大佗坊の在目在口

見たり、聞いたり、食べたり、つれづれなるままに!!

東三河 東観音寺から普門寺

2017-10-09 | 

愛知県豊橋市に明治四十年、建造物で国の重要文化財に指定された東観音寺多宝塔がある。三河三観音の一つでもある東観音寺(他に高勝寺・渭信寺)は静岡県との境、小松原町坪尻にあり、静岡県側のJR新所原駅から直線で西南の方向約6kのところにある。天平五年(733)、行基の開創と伝わる。宝永四年(1707)、遠州灘の津波で被災し正徳六年(1716)、現在地に移ったという。行基も寺を作ったり、溜池を掘ったり、橋を架けたり忙しい。
 
新所原駅には数年前、天竜浜名湖鉄道駅舎内の「やまよし」にウナギを食べに行ったことがある。その時はまだJR側が駅の工事をしていたが、橋上駅舎が完成し南側に降りた。何もない駅前広場に驚く。駅から車で20分程度、渥美表浜街道(国道42号)から少し入った所にある。海岸から2k程内陸に入っているがそれでも標高66mあり、新所原駅より倍以上の標高がある。
 
 
東観音寺は小松原山と号し、臨済宗妙心寺派のお寺で重要文化財の多宝塔は屋根をこけら葺という複雑な造りになっているという。
 
本堂の前に枯れた木が屋根から突き出た不思議なお堂があった。
 
境内には色々な石碑が立っていた。芭蕉の木槿(むくげ)碑「道のべの木槿は馬に食はれけり」があった。木槿碑も各地にあるようだが、芭蕉はこの句を何所で詠んだのだろうか。ほかに鳥獣慰霊塔、従軍馬匹忠魂碑、ひときわ大きい忠魂碑などがあった。
 
 
東観音寺から新所原駅の北側にある普門寺に向かう。普門寺の山号は船形山、高野山真言宗の寺院で、寺伝では神亀四年(727)、行基が開山したという。
  
 
普門寺の仁王門を進むと鐘楼門が見えてくる。ここを潜ると本堂かと思ったら、本堂は左の奥だという。
 
 
 
急に足取りが重くなる。石段を登ると本堂、太子堂、弁天堂がある。横の山路が旧境内への道だという。普門寺にはいくつかの縁起が伝わっており、それによれば朝廷、源頼朝との強い関係が伝えている。比叡山との争いで衰退するが、中興とされるが化積上人は源頼朝の叔父と伝えられる。建久年間に源頼朝が三河の七寺の堂宇を造営した。船形山普門寺、赤岩山赤岩寺、陀羅尼山財賀寺、 煙巌山鳳来寺、龍田山長泉寺、青龍山金蓮寺、御堂山全福寺(廃寺)の七寺を三河七御堂と呼ぶ。船形山には、東谷の船形寺(普門寺)、西谷の桐岡院の二つの拠点があり、「元堂」「元々堂」の堂跡がある。普門寺に残る開基以来の歴代住職の名と没年等を記した「代々忌日記」に「赤岩山から転住す」と記載がある。
 
庫裏で明日、訪ねようとしている赤岩山赤岩寺との関係を尋ねたら「今は親戚です」と聞いて驚く。

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