想いのままに…

日々の生活の中で感じたことを、想いのままに綴りたいと思います。

ギャッベと絣

2024-08-26 21:16:34 | 日記
2~3日前から、お散歩コースにギャラリーのご案内が出ていました。
少し大きな道から小道に入り、200mほど下ったところに、
『ご案内』が出ていたのです。
お店の名前らしいアルファベットが書いてあり、この道を行くと…という道案内です。

その日は、私たちが通ってきた道の方向へ行く…ということでしたが、
その道を通ってきたにもかかわらず、そんなお店はなかったような…。
見落したのかもしれません。
それにしても、何のお店?…と言いますのも、お店の名前だけしか書いてありません。

その翌日の昨日は、別の場所に『ご案内』が出ていました。
そのご案内には、ギャッベと織物のお店と書いてありました。
前日の場所とその日の場所の間にお店があるということでしょう…から、
見落さないように、キョロキョロと見ながら歩きました。

ところが…です。
200mの間にそれらしきお店はなく、『ご案内』もなく、
いったいどこにお店があるの?という感じ。

帰ってから調べてみましたら、場所の見当は付きました。
このあたりにはよくあるのですが、路地を入った奥の方がお店のようでした。
また、ギャッベとは?
いろいろなことを知らない私ですから、ギャッベが何なのかわからなくて、
それも調べてみました。

ギャッベはペルシャ語らしく、南ペルシアの遊牧民族によって織り続けられている
手織り絨毯の事だそうです。
ただ、絨毯だけではなく、小さなマットのようなものもあるようでした。

織物…のことから、主人との話題が展開して、『絣』のことになりました。
私は広島県東部の出身です。
子供の頃、地元では『備後絣』の産業がありました。

日本3大産地(伊予絣・久留米絣・備後絣)のひとつです。
子供の頃は、絣を織る織機の音があちこちから聞こえていましたし、
染めた糸を川で洗い流したりする光景、糸を干して巻き取る作業などを
日常生活の中で、当たり前のように見ていました。

でも時代が変わりました。
絣は普段着の素材ですし、生産に手間がかかるため高価になってしまうらしく、
需要が減ってしまったそうです。

そうしながら、昔からあった文化や技術などがなくなっていくのですね。
寂しいことですが、止むを得ない…のでしょう。


 雨に濡れていた『ご案内』です。
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ジグソーパズルを通して

2024-08-25 21:13:45 | 日記
いろいろな時間の合間にジグソーパズルをしています。

ジグソーパズルを始めたのは、30年ほど前からでしょうか。
もともと、コツコツと続けることを厭わなかったこともあり、
作り上げていく楽しさも手伝って、今でも続けています。

1000ピースから始めて、2000ピースをするようになりました。
その後、主人もやってみようかな~ということで、
2000ピースの約半分をそれぞれで分担するようになりました。

2000ピース用の大きなフレームを座卓に置き、向かい合って座ります。
主人は上から、私は下から…作り上げていくのですが、
主人は逆方向から見てもできるらしいのです。
一方の私は、逆方向からはとてもやりづらくて苦手です。
その構図を説明しますと、私たちが好きなパズルは、風景が多く、
例えば、空、海、川、湖、建物、森などの約半分を一人が担当します。

見本となる写真から、約半分になるように担当を分けるのです。
その時、主人は空や森など、写真の概ね上半分にあるところを担当していました。
下の部分と担当する私は、建物や水の部分などが多く、作りやすい側…をしていたのです。

その後、1000ピースフレームを2個買って、
主人と私、それぞれが好きな風景を選んでするようになり、現在に至ります。

長い間続けてきたこともあって、数えてみましたら、
日本の風景、海外の風景など、1000ピースのパズルが50種類ほどありました。
パズル屋さんができるほどの数で、ちょっと驚きました。

