大佗坊の在目在口

見たり、聞いたり、食べたり、つれづれなるままに!!

尾道(浄土寺 海龍寺)

2018-02-10 | 

尾道の古寺巡りで最低、千光寺、西國寺、浄土寺の三寺は廻ろうと計画を立てた。尾道に行った知人から、年寄りは最初、千光寺から廻れと言われた。ロープウェイがあるから楽だと思ったら、山頂と寺との往復でかなりエネルギーを消耗した。浄土寺に着いた頃には石段の昇り降りがきつくなってきた。気が付いたらお寺の石段ばかり撮るようになっていた。
 
転法輪山大乗律院荘厳浄土寺の寺伝では推古二十四年(616)、聖徳太子の開基と伝えている。嘉暦二年(1327)建立の本堂、嘉暦三年(1328)建立の多宝塔は国宝、境内には南北朝時代、足利尊氏供養塔と伝わる宝篋印塔、貞和四年(1348)建立の宝篋印塔や山門、阿弥陀堂を始として多くの国指定重要文化財が残っている。
 
 
 
足利尊氏との関係が深かった為か、浄土寺の寺紋は室町足利将軍家代表紋の二引両紋を使用している。この浄土寺からも向島がよく見える。スマホの地図を拡大したら、真南線上に向島山頂の岩屋荒神社があった。荒神は何と呼ばれているのだろうか。「荒ぶる神」なのか「国神の帰順せざる者」なのか、それとも「こうじん」なのか、向島の岩屋荒神社がどのような縁起をもつ社か分からないが、瀬戸内海沿岸地方では荒神信仰がさかんだという。向島岩屋山巨石群に行かなかったので詳細は分からないが、地図上の岩屋荒神社を基点とし浄土寺から25度ずらすと西國寺にあたる。さらに25度左にずらすと千光寺にあたる。この三寺の創建は、東の浄土寺、中央の西國寺、西の千光寺の順になる。これらのお寺は日本土着の神祇信仰(神道)と仏教信仰(日本の仏教)が混ざり合った神仏習合により建立された寺だったのだろうか。
岩屋荒神社と島根の出雲大社の西北6Kにある人工的に加工されたと思われる石群などが海中にあり、古代の神事の遺跡ではないかとも言われている日御碕にある出雲大社の祭神「大国主命」の祖神を祀る日御碕神社とを結んだ線上に西國寺があった。何を意味するのだろうか。浄土寺付近の地図を拡大して見ていたら、このお寺の近くに西郷四郎逝去之地の碑と西郷四郎像があることが分かった。碑の前を通りながら全く気が付かなかった。坂道の地面ばかりを見ながら歩いていたことになる。悔いが残った。お隣の海龍寺へは、浄土寺の東の門を出ると目の前に転法輪山海龍寺の石段がある。
 
 
真言宗海龍寺の説明に「奈良の西大寺の定證上人が西国巡教の途路、当時曼荼羅堂といわれていたこの寺に住み、荒廃していた浄土寺を建直したと伝えられている。その頃備後の大田庄の荘官でこの寺の別当職であった和泉法眼渕信がこの寺を定證に寄進しましたという古記録がある。正中二年(1347)に炎上したが、直ちに再建され、寺名を現在の海龍寺と改めたのは寛文二年(1661)である」とあった。
 
文楽と竹本弥太夫の追善供養墓があり、並びには南北朝時代の作と思われる宝篋印塔や五輪塔、板碑が並べられていた。海龍寺の裏手に巨石があり、鎖場があり登ることが出来るという。時間と体力の関係で登るのは断念する、というか今までの坂の上り下りで体力と集中力が落ちてきた。

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