6) 師匠、指導者、及び陶芸修行に付いて。
現代の陶芸家の中には、師を持たず、独学で技術を習得したと述べている方も結構多いです。
但し、完全な独学は有り得ないと思います。特定の師と呼ぶ人はいない事もあるでしょうが、それに
順ずる人はいるはずです。技術を直接指導して貰わなくても、その人の作業を見て、土の扱い方、
作品の作り方(轆轤、手捻り技術、装飾技術など)、釉の作り方、施釉の仕方、窯の焚き方などの
陶芸の一般のやり方を、見て参考にしているはずです。勿論そう言う師は一人とは限りません。
それ故、そう言う意味では、必ずしも独学とはいえません。ただ「師匠はどなたですか?」と訊ね
られたら、「独学」と言うしかありませんが・・。
① 現代では、特定の師を持つ事は困難に成っています。
昔ならば、内弟子として、師匠の家に住み込み、家事の事から陶芸の雑事を経て陶芸全般に
付いて直接(間接)指導を受け、数年後独立するのが普通でした。
現代では、その様な内弟子を雇い入れる処はほとんどありません。
弟子としてではなく、単に下働きとして雇い入れる事はあるかも知れませんが、独立させる
為の指導はありません。独立する為の技術を得られるかどうかは、本人次第です。
② 陶芸学科など陶芸を教えてくれる、公立や私立の美術学校も多く存在します。
この様な学校を卒業して、陶芸家に成る人が増えています。
当然、陶芸の基礎からデザイン及び制作方法、装飾の仕方、窯の焚き方など、理論と実践で
指導して貰えます。勿論指導してくれる教授達も複数になり、陶芸界ではある程度知名度のある
教授達で、各々特色ある授業と成ると思われます。一般人だけでなく、著名な窯元の子息も
この様な学校を卒業しているのも稀ではありません。この段階から公募展に応募している人も
多く、入選を果たしている方もいます。
・ 勿論、直ぐに独立する事も可能ですが、より上級の大学院に進んだり、何処かの窯場等で
実践を積んでから独立する人もいます。
③ 陶芸教室やカルチアセンターなどで、実践的な指導を受け、窯を築いて独立する人もいます。
前記の美術学校に通学出来る方は、ほとんどが若い人達です。社会人に成った方は、
社会活動をしながら、陶芸活動を行う必要があります。独立を目指すならば、其れなりの
努力が必要ですが、独立する事は可能です。
④ 最初から下働きとして窯場に入り込む。
全国にある窯場では、下働きとして人手を必要としている処もあります。
この様な場所で修行するのも一つの方法ですが、スブの素人よりある程度陶芸の心得のある
人が優遇される様です。その窯場にはその土地の土を使う事が基本で、土の種類によって、
制作方法も異なる事も多く、色々な技術を覚える為には、複数個所の窯場で修行する必要が
有るかも知れません。あくまでも下働きとしての処遇ですから、技術を教えて貰える訳では
有りません。与えられた仕事を終えた後、自由時間に轆轤などを仲間同士で練習する事に
なります。きつい労働条件ですが、この試練に耐える事が出来るのは、若者だけかも知れ
ません。 本人の努力しだいで、技術の習得が出来るかどうかが決ります。
⑤ 師を持つ事の功罪。
武道や芸能などで使われる言葉に、「守、破、離」があります。
師の教えは大切ですが、それに囚われている限り、師を乗り越える事はできません。師の技
以上の技(わざ)を身に付ける為には、一度師の教えから離れる必要がある事を意味します。
それ故、長い間師事する事は必ずしも、本人の為に成りません。
・ 「守」(しゅ): 師匠の教えを忠実に守る事です。(基礎的な事はしっかり身につけます。)
・ 「破」(は): 師匠の教えに対して、自分なりの解釈を加え、師匠の意見に異を唱える事も
あります。師匠から離れる第一歩に成ります。
・ 「離」(り): 師から離れる事により、初めて独立し、自分の足で歩き出す事になります。
勿論、自分の道を他に求めたとしても、容易に見付ける事は困難かも知れません。
師の元に安住する事無く、新たな道を見付ける事が陶芸家、陶芸作家として世に認められる
事にも成ります。
以下次回に続きます。