私の場合、お仕事や家事、お散歩、お買い物、漢字の勉強など、
したいことがいろいろありますので、毎日、時間を決めてしています。
例えば、朝食の片付けと家事が終わった時間が、8時半だったとします。
では、9時までをパズルタイムにしましょう…と決め、
9時になったらお仕事開始。

午後の家事をし終えた時間が2時半だったとしますと、
パズルタイムは3時までと決め、3時からは漢字の勉強開始…という具合です。

その方法でパズルをしていますので、生活のメリハリもできますし、
パズルもダラダラとすることなく、それでいて適当に仕上げていけます。

あれもしたい、これもしたい…と思うばかりでなかなかできない…
以前は、そんなもどかしさを感じていたこともありました。
でも今は、我が身を…、我が力を悟って、
欲張らずにできる方法を考えて過ごしています。
そのお陰でしょか、心地良くて楽しい毎日です。


 『夕日に染まる八坂の塔』


 『グラン・プラス』
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アメリカンフットボール

2024-08-24 22:15:46 | 日記
今日、あるオンライン講座を受講をしました。

それは、関西学院ファイターズの小野ディレクターが講師で、
大阪の川西カルチャーセンターでここ数年、毎年開催されているものです。
オンラインで受講できるのは、確か今年で2度目だと思うのですが、
我が家ではどちらも参加しています。

『アメリカンフットボールの本当の魅力』というテーマで、
まさにその魅力を、試合のビデオや図式などで解説してくださいます。

小野ディレクターは、東京の高校時代からアメリカンフットボールを始め、
関西学院大学でもクオーターバックとして活躍。
朝日新聞の記者として勤務後、ファイターズでコーチをしておられました。
その後、チームのマネジメント全体を統括するディレクターとなっておられます。

アメリカンフットボールが好きな私たち。
特に、関西学生アメリカンフットボールが好きですから、
以前から、この講座には関心がありました。
でも、川西カルチャーセンターに行ってまでは…と思っていたのです。

ですけれど、オンライン講座が受講できるとなりますと心が動きました。
そこで、昨年、今年と、受講したのです。

アメリカンフットボールについての講座ですから、素人同然…となりますと
ちょっと退屈してしまいそうなレベルですが、
さいわいにも、私は素人同然ではなさそうです。
それなりに興味深く聞くことができました。

思えば、私がアメリカンフットボールを知ったのは、今から33年前。
主人に誘われて、関西学院ファイターズの試合を観に行った時でした。
あの頃は、西宮に阪急のスタジアムがあり、アメリカンフットボールも全盛期。

主人に少しずつ教わりながらルールを覚え、楽しみが増していったのです。
その頃から、主人は大阪の大学のアメリカンフットボールのコーチを頼まれて、
会社勤めの傍ら、週末にはコーチをしていました。
選手経験がない主人でしたが、いろいろな試合を観戦して知識をつけていたのです。

ボランティアでしたが、あまりに一生懸命していたためか、
もっと深く知りたいと思い始めたらしく、
アメリカンフットボールの本場・アメリカへコーチ留学をしたくなっていました。
やがて、お勤めをしていた会社を辞め、コーチの勉強のために
アメリカへ…。

思い返しますと、いろいろな経験をしてきました。
主人のみならず、私も…です。
当時も思っていましたが、今振り返ってみても、やはり良い経験でした。

それほど好きなアメリカンフットボールの講座ですから、
今日の2時間15分ほどの講座は、とても楽しむことができました。
秋のリーグ戦は、あと1週間で開幕です。
いよいよ…という時期になっています。




 アメリカのアーカンソー大学にあるスタジアで試合を観戦しました。
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秋の気配も…?

