、草や波文の文様は、釉薬の流掛けの為、

     白釉や緑釉の陰から、覗いている様に見えます。この技法を、「掛切り(かけきり)」と言い、

     鱗波、忍草、鉄線などの文様が、有名です。

  ) 仁清は新しい、黒い茶碗を造りだします。白く残したと所に、松竹梅や、芥子(けし)、

     芭蕉葉などが、色絵で描かれた物や、金銀菱文や七宝模様を、華やかに描いた物があります。

  ) 「ねり上げ手茶碗」は、異色の二つの土を、適度に練り合わせ、轆轤挽きしたものです。
    
     仁清の轆轤技術が、凝縮されて、見事に薄く成形され、歪の無い焼成と、なっています。

     (口径:11.2 高さ:8.5 高台高さ:4.9cm)

3) 乾山焼(けんざんやき)

以下次回に続きます。

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抹茶々碗 (京焼き1)

2010-05-10 22:22:04 | お茶と「茶の湯」と茶道具(茶陶)
京焼きの、抹茶々碗に付いて、述べます。

京焼きの特徴は、色付などの、華やかさに、有ります。

・ 茶の湯は、僧侶階級から、町人階級へ、更に武士階級、そして貴族階級と、広がりました。

 ① 千利休の茶道は、「侘び、さび」を尊び、町人階級に広がります。

   (当時町人は、海外貿易や、武器の製造などで、巨額の富を築き、多くの豪商がいました。)

 ② 織部の茶の湯は、武士階級向けの茶道で、茶碗は、無骨で力強く、豪快な造りと、なっています。

   (古田織部は、多くの大名の、茶の湯の師匠に成ります。)

 ③ 京焼きは、宮廷、貴族向けの、茶の湯の道具で、色絵などの、華やかさが有ります。

   戦国時代には、落ちぶれていた、宮廷人や、貴族は、江戸の平和に成ると、中位の大名と

   同じ程度の、領地を賜り、経済的に余裕が出てきます。

   そして、茶の湯を始める人が、多くなり、華のある、京焼きが、持てはやされる様に、成ります。

  ・ 天皇、上皇、皇族、公卿、僧侶などが、(後述の)野々村仁清に、型紙や、図面を送り、

    作品を注文しています。

1) 京焼きの始まり

   京焼きは、寛永元年(1624年)京都粟田口(あわたぐち)に、瀬戸の陶工、三文字屋九右衛門が、

   窯を開いたのが、始まりと言われています。

   それ故、粟田口焼きが、京焼きの最古の窯と、成ります。

   粟田口焼きは、茶器を主に焼き、呉器や伊羅保などの、高麗写しも、造っていました。

・ 元禄頃までには、粟田口以外に、東山一帯の、清水(きよみず)、音羽、御菩薩池(みぞろがいけ)、

  清閑寺などの窯が、築かれています。これらが、清水焼(きよみずやき)の起源となります。

1) 古清水

 ① 仁清が、赤絵や錦手、色絵などの、上絵付けされた茶道具を、製作すると、需要が高まり、

   東山山麓の諸窯でも、これに習った作品が、多く造られる様に成ります。

 ② この仁清風の錦手(色絵)で、江戸時代の中期以前(十八世紀頃)の作品を、古清水といいます。

   「古清水」には、華やかな色絵と並んで、清楚な錆絵と、染付併用の手法が、多く見られます。

 ③ 古清水の特徴

   青と緑を主に上絵付し、赤を使わ無い、陶器で、全体を覆うように、均一な文様と、ごく一部に

   金彩、銀彩が施されています。 

   古清水手は、雅趣に富み、絵付が京焼の伝統文化を、色濃く反映しています。

 ④ 茶碗では、錆絵、染付け、錦手(色付け)が、造られていました。

   茶碗の形は、単純な碗形が多く、凝った造り出は無く、装飾に力点が、置かれています。

 ・ 錆絵:鉄分を含んだ、絵の具で、絵柄を描きます。この絵柄を、錆絵あるいは、鉄絵といいます。

   その発色は、黒から茶色の間と、幅が広く、鉄の配合や、焼成の状態などによって異なります。

  ・ 又、錆絵と染付を併用した、清楚な作風の、作品も有ります。

    尚、錆絵は、本来「漆塗り」や、日本画の絵の具や、技法を指す、言葉だそうです。

2) 野々村仁清について

以下次回に続きます。
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