2024-08-23 21:09:47 | 日記
日の出が遅くなったのを感じています。

一番早い日の出の時間は、夏至の10日ほど前で4時半頃(甲府あたり)でしたが、
今は5時10分くらいですから、その時と比べて約40分は遅くなっています。

朝早く漢字の勉強をしている私は、4時頃には起きていますので、
日の出の時間が遅くなっているのはよくわかります。

そして、お散歩の時にもそれを感じています。
日中の気温が高くなるため、健康のためにするはずのお散歩が
熱中症を心配しながら…というのでは、本末転倒です。
そこで、7月の始めの頃から早朝散歩をするようになりました。

5時40分に出掛けますので、主人も5時には起きるのですが、
その時間はまだ暗いのです。
何となく白んではきていますが、周りには街灯などありませんので、
…暗~いという感じです。

それでも、お散歩に出かける時間には森陰から太陽の明かりが見え始めます。
甲府の街中に比べますと、我が家のあたりは森の木々がありますので、
明るくなり方は少し違うとは思います。

そしてお散歩の所用時間は約1時間。
我が家に帰り着く頃には、森蔭からの太陽がそのあたりを照らし始めていますので、
『今日も暑くなりそうだわ。』と思うのです。
ただ、太陽の傾きが変わってきていますので、いわゆる真夏のガンガンと照り付ける…
というイメージではなくなってきています。

そんなこともあるからでしょうか、早朝のお散歩の時などには、
秋の気配をふと感じることも出てきました。
木々の葉の勢いがなくなり、枯れてはいませんが小さくなってきました。
そんな葉の隙間から空が見えたりしますし、その空の雲にも秋を感じます。
今日も、鱗雲が出ていました。
トンボもたくさん飛ぶようになりました。

暑い日々が続いている頃は、『秋って、来るのかしら?』と思うほどでしたが、
季節は間違うことなく移り変わっていくのですね。
先日の長期予報では、全国的に9~10月は平年よりも気温がおおむね高いとのこと。
特に、東日本から西では気温が平年よりも高くなる可能性が高いということでした。

「どうか、ほどほどに…。」とお願いしたい気持ちですが、
地球温暖化の影響もあるとなれば、私たち『人』の身から出た錆とも言えます。
体調管理をしながら乗り越えることにしましょう。

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2024-08-22 21:07:56 | 日記
今日のお散歩の時に、
さだまさし作詞作曲の『1万年の旅路』の話になりました。

その歌詞を私は好きなのですが、中でも私が好きな部分があります。
好きな部分…というよりも、胸に響いてくる部分という方が当たっていると思います。
今日も主人と話しているうちに、胸にグッときて言葉に詰まり、涙ぐんでしまいました。

♪♪
何故私の顔に深い皺が刻まれたのか
教えようと老人は静かに言った


迷った道の数の分と 傷つけた心の数を
忘れないよう顔に刻んできた
驚くことはない 生きてゆくことは
大概そういうことなのさ


君もいつか気付くだろう 悲しみの皺だけじゃない
嬉し涙の流れを刻み 
喜びの笑顔さえもまた
自分の顔に刻んできたのだろう


恩は石に刻み給え 恨みは水に流し給え


♪♪

歳を重ね、私にもたくさんの皺ができていますが、
その歌と重ね合わせますと、皺の1本1本が愛おしく思えます。

皺を見ながら自分の人生を懐かしく思い返したり、たくさんの反省もしてきました。
今までの長い人生は、泣いたり笑ったりの人生ではありましたが、
田舎で両親と暮らしていた時代はともかく、その後…、
特に主人と結婚する前までは、泣くことも多かったと思い返しています。
迷った道…はいくつもありましたし、傷つけた心の数も多かった…??

でも、主人と結婚してからは変わりました。
嬉し涙の流れを刻むことが増え、喜びの笑顔もたくさん刻んできました。
『恩を石に刻み、恨みを水に流す』ようにと、心がけてもきました。
それは、私の人生を…、私の心を…、磨き直してくれているように思えます。

まだこの先にも生きることを許されている人生がある限り、
いただいたたくさんの『恩を石に刻み』、『恨みを水に流す』ことを心がけて
過ごしていきたいと思っています。


 草陰に隠れるように小さく咲く花も…、


 違う方向から見ると、こんなにきれいに咲いています。